新たな遊びが増える中、江戸の遊びが制約される

江戸・東京庶民の楽しみ 105
新たな遊びが増える中、江戸の遊びが制約される
二月日朝修好条約調印/三月廃刀令月神風連の乱・萩の乱
・両陛下を迎え上野公園開園
 一月、横浜にアイススケート場が開設。滑った人数は不明だが、外国人を対象とした遊び場であることは確かである。話題性から記事になったのだろうが、日本人もアイススケートについてかなりの人が知ってはいたようだ。二月、伸び伸びになっていた招魂社の競馬などが紀元節に催され、大そうな見物があった。イギリス人が築地で奇術を興行した。昼間が1時から4時、夜が7時から11時の一日二回であった。料金は、二種類で、上等が12銭5厘、下等が6銭5厘であった。三月、下谷広小路に貸し自転車屋ができた。とはいっても、二輪の自転車ではすぐに乗れないので、まずは三輪車。料金は、広小路を往復するだけで1銭5厘だったという。
 四月、天皇飛鳥山へ花見に出かけられ、その後木戸孝允邸で招宴が催された。五月、上野公園はまだ完成してはいなかったが、天皇・皇后両陛下を迎えて開園式を行った。上野は、掛茶屋が取り払われ、代わりに精養軒や八百善ができ、不忍池畔が整備されて新しい公園としての形が整いはじめた。その一方で、東京府は、公園内で物品の販売や音曲を弾きながら銭をもらう行為などを禁止した。七月には、公園内の不忍池を見下ろす大仏下に新聞縦覧所ができた。この時期になると、市民の娯楽にも欧米の影響が少しずつあらわれており、七月の寄席に、ヘンリイ・ブラックという米国人が手品を見せている。
・猛暑に「滝」が大流行
 一方、江戸時代からの行楽も、引き続き人気が高く、初詣・出初式と正月から活発である。三月にはウメの名所である大森村の梅屋敷が賑わい、彼岸の浅草は、天気がよいこともあって大賑わいだった。四月は花見に開帳。向島では、女装や高歌放吟で逮捕者がでるほどの騒ぎであった。州崎の浜には潮干狩りの人の群れができた。ハナショウブも人気があったと見えて、五月に向島の「八百松」と亀戸天神、六月に堀切・菖蒲園と向島・愛国園の花の便りが載せられている。七月の川開きは年々賑わいを増しているらしく、「両岸の提灯は何万という数が知れず、両国大橋は勿論、両側は爪もたたない見物」と花火の様子が記事になった。この年は、夏がとりわけ炎暑でああったため前年以上に滝と温泉が流行した、「みめぐりの梅屋楼の滝」「白髭の愛花園」「木挽町の真治軒」など、滝はどこでも繁昌したらしい。湯島にできた「清水の滝」などは、2銭の料金を取って浴衣を貸すほどであった。
 九月には、魚市場の水神祭が催され、飾り物・造り庭・踊屋台・地走り・神輿などがくり出された。さらに、祭を盛り上げるため揃着をなんと3千枚も作るという張り込みようであった。飯田町では牛相撲が催され、入場料は5銭であった。十月の桐長座での「義士銘々伝十二時」、常盤座での「八犬伝」は料金が安いこともあって大入りだった。駒込千駄木、団子坂あたりの造り菊は、有料(3厘)で見せるという新聞記事がでており、十一月には染井、浅草、目黒などで菊花壇や菊細工が観賞された。二の酉は、救急医の人力車が動かないほどの人出。浅草の歳の市は、1円以上の高値の羽子板がよく売れるという盛況で、仲見世から奥山まで群集して帰るのも難儀なくらいの混雑であった。もっとも、そんな雑踏でも、紛失物は銀の時計一個と三歳の迷子一人と大禍、まことに平穏な年の瀬であった。
・じわじわと強まる政府の締めつけ
 このように書くと、庶民は、余暇を謳歌していたように聞こえるかもしれない。が、そうはさせじと、お上の横やりが入りはじめた。三月には寄席における演劇類似の行為が禁止。五月の浅草観音の開帳では、ロクロ首や万作手踊りなどが人体を見世物にするという理由で営業が停止された。六月には、地方の寺院が仏像を他の管内の寺院で開帳する、いわゆる出開帳が禁止。銀座では見世物が厳禁となった。そこで店主たちは、なんとしても客を集めようとの企画を練っていると、七月の新聞にある。九月、日本橋の井上亭は、みだらな落語などを改め健全路線に転換した。十月には、東京府は富興行を禁止。さらに十一月、上野山下車坂の床店が残らず取り払われた。十二月にも、私邸内の神祠や仏堂への参詣まで禁止した。このように庶民の娯楽に禁止や制限を加えたようになったのは、一重に明治政府が外国人の目を気にしてのことであった。
