2019-06-01から1ヶ月間の記事一覧

ペリー来航と庶民

江戸庶民の楽しみ 88 ペリー来航と庶民 嘉永六年(1853)六月三日、ペリーは四隻の戦艦を率いて江戸湾に入った。幕府は予期してはいたものの、ペリーが最初から戦闘も辞さない高圧的態度であったため、狼狽した。幕府は、旗本、御家人にただちに非常出陣の用…

祭は庶民のものに

江戸庶民の楽しみ 87 祭は庶民のものになる 江戸の祭は、慶長十八年(1613)神田明神から神輿が渡ったことからはじまる天王祭と、元和元年(1615)に山王権現から山車練物がはじめて江戸城内に入った山王祭が特に有名である。神田明神と山王権現は、将軍家の…

開帳より見世物が目当て

江戸庶民の楽しみ 86 開帳より見世物が目当て 江戸時代に見世物を、どのくらいの人々が見ていたかは、わからないと諦めていた。ところが、明治初期の1877年(明治十)から数年にわたって、月別の観客数が東京府の統計に記録されていた。 このデータは、税金…

信心に託つけた 遊びを見直す

江戸庶民の楽しみ 85 信心に託つけた 遊びを見直す 現代に比べると江戸時代は、閉塞した社会だと思いがちだが、遊びに関しては意外に自由で発展性があった。江戸っ子は、時間を持てあますこともなく、遊びをより豊かなものにしていった。彼らが日常、追い求…

四季の行楽

江戸庶民の楽しみ 84 四季の行楽 1841(天保十二)年、水野忠邦を中心に、奢侈を禁じ、風俗を取り締まる天保の改革が始まった。早速、不忍池新土手の茶屋は風紀を乱すという理由で残らず撤去。神田権現祭礼の付祭は減少、江戸三座の浅草移転、女義太夫三六人…