2016-01-01から1年間の記事一覧

『花譜』の不思議

花譜の植物名6 5『花譜』の不思議 貝原益軒は、『校正本草綱目』の翻刻(1672年)のあと、『花譜』を1694年に作成している。『大和本草』(1709年)や『菜譜』(1704年)の前に作成している。『花譜』からの3書は同時進行であったかもしれないが、なぜ『…

花譜の植物名5

花譜の植物名5 ・「三波丁子」・・・目録および本文にも仮名はない。 「三波丁子」では『牧野新日本植物図鑑』に手がかりがなく、花伝書を見ることにした。 『華道全書』1695年元禄八年に、「三波丁子」がセンジュギク(キク科)であることがわかった。再度…

花譜の植物名4

花譜の植物名4 3 中国の資料を見ていない植物2 ・「蝦根」・・・目録に「エビネ」、本文に「えびね」と仮名が振られている。「蝦根」はエビネ(ラン科)であろう。 エビネの初見は、『資料別・草木名初見リスト』(磯野直秀)によれば、『山科家礼記』(1…

花譜の植物名3

花譜の植物名3 1植物名の表記について 植物名の多くに仮名が振られており、現代名にするのに非常に役立つ。ただ、一部には、目録の植物記載と本文の植物記載が異なっている。 ・たとえば、目録の「山茶木」には「ツバキ」と片仮名が添えられている。本文に…

花譜の植物名2

花譜の植物名2 「桔梗」は、キキョウ(キキョウ科)。 「雞冠花」は、ケイトウ(ヒユ科)。 「槿花」は、ムクゲ(アオイ科)。 「丈菊」は、ヒマワリ(キク科)。 「龍胆草」は、リンドウ(リンドウ科)。 「赬桐」は、ヒギリ(クマツヅラ科)。 「紫苑」は…

『花譜』の植物名

『花譜』の植物名 『花譜』の植物名を記されている順に示す。資料として、国立国会図書館デジタルコレクションおよび中村学園貝原益軒アーカイブに記されている『花譜』関連書、『牧野新日本植物図鑑』、『樹木大図説』などを使用する。 「梅」は、ウメ(バ…

十七世紀の園芸植物分類

十七世紀の園芸植物分類 植物名を知る 花材や茶花の名前をどのようにして知ったのか。現代であれば、植物図鑑やインターネットで容易に調べることができる。十六世紀に生きた人たちは、わかりやすい植物図鑑や書籍を見ることはできなかった。植物の名は、周…

2 植栽

2 植栽 2-1 植栽(移植)時期 山野草の栽培する上で最も必要なのは、山野草の生態を知ることです。いつ芽を出し、生育して蕾を持ち開花、そして枯れて消えるか。山野草の露地植えが難しい理由の一つは、いつ芽が出るかという正確な情報が少ないことです…

十六世紀の植物名について3 初見の検討

十六世紀の植物名について3 ・蜜柑 ミカン(ミカン科)・・・総称名・・・ミカンの初見→看聞御記1419年 ・鼠尾草 ミソハギ(ミソハギ科)・・・種名・・・ミソハギの初見→本草和名918年頃 ・茗荷 ミョウガ(ショウガ科)・・・種名・・・ミョウガの初見→本…

十六世紀の植物名について2

十六世紀の植物名について2 十六世紀の植物として300程の名前をあげたが、選び方によって300以上になる。ここでは、花材や茶花として使用されないと思われる植物(和布ワカメなど)は除いている。 また、知識不足で読めない漢字や現代名を確定できない植物…

十六世紀の植物名について

十六世紀の植物名について 十六世紀に記された花材と茶花の植物名を調べている中で、当時の名前を記した資料を参考に見直したい。その資料として、『尺素往来』『古本節用集』『新撰類聚往来』を調べる。 『尺素往来』 『尺素往来』は、文明十三年(1481)以…

十六世紀以前の花材と茶花

十六世紀以前の花材と茶花 花材と花伝書 『花道古書集成』『続花道古書集成』に記された花伝書の成立時期を見ると、『仙傅抄』が1445年で、次が一世紀後に『池坊専應口伝』(1543年)、『続華道古書集成』の『花伝書』(1567年)となる。さらにその次は、165…

十六世紀以前の花材

十六世紀以前の花材 ★十五世紀の花材 生花の花材、さらには茶花を加えて、日本人がどのような花を飾ってきたかを知りたい。そのような資料として、花伝書は最も適していると考えられる。「生花」が成立した当時の花材(http://blogs.yahoo.co.jp/koichiro194…

レンゲショウマを訪ねて

レンゲショウマを訪ねて 関東地方には、東京から日帰りのできるレンゲショウマの群生地がいくつかあります。今年の夏は暑く、少々バテ気味なので、三ツ峠はあきらめて高尾山と御岳山に出かけました。 ★高尾山 最も楽なのは高尾山。東京駅から高尾山口まで1…

花道書作成・刊行・写書時期の整理

花道書作成・刊行・写書時期の整理 『続華道古書集成』と『花道古書集成』に記された花道書を作成順に整理する。まず、『花道古書集成』の花道書の作成時期を示す。 ★『花道古書集成』花道書の作成時期 ・第一巻 『仙傳抄』は、文安二年(1445年)の作成とす…