 ただし、禁止や制限の中身を見ると、新奇のものはほとんどなく以前から出されていた条例ばかりである。それまで徹底されていなかったものを改めて出している。庶民は楽天的で、国や府から出された違式註違条例などは、江戸時代の町触れ程度にしか感じていなかった。本当のところを言えば、条例などにはほとんど関心を持っていなかったのではないか。大半の庶民は、国や府から出される法令が、自分たちの暮らしがどのように関わってくるか、ということには到底考えも及ばなかった。

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明治九年(1876年)の主なレジャー関連の事象
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1月Y三箇日、神仏参拝で賑わい、子供は街路樹で凧揚げできず大弱り/読売
1月Y消防出初式、梯子乗り等見物人で賑わう
1月Q横浜にアイススケート場開設/横浜毎日 
1月Y亀戸天神の鷽替え、人出まばら
2月○上野の不忍池、行楽の地となる
2月H紀元節に延びた招魂社の競馬と相撲、晴れて大そうな見物
2月N浅草奥山で見聞して知識を広めと、電気・瓦斯灯・油絵などの見世物/東京曙
2月Yイギリス人が築地で奇術を興行、上等12銭5厘~下等6銭5厘
3月R下谷広小路に、貸し自転車屋できる/花の都女新聞
3月 大森村の梅屋敷、賑わう
3月R小石川植物園無料、酒と狗は無用
3月Y稲荷はどこも賑わう
3月Y彼岸、浅草観音など大賑わい
3月Y寄席での演劇類似の行為禁止
3月Y四谷の桐長桐座が大入り
4月Y神武天皇祭、芝のサクラ、両国・向島・浅草など賑わう
4月K浅草の開帳、活人形・ろくろ首・ゾウなどの見世物、木戸銭8銭/かな
4月C州崎の浜に、潮干狩りの人の群れができる/朝野
4月Y向島、女装や高歌放吟で逮捕者と乱れる花見
4月○太政官布達、官庁、日曜全休・土曜半休
4月N目黒の内田屋、ボタンの花盛り
4月○東京府、上野公園内で物品販売、音曲を以て銭を乞う等を禁止
5月K川崎平間の弘法大師開帳
5月Y平松町の料理屋魚仙で素人芸能会 質も高く大入り
5月C浅草観音の開帳で、ロクロ首や万作手踊りなど人体を見世物にするもの営業停止
5月Y上野公園、天皇・皇后を迎え開園式
5月Y上野公園、掛茶屋を撤去し精養軒・八百善ができ、不忍池畔が整備され桜が植えられる
5月Y羽田の開帳は淋しい、見世物は二番煎じ
6月Y浅草奥山の像の見世物、景品のうちわ付
6月○寺院が仏像を他の管内へ出開帳することを禁じる
7月○柳川一蝶斎とヘンリイ・ブラックが日本橋茅場町と浅草馬道の寄席で手品を興行/明治記述史
7月N桃と滝の当たり年、みめぐりの梅屋楼、湯島清正公の社などに滝が作られる/東京曙+読売
7月Y烏森神社の祭、大和舞や神楽で賑わう
7月Y上野公園地内の不忍の池を見下ろす大仏下に新聞縦覧所
7月Y両国川開き大川の水見えぬ程の賑わい
7月Y築地合引橋そばの遊泳場、鑑札料一人2銭
8月Y品川居木橋村の滝、水冷たく浴びる人で賑わう
8月Y天王祭で水屋は大忙し
8月K南伝馬町の須賀祭、神輿や獅子頭などでて雑踏
8月Y十五夜と二十六夜が重なり、高輪など各地に月見客賑わう
8月Y赤坂の仮御所で花火、四谷の火除地大賑わい
9月Y魚市場の水神祭、大漁を祝して例年より大張り込み
9月Y飯田町で牛相撲、入場料5銭
9月K神田花園町の火除け地が見世物興行場に、武田機関・猿芝居・女義太夫・軍談師を招く
9月Yお岩稲荷の祭、茶番狂言や子供の手踊りでて賑わう
10月○東京府富興行の禁止
10月Y向島に「八重襷」という迷路できる、12月神田にもできる
10月Y団子坂の菊、見料3厘で11月から見物
10月Y飯田町の牛相撲、取組み少なく牛が逃げる騒ぎ
11月Y菊細工、駒込千駄木・団子坂あたりで賑わう
11月○本郷春木座で籤引き景品、抱巻や反物などの景品を出し大入
11月○上野山下車坂の床店残らず取り払い
11月Y二の酉、道路は救急医の人力車も動かぬほどの人出
11月Y浅草奥山で菊花壇の見世物出て賑わう
12月Y浅草歳の市、仲見世から奥山まで群集が押し返れぬ混雑
12月Y愛宕の市、日曜で人出はあったが不景気
12月Y両国薬研堀の市が賑わう
12月○私邸内の神祠仏堂への参詣を禁止