森鷗外のガーデニング

鷗外百花譜

鷗外百花譜 津和野町立森鷗外記念館は、平成二十七年(2015年)に開館二十周年を迎えました。その開館二十周年記念事業の一つとして、図録「鷗外百花譜」が刊行されました。 「鷗外百花譜」は、鷗外の文学作品に登場した植物や自宅・観潮樓の庭に生育した植…

没年とその後

森鷗外のガーデニング 23 没年とその後 『大正十一年日記』 この年、鷗外は六十歳。五月、病身を押して奈良に出張している。その為もあって、六月半ばから体調不良で在宅、七月九日死去。 この頃になると、鷗外の庭は、かなり荒れていたものと思われる。それ…

『蛇録』

森鷗外のガーデニング 22 『蛇録』 『大正七年日記』 前年十二月に就任した、宮内省帝室博物館の総長兼圖書頭として参館・参寮するようになる。長男の於菟が再婚。十一月、奈良正倉院宝庫の開封に立会に出張、約一月滞在する。なお、その疲れで、十二月は、…

大正四年~六年日記

森鷗外のガーデニング 21 『大正四年日記』 この年、五十三才。『山椒太夫』など発表、詩集『沙羅の木』を刊行。 四月になって、しばらくぶりに庭の記述が復活。 「四日(日)。晴。今年に入りてより始て園を治す。・・・」 しかし、その後の日記には、庭の…

『大正二年日記』

森鷗外のガーデニング 20 『大正二年日記』 この年、鷗外五十一才。『阿部一族』『佐橋甚五郎』などを発表、『ファウスト』『マクベス』などを刊行。 三月 「五日(水)。晴。稍暖・・・芍薬の芽出づ、福壽草開く。」 「十六日(日)。半陰。園を治す。芍薬…

『明治四十五年・大正一年日記』

森鷗外のガーデニング 19 『明治四十五年・大正一年日記』 この年、鷗外は五十歳。『かのように』『興津弥五右衛門の遺書』などの作品を発表。 明治四十五年二月 「十八日(日)。陰。寒。・・・庭の福壽艸咲く。」 この日、キンポウゲ科のフクジュソウが咲…

明治四十一~四十四年日記

森鷗外のガーデニング 18 『明治四十一~四十四年日記』 『明治四十一年日記』 この年四十六歳、弟・篤次郎が死去。『ソクラテスの死』などを翻訳。 日記は、一月一日から始まっている。開花の記述は、四月には入り、 「五日(日)・・・終日細雨、櫻花半ば…

『書簡に見られる花』

森鷗外のガーデニング 17 『書簡に見られる花』 明治三十五年四月以降、四十一年まで鷗外の日記はないが、妻・志げなどに宛てた書簡に、花に関する記述がある。 明治三十七年、日露戦争に従軍先から、 三月二十九日 森しげ子宛 「・・・廣嶋に来てから八日目…

『小倉日記』の植物

森鷗外のガーデニング 16 『小倉日記』の植物 『明治三十二年』 『明治三十一年日記』は、十二月二日で終わっている。その後の日記として明治三十二年六月十六日から始まる『小倉日記』がある。その間には約半年間の空白がある。鷗外は、花や植物どころか日…

『明治三十一年日記』2

森鷗外のガーデニング 15 『明治三十一年日記』2 ・『花暦』との比較 明治三十一年の鷗外は、三十六才。公務では、近衛師団軍医部長兼医学校校長。その年、『審美新鋭』を『めざまし草』に訳載、『智慧袋』を時事新報に連載、『美学史抄』を寄稿、『西周伝…

『花暦』5

森鷗外のガーデニング 13 『花暦』5 鷗外の『花暦』には、二月十五日から九月十五日までの期間に咲いた68種の植物が登場する。三百坪を超える庭に、サクラを除く、67種の花が記されているが、その他にも数多くの花が咲いたと思われる。『花暦』の花を草と木…

『明治三十一年日記』1

森鷗外のガーデニング 14 『明治三十一年日記』1 鷗外の日記に植物が記されたものとして、『明治三十一年日記』がある。この日記は、一月一日から始まり、十二月二日まで書かれている。その中で、植物に関する記載は二月から十月までで、『花暦』に負けない…

『花暦』4

森鷗外のガーデニング 12 『花暦』4 ・四頁 六月二十三日 金絲桃 「金絲桃」は、オトギリソウ科常緑低木のビヨウヤナギ。漢名は金線海棠。葉は、生薬となる。乾燥させるかあるいは生の葉を煎じつめ、お茶の替わりに飲めば、胆石や結石症に効果があるという…

『花暦』3

森鷗外のガーデニング 11 『花暦』3 ・二頁 四月七日、十日 櫻 鷗外は、七日と十日にサクラの開花を記している。これは鷗外の庭でなく上野の山と向島でのこと。 観潮楼の二階から上野の山が見えたというから、サクラが咲いていた様子を楽しんだかもしれない…

『花暦』2

森鷗外のガーデニング 10 『花暦』2 では、『花暦』に記された花を紹介しよう。 ・一頁 二月十五日 梅 『花暦』に登場するの最初の花は、ウメである。バラ科の落葉樹、紅梅であろう。 この年は、寒かったようで、開花が遅い。明治三十一年の日記によると、…

『花暦』1

森鷗外のガーデニング 9 『花暦』1 ・不思議な花暦 森鷗外が七ヶ月かかって書いたにもかかわらず、全集はもちろん、関連した本や雑誌など、どこにも触れられていない『花暦』がある。『花暦』は半紙四枚に記され、筆跡から見て、鷗外自身が書いたことは間…

「観潮樓」の庭づくり・その2

森鷗外のガーデニング 8 「観潮樓」の庭づくり・その2 観潮樓の庭園は、築山泉水の日本庭園ではなかったが、全体としては和式の庭であった。大きく分けて、南庭、北庭、東庭の三つであるが、それに小さな中庭もあった。 ①主庭となる南側の庭は、横の東西は…

「観潮樓」の庭づくり・その1

森鷗外のガーデニング 7 「観潮樓」の庭づくり・その1 鷗外は明治二十五年一月、千朶山房から北東に約400m先の本郷駒込千駄木町二十一番地(現在・文京区千駄木1-23-4)に転居した。六月になって、隣地の梅林(十九番地)を買い、敷地を三百二十坪…

住まいの変遷(根岸から千朶山房)と植物3

森鷗外のガーデニング 6 住まいの変遷(根岸~千朶山房)と植物3 ⑥根岸の借家 鷗外は、東京での生活にもなれた明治二十二年一月、下谷根岸金杉百二十二番地(後の下谷区上根岸町八十八番地)の借家に入居した。それは、赤松登志子との縁談が持ち上がり、結…

住まいの変遷(千住からドイツ留学)と植物2

森鷗外のガーデニング 5 住まいの変遷(千住~独逸留学)と植物2 ④千住の住まい 明治九年、千住町に出来た区医出張所管理を森静男は、東京府庁から命ぜられた。当初は、小梅村から通勤した。同十一年、東京府足立郡の郡医を嘱託され、橘井堂医院を開業した…

住まいの変遷(津和野から向島)と植物1

森鷗外のガーデニング 4 住まいの変遷(津和野から向島)と植物1 鷗外は、どのような経緯で植物に関心を深めたか、成長の過程を通して見て行きたい。津和野に生れ、上京するなどという住まいの変遷は大きな影響を与えただろう。また、ドイツ留学の経験は、…

鷗外ならではの関心事(『伊澤蘭軒』)

森鷗外のガーデニング 3 鷗外ならではの関心事(『伊澤蘭軒』) ・美しさ 鷗外の植物への関心は、名前にとどまらず様々な事柄について記述している。まず美しさについては、「その三十二」に「紫黄相雑りて奇麗繁華限なし」と、ウツボグサやカンゾウなどとの…

森鷗外の作品と植物1

森鷗外のガーデニング 2 森鷗外の作品と植物1 鷗外の博識は言うまでもないが、特に植物については、当時の専門家に負けないくらいの知識と関心を持っていた。彼は、作品に登場させた植物を自分の目で直に見るか、当時の資料(江戸時代の本草学書や園芸書、…

森鷗外のガーデニング

森鷗外のガーデニング 1 はじめに 森鷗外の趣味がガーデニングであったことは、ほとんど知られていない。だが、彼の書いた小説や戯曲などを読むと、花が大好きであったことに気づく。さらに、彼が遺した日記を見て、ガーデニングに熱中する姿を確認し、私は…