「いけばな」成立期の花材

「いけばな」成立期の花材 『華道古書集成』『続華道古書集成』を中心にどのような植物が花材に使用されてきたかを見てきた。その他にも、『山科家礼記』のように数多くの花材が記された資料がありそうである。そこで、立花・生花が成立したとされる室町時代…

『続華道古書集成』全五巻の花材1

『続華道古書集成』全五巻の花材1 花材数 『続華道古書集成』全五巻に記された、『華嚴秘傳之大事』『極儀秘本大巻』『立花全集』『華傅書』『花書』『唯可順生花物語』『挿花てことの清水』『東肥群芳百瓶』『華伝書』『小笠原花傳書』『生芲傳』『立花聞…

鷗外百花譜

鷗外百花譜 津和野町立森鷗外記念館は、平成二十七年(2015年)に開館二十周年を迎えました。その開館二十周年記念事業の一つとして、図録「鷗外百花譜」が刊行されました。 「鷗外百花譜」は、鷗外の文学作品に登場した植物や自宅・観潮樓の庭に生育した植…

没年とその後

森鷗外のガーデニング 23 没年とその後 『大正十一年日記』 この年、鷗外は六十歳。五月、病身を押して奈良に出張している。その為もあって、六月半ばから体調不良で在宅、七月九日死去。 この頃になると、鷗外の庭は、かなり荒れていたものと思われる。それ…

『蛇録』

森鷗外のガーデニング 22 『蛇録』 『大正七年日記』 前年十二月に就任した、宮内省帝室博物館の総長兼圖書頭として参館・参寮するようになる。長男の於菟が再婚。十一月、奈良正倉院宝庫の開封に立会に出張、約一月滞在する。なお、その疲れで、十二月は、…

大正四年~六年日記

森鷗外のガーデニング 21 『大正四年日記』 この年、五十三才。『山椒太夫』など発表、詩集『沙羅の木』を刊行。 四月になって、しばらくぶりに庭の記述が復活。 「四日(日)。晴。今年に入りてより始て園を治す。・・・」 しかし、その後の日記には、庭の…

山野草が生育できるような整備

1-3 生育環境の整備(山野草が生育できるような整備) 山野草の生育を阻むのは、環境の急激な変化です。一日のうちで温度が40℃を超えたり、氷点下になったりする場所は、山野草の生育に向きません。雨が降れば水浸し、晴れるとカラカラに乾く場所も、山野…

『花道古書集成』全五巻の花材の呼称名2

『花道古書集成』全五巻の花材の呼称名2 同じ名(漢字)で異なる植物を示す例 同じ呼び名で異なる種の植物を指す花材名、同じ漢字で異なる種の植物を指す場合がある。総称名とした花材名は、いくつかの植物名を含んでいるが、それらは同じような植物(同じ…

ササユリの群生地を訪ねて

ササユリの群生地を訪ねて(白川郷~高山) 富山空港には定刻より10分ほど早く着陸、連絡バスで富山駅に向かう。所要時間は22分なので、白川郷行きバスの発車時刻には13分の余裕がある、と思っていた。ところがバスを降りると、点滅する信号の先には白川郷行…

『大正二年日記』

森鷗外のガーデニング 20 『大正二年日記』 この年、鷗外五十一才。『阿部一族』『佐橋甚五郎』などを発表、『ファウスト』『マクベス』などを刊行。 三月 「五日(水)。晴。稍暖・・・芍薬の芽出づ、福壽草開く。」 「十六日(日)。半陰。園を治す。芍薬…

『明治四十五年・大正一年日記』

森鷗外のガーデニング 19 『明治四十五年・大正一年日記』 この年、鷗外は五十歳。『かのように』『興津弥五右衛門の遺書』などの作品を発表。 明治四十五年二月 「十八日(日)。陰。寒。・・・庭の福壽艸咲く。」 この日、キンポウゲ科のフクジュソウが咲…

明治四十一~四十四年日記

森鷗外のガーデニング 18 『明治四十一~四十四年日記』 『明治四十一年日記』 この年四十六歳、弟・篤次郎が死去。『ソクラテスの死』などを翻訳。 日記は、一月一日から始まっている。開花の記述は、四月には入り、 「五日(日)・・・終日細雨、櫻花半ば…

『書簡に見られる花』

森鷗外のガーデニング 17 『書簡に見られる花』 明治三十五年四月以降、四十一年まで鷗外の日記はないが、妻・志げなどに宛てた書簡に、花に関する記述がある。 明治三十七年、日露戦争に従軍先から、 三月二十九日 森しげ子宛 「・・・廣嶋に来てから八日目…

『小倉日記』の植物

森鷗外のガーデニング 16 『小倉日記』の植物 『明治三十二年』 『明治三十一年日記』は、十二月二日で終わっている。その後の日記として明治三十二年六月十六日から始まる『小倉日記』がある。その間には約半年間の空白がある。鷗外は、花や植物どころか日…

『明治三十一年日記』2

森鷗外のガーデニング 15 『明治三十一年日記』2 ・『花暦』との比較 明治三十一年の鷗外は、三十六才。公務では、近衛師団軍医部長兼医学校校長。その年、『審美新鋭』を『めざまし草』に訳載、『智慧袋』を時事新報に連載、『美学史抄』を寄稿、『西周伝…