戦時体制でも減らぬ人出の昭和十四年秋

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)240戦時体制でも減らぬ人出の昭和十四年秋 防空訓練は「焼夷弾や毒ガスの猛訓練」と、まるで戦時体制だ。しかし、まだアメリカとの戦争は始まっていないし、中国から日本本土への攻撃もないにもかかわらずである。この時…

レジャー自粛は進むが人出は減らない十四年夏

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)239レジャー自粛は進むが人出は減らない十四年夏 軍需景気で「温泉、花街、百貨店 千客万来の盛況」y7/⑥、前年より三割も増加している。生活物資が不足しているにもかかわらず、異常な景気である。さらに、「何事ぞ?…

レジャー引締めが続く昭和十四年春

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)238レジャー引締めが続く昭和十四年春 どのような風の吹き回しか、欧米のレジャー事情が新聞5/31Aに紹介されている。 見出しは、「元気でさあすすまう! 国民娯楽日も必要だ」である。アメリカ、フランス、イギリスは、…

軍事色イベントに盛り上がる昭和十四年冬

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)237軍事色イベントに盛り上がる昭和十四年冬 一月、近衛内閣は特別な失政もないのに総辞職。この頃の政治は民意がほとんど反映されなくなった。二月に、第十二回オリンピックに「戦勝国の日本がなぜ選手を派遣せぬ 敗戦支…

レジャー自粛で盛り上がりを欠く昭和十三年秋

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)236レジャー自粛で盛り上がりを欠く昭和十三年秋 十月には武漢三鎮攻略が伝えられ、政府軍部は戦勝祝いを誘発し、国民を酔わせている。日本軍は連戦連勝と、景気の良い報告、国民の誰もが信じているのだろう。そして、戦…

レジャー自粛でも盛り上がる昭和十三年の夏

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)235レジャー自粛でも盛り上がる昭和十三年の夏 オリンピックが始まれば、日本国中で盛り上がることは確かであろうが、昭和十三年(1938年)7月15日の閣議で、オリンピック辞退を正式に決定した。東京でオリンピックを開催…

レジャー自粛で盛り上がりを欠く十三年の春

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)234レジャー自粛で盛り上がりを欠く十三年の春 国家総動員法が公布された。「国の全力を最も有効に発揮せしむる様人的及物的資源を統制運用する」とある、政府や軍部が必要と判断すれば、何でも国民に要求できると言うこ…

自粛でも人出の変わらぬ十三年の冬

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)233自粛でも人出の変わらぬ十三年の冬 中国での戦線はさらに拡大し、四月の台児荘では大きな痛手を受け、戦争に行き詰まりを見せた。戦費は膨大に増加し、軍需優先の産業体制は貿易収支の悪化と民需産業の衰退を招いた。…

続く戦捷祝いに託つけて遊ぶ十二年の秋

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)232続く戦捷祝いに託つけて遊ぶ十二年の秋 「敵抗日首都・南京陥落」と、戦いに勝ったという知らせだけである。市民は、首都を占領すれば、これで戦いは終わるものと思ったのではないか。当時の新聞からは、南京でどのよ…

戦捷祝いに託つけて遊ぶ十二年の夏

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)231戦捷祝いに託つけて遊ぶ十二年の夏 七月初めの蘆溝橋事件から支那事変がはじまった。戦争は短期で解決するとの甘い見通しが、その後は泥沼の太平洋戦争へと陥ることになる。東京を初め全国で戦時色が強くなり、生活全…

神風号で持ちきりの十二年の春

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)230神風号で持ちきりの十二年の春 この年の春は、“神風号”(九七式司令部偵察機)で持ちきりであった。神風号は昭和十二年四月六日、立川飛行場からロンドンへ15,357kmの飛行を、十二日に着陸し成功させた。国産の飛行機に…

好景気に釣られる十二年の冬市民レジャー

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)229好景気に釣られる十二年の冬市民レジャー 昭和十二年、一月に広田内閣総辞職、二月に成立した林内閣は三月に衆議院議員を解散する。四月の選挙で政府側が議席を減らし五月に林内閣総辞職、六月に近衛内閣が成立し、政…

再び盛り上がる十一年秋の市民レジャー

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)228再び盛り上がる十一年秋の市民レジャー 十月四日「オリムピツク本隊帝都へ凱旋」と見出し、「入京の雄姿」と東京駅前行進など3枚の写真を掲示している。日の丸の旗を先頭に、まるで軍隊行進の様相を伝えている。昭和…

オリンピックで沸き上がる十一年夏の市民

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)227オリンピックに沸き上がる十一年夏の市民 二・二六事件の翌日に出された戒厳令が七月十八日に解除されると、防空演習が実施された。八月には軍部支配を助長する「国策の基準」を決定した。国策の基準とは、広田内閣が…

政況や戦争には無関心の春の市民レジャー

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)226政況や戦争には無関心の春の市民レジャー 三月に成立した広田内閣は、メーデーを禁止する。五月には、軍部大臣現役制復活(軍部大臣の就任資格を現役の大将・中将に限定する制度)を認める。これによって、内閣は陸軍大…

大事件とは無縁の十一年冬の市民レジャー

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)225大事件とは無縁の十一年冬の市民レジャー 一月にロンドン海軍軍縮会議脱退。二月の衆議院議員選挙で社会大衆党進出し、軍部主導に不安な国民の声が表われたが、二・二六事件発生でかき消されてしまう。市民のレジャー…

再び盛り上がる十年秋の市民レジャー

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)224再び盛り上がる十年秋の市民レジャー 秋に入ると、街中に人々が急に出歩き始めたようだ。荷風も「銀座裏通酔漢多し」と日記に記している。映画は別として、盛り上がったように見えるのは官製イベントの影響がある。そ…

天候不順でレジャー熱が冷えた十年夏

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)223天候不順でレジャー熱が冷えた十年夏 先月までの市民のレジャー気運は、川開きで一区切りという感じ。新聞紙面は盛況な様子を伝えるものの、天候不順で盛り上がらす。特に八月は涼しく、雨(0㎜以上)が20日、「どこ…

軍国主義に向かいレジャー盛況の十年春

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)222軍国主義に向かいレジャー盛況の十年春 軍事予算の増大とインフレで金回りがよくなったと見えて、東京市民は遊ぶのに夢中。警視庁は花見の大騒ぎにブレーキをかけたが、「どこも酔払ひ天国 お花見は最高潮! 仮装隊は…

好景気につられて盛り上がる十年冬のレジャー

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)221好景気につられて盛り上がる十年冬のレジャー 東京は暮れから続いて正月の人出が目に付き、景気が上向いているらしい。市民が浮かれている間に、日本の侵略戦争は進んでいる。国内の政治は、軍部の影響力が強く、岡田…

何故か人出のある九年秋

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)220何故か人出のある九年秋 夏からの人出は、何故か減らない。特別なレジャーやイベントがあるわけではない。あると言えば、大リーガー選抜チームが来日したくらいである。十月には、警視庁が学生・未成年のカフェー・バ…

レジャーは活発に見えるが先が不安な九年夏

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)219レジャーは活発に見えるが先が不安な九年夏 梅雨明けが遅れ、天候が不純なため、市民の行楽活動は低調。それでも、市内で遊ぶ人が多かったらしく、劇場や映画館の入場者は増加し、この年の年間入場者数は400万人に…

人出だけが盛り上がる九年の春

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)218人出だけが盛り上がる九年の春 春の出来事は「帝人事件」、齋藤内閣の総辞職の原因となった事件であるが、起訴された全員が無罪となっている。訳のわからない事件で、倒閣を目的に捏造されたのではと、考えられるが実…

レジャー気運が一転して落ち込む九年冬

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)217レジャー気運が一転して落ち込む九年冬 インフレ政策の続く中、軍需産業の発展と財閥の満州への投資増加によって、企業と軍部との結びつきは一層進んだ。四月の帝人事件で斉藤内閣が総辞職するように、政党内閣の指導…

レジャーたけなわに向かっての八年秋

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)216レジャーたけなわに向かっての八年秋 渡満する東京部隊の初年兵○○○○名・・・東京駅発不定期一〇〇五列車、見送り三万人、まるでオリンピック選手見送りのような熱気を伝えている。もちろん、見送りの人々が全てそのよ…

『東京音頭』が流行る八年夏

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)215『東京音頭』が流行る八年夏 「東京音頭」は、有楽町の商店街によって不景気を吹き飛ばすため、前年に「丸の内音頭」という名で作られた。それまでなかった都会風の盆踊りとして、日比谷公園での盆踊り大会で披露され…

前年より活発な市民レジャー八年春

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)214前年より活発な市民レジャー八年春 東京は、インフレの恩恵を受けて市民レジャーが活発化、官製のイベントがなくても、映画館観客数は3,800万人と前年より250万人も増加、劇場観客数も800万人と100万人…

戦果にレジャー気運が高まる八年冬

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)213戦果にレジャー気運が高まる八年冬 中国での戦争は、一月に山海関で、二月には熱河省に侵入し省都承徳を三月占領、四月に華北へ侵入、そして五月に塘沽停戦協定成立で満州事変に一応の終止符がついた。国内の景気は、…

オリンピックと満州国に沸く七年夏

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)211オリンピックと満州国に沸く七年夏 七年の夏は梅雨空が続いた、湿ったムードはレジャーにも及び、七月の人出は少なく、特に浅草は寄席をはじめ沈滞したままであった。市内は、これといったイベントもなく、あるのは国…

首相暗殺も変わらぬレジャー気運の七年春

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)210首相暗殺も変わらぬレジャー気運の七年春 市民の話題となっている「爆弾三勇士」、その真相は明らかにされず、都合のよいように伝えられたものである。さらに、一月の第一次上海事変も、日本軍部が中国人を買収して、…