明治十八年・明治の浅草がスタート

江戸・東京庶民の楽しみ 115
明治十八年・明治の浅草がスタート
四月天津条約調印/十二月伊藤博文初代内閣総理大臣就任
浅草「六区」が完成
 明治十八年の東京市民の話題は、前年完成した六区のある浅草公園一色と言ってもいいだろう。この時期新聞は、ことあるごとに浅草の記事を載せている。新しい浅草六区は、浅草新地とも呼ばれ人々が注目する中、対する旧来の奥山花屋敷は、負けじと改装し、入場料を取っての営業を三月からはじめた。また、浅草公園六区の盛り上げに、両国の花女などの一座を雇い軽業を催した。さらに十月には、日本で初の水族館が六区に開館するなど、旧来の遊覧地からテーマパーク的な多彩な魅力を増していった。
 正月は好天に恵まれ、市内の各地の寺社は参詣人が押し合うほどに盛況だった。水天宮の初縁日は、一日で賽銭が897円、お守り札が933円の売上げ。前年より浅草で興行していた西川伊三郎の人形芝居は、大道具に大仕掛けという趣向が受けて、二月になっても大入りが続いている。浅草観音堂の追儺(豆まき)は混雑するため巡査の出張を出願した。三月、銀座通りから追い払われた露店商は、裏通りで存外繁盛しているらしい。四月の灌仏会は、浅草観音・東両国回向院・茅場町薬師など参詣人多く、不景気だが賽銭は意外にあったらしい。
 二月、前月久松座を改めた千歳座は、久松町に大劇場を新築し『千歳曾我源氏礎』などを上演した。料金は、高土間3円50銭、平土間2円80銭、敷物50銭、大入場10銭と庶民が気軽に見ることは難しかった。芝居は近年まれな不入り、市村座の四月は、芝居ではなく独楽回しの名人を出演させ、八月には大阪の操り人形芝居を興行している。春木座は五月に、大阪の興行師が格安の芝居を好サービスで行った。そのため、他の劇場がしわ寄せを受けた。六月、中島座も開幕二日間に限って入場料を半額にして客を少しでも増やそうとした。
・花見に花火、金のかからぬ遊びが盛ん
 高額な娯楽が沈滞する一方で、お金のかからない行楽は盛んであった。特に花見は、隅田川、浅草、上野、飛鳥山などはどこも大勢の客で賑わったらしい。向島の八州園の花見所では、2銭の入園料を徴収した。飛鳥山には、小石川砲兵工廠の職工3百余人が揃いの袷、手拭い、下駄で、牛込の芸妓を25人も引き連れて繰りだすという豪勢な花見もあったらしい。反対に、上野で開かれた「どぶろく桜会」は、会費わずか5銭たったという。この年最も賑わったのは19日の日曜日、隅田川では、浄瑠璃の素人連、少女の手踊り、女太夫の三味線などて賑わい、どこの茶店も満席で名物の桜餅も夕方には売り切れたという。満開の名所からは、酔っぱらいが350人、迷子が31人も警察の厄介になったと報告されている。
 川開きは、不景気どこ吹く風の大盛況で、巡回船6艘、蒸気船1艘が警備するほどの人出があった。さらに、浅草田圃の遊業場で仕掛け花火大会が五日間催された。入場料は3銭、桟敷に上がって見るには別に5銭取られたが桟敷は満員で、混みすぎて一部が落ちる事故があった。ケガ人はなく、興行は大成功したものと思われる。また、八丁堀では八月一杯、夜間の素人相撲が行われた。相