2012-01-01から1年間の記事一覧

茶庭 26 小堀遠州 その11

茶庭 26 小堀遠州 その11 遠州の露地への関心 森蘊の『小堀遠州の作事』を読んで改めて感じたこと、それは、遠州は建築家であるということ。おそらく、建物に関わる史料は豊富にあるのに対し、庭に関する史料が少ないためであろう。事実、記述の中心となるテ…

江戸時代の椿 その15

江戸時代の椿 その15 ★1820年代(文政年間) 『シーボルト 江戸参府紀行』『江戸名所花暦』『草木奇品家雅見』『草木錦葉集』のツバキ ・『シーボルト 江戸参府紀行』 ドイツ人医師・博物学者であるシーボルト(Philipp Franz Balthasar von Siebold)は…

江戸時代の椿 その14

江戸時代の椿 その14 ★1800年代(寛政~文化年間) 『本草綱目啓蒙』の山茶、『四季賞花集』の「イセツバキ」、『古来椿名寄』のツバキ ・『本草綱目啓蒙』 『本草綱目啓蒙』は、小野蘭山が講義をした『本草綱目』を孫の職孝等が筆記整理したもので、文…

茶庭 25 小堀遠州 その10

茶庭 25 小堀遠州 その10 大徳寺方丈庭園の石組 遠州の作か否かという論争は昔からいくつもあって、たぶん未来永劫結論は出ないだろう。何を根拠に遠州作と主張するのかという点から始めても、同じだろう。身も蓋もない言い方かもしれないが、そのほとんどは…

茶庭 24 小堀遠州その9

茶庭 24 小堀遠州その9 遠州好みのディテール 遠州らしさを形容する言葉に「きれいさび(綺麗寂)」がある。織部の作風を示す言葉に「ヘウゲモノ」がある。織部の場合は、まだ生存中の慶長四年(1599)、二月二十八日の『宗湛日記』に記されている。それに…

江戸時代の椿 その13

江戸時代の椿 その13 これまでの記述について 1600年代(慶長年間)からツバキに関する書を中心に追って、1800年まできた。まだ探せばいらでも出てくるだろう、ただ、手持ちの資料に加えるには、新たな調査をしなければならない。並大抵の仕事ではな…

茶庭 23 小堀遠州その8

茶庭 23 小堀遠州その8 桂離宮と小堀遠州 森蘊は、遠州が桂離宮の作者である可能性について、a記録上、b意匠上、c政治的背景、d時問的余裕、e親王自作の公算、という視点から考察している。 a記録上 記録には、「親王白身の現場指導であることを暗示…

江戸時代の椿 その12

江戸時代の椿 その12 ★1790年代(寛政年間) 『来禽図彙』『津可呂の奥』の山茶、椿 ・『来禽図彙』 『来禽図彙』は、北尾政美によって描かれ寛政二~三年(1790~91)頃刊行された。実物はもちろん、写本等も見ていないが『樹木図説』に、「〔来禽図彙…

茶庭 22 小堀遠州その7

茶庭 22 小堀遠州その7 小堀遠州と茶花 その2 ・遠州の好みの茶花 小堀遠州茶会記に登場した花は、38種ほどある。現在使われている茶花に比べると意外に少ないと感じた。最も多く使われたのがスイセン(78回)、次いでウメ(56回)、ツバキ(30回)、サ…

江戸時代の椿 その11

江戸時代の椿 その11 ★1780年代(安永~天明~寛政年間) 『聚芳図説』『大和本草批正』『椿花形附覚帳』の椿と山茶・ツバキ ・『聚芳図説』 著者は未詳、安永九年 (1780) 頃作成されたと推測されている。国立国会図書館デジタル化資料の解題によれば、…

茶庭 21 小堀遠州その6

茶庭 21 小堀遠州その6 小堀遠州と茶花 ・『小堀遠州茶会記集成』 小堀遠州の茶会の詳細についてまとめたものに、『小堀遠州茶会記集成』(小掘宗慶編集)がある。この本は、「二十三本の小堀遠州茶会記中より、重複を省いた三百九十二会の茶会記を日付ごと…

江戸時代の椿 その10

江戸時代の椿 その10 ★1770年代(明和~安永年間) 『宴遊日記』の海石榴・つはき、ドレスデンの椿 ・安永二年(1773~79)『宴遊日記』 『宴遊日記』は、柳沢吉保の孫・信鴻が六義園で、安永二年(1773)から天明五年(1785)までを過ごした記録である…

茶庭 20 小堀遠州その5

茶庭 20 小堀遠州その5 小堀遠州の作意 『小堀遠州の作事』から遠州作と認められる庭園は、10を越える程度だろうか。少ないように感じられるのは、絵画や陶器などの美術作品と比べるからであろう。構築物で、作者が明らかになっているものは、もともと意…

江戸時代の椿 その9

江戸時代の椿 その9 ★1740年代(元文~寛保~延享~寛延年間)『庶物類纂』の椿 ・『庶物類纂』 『庶物類纂』は、加賀金沢藩の儒医・稲生若水、その弟子丹羽正伯らが編纂した博物書。延享四年(1747)、八代将軍徳川吉宗の命を受け丹羽正伯らによって完…

茶庭 19 小堀遠州その4

茶庭 19 小堀遠州その4 小堀遠州作の庭園その2 ・明正院御所 小堀遠州ならではの庭園デザインは、明正院御所の庭に展開されていると思う。優雅な曲線ではなく、直線をふんだんに駆使する造形である。日本の庭園といえば築山泉水、というパターンが今でも浸…

江戸時代の椿 その8

江戸時代の椿 その8 ★1730年代(享保~元文年間) 『地錦抄附録』『続江戸砂子』『本草花蒔絵』の椿 ・『地錦抄附録』 享保十八年(1733)、東武江北染井・伊藤伊兵衛は、『地錦抄附録』を刊行した。『花壇地錦抄』や『広益地錦抄』から漏れた花卉と薬…

茶庭 18 小堀遠州その3

茶庭 18 小堀遠州その3 小堀遠州作の庭園 遠州ならではの独創性が発揮されたのは、建築より庭においてである。その理由としては、建物をデザインする際に行事や儀式に使われるため、また以前からの伝統や様式もあり、デザインの自由度は制限さることが考え…

江戸時代の椿 その7

江戸時代の椿 その7 ★1720年代(享保年間) 『槐記』『用薬須知』『百花椿名寄色附』の椿 ・『槐記』 1720年代のツバキとして、『槐記』の茶会に記された茶花を示す。なお、『槐記』は、近衛家煕の侍医山科道安が家煕の言行を集めたもので、享保九…

茶庭 17 小堀遠州その2

茶庭 17 小堀遠州その2 遠州の人物像 南禅寺方丈庭園 遠州は、彼の父と同様、武芸では出世できないと考え、作事奉行として頭角を現そうとしたのだろう。茶の湯にも関心は高かったものの、30代からは、公務・作事に主眼をおいていたと考えられ、その力量は…

茶庭16 小堀遠州 その1

茶庭 16 小堀遠州その1 小堀遠州の作事 日本の庭園作家で最初に思い浮かぶのは、小堀遠州だろう。庭づくりの名人というイメージは、広く浸透し疑う余地もない。ただし、茶の利休、庭の遠州は、共に後世の人々に伝説的なまでに信奉され、幾多の伝承や虚実入…

茶庭 15 古田織部その6

茶庭 15 古田織部その6 路地は庭の一部 「織部はわたりを四分、景気を六分に居申候」という文から、織部の路地について具体的に何が把握できるのだろうか。また、『宗甫公古織へ御尋書』(慶長十四年正月)でも、「一 踏地より、山又ハ何れのけいを見候事、…

江戸時代の椿 その6

江戸時代の椿 その6 ★1710年代(宝永~正徳~享保年間) 『増補地錦抄』『廻国奇観』『和漢三才図会』『広益地錦抄』の椿、海石榴 ・『増補地錦抄』 宝永七年(1710)、『増補地錦抄』が伊藤伊兵衛(政武)により刊行された。この書には、「卜伴椿・頳…

茶庭 14 古田織部その5

茶庭 14 古田織部その5 織部の植栽について 織部が利休以後の茶の湯で、一世を風靡したことは確かである。そのことを含めて、織部の路地については、田中正大が『日本の庭園』で詳しく述べている。田中は、織部らしい特徴、すなわち、敷松葉、切石、織部燈…

江戸時代の椿 その5

江戸時代の椿 その5 「ツバキ」の語源 これまでに、江戸時代に入ってからの百年間に書かれた、ツバキに関する資料を紹介した。紹介するにあたっては、なるべく誤解の生じないよう、また、先入観を持たれないようにと心がけたつもりである。しかし、私がここ…

江戸時代の椿 その4

江戸時代の椿 その4 ★1690年代(元禄年間) 『花壇地錦抄』『江戸参府旅行』『農業全書』の椿、ツバキ、山茶 ・『花壇地錦抄』 有川 cibaさん提供 元禄八年(1695)亥初春、『花壇地錦抄』は、江戸染井の植樹家、伊藤伊兵衛(武陽染井野人ノ三之蒸)が…

江戸時代の椿 その3

江戸時代の椿 その3 ★1660年代(万治~寛文年間) 椿・ナツツバキの写生・『松平大和守日記』の椿 ・『草木写生』 万治三年(1660)三月、『草木写生』の椿が描かれる。『草木写生』は、狩野重賢(とは言え、この人物は狩野家の系図にはなく、経歴も不…

茶庭 13 古田織部その4

茶庭 13 古田織部その4 織部の路地とは 古田織部に関する本は、千利休に比べると多くはないが、10冊以上出版されている。その中で、織部の庭についてはもちろん、路地について書いている本は少ない。『風炉のままに―数奇大名・古田織部』(高橋和島)のよ…

江戸時代の椿 その2

江戸時代の椿 その2 ★1630年代(寛永年間) 寛永のツバキ ツバキの種類が増えたのは、寛永年間(1624~1643年)ではなかろうか。それを証明するかのように、ツバキの図集がいくつも描かれている。寛永七年(1630)、誓願寺の安楽庵策伝は、収集した椿を…

江戸時代の椿 その1

江戸時代の椿 その1 ツバキは、日本人の関心が高い植物である。それだけに、ツバキについて書かれたものは膨大にあり、実際の数がどのくらいあるかわからない。ツバキについて読み始めると、様々な話が錯綜してまるで泥沼に入り込んだような気がする。それ…

江戸の盆栽 8 鉢植の用途

江戸の盆栽 8 鉢植の用途 鉢植の贈答 江戸時代の盆栽を知る上で、鉢植がどのように使われていたか、その用途に注目してみたい。鉢植は、植物の栽培や鑑賞するためであることはいうまでもないが、贈答品として重要な役割を担っていた。家康は、ハイビスカス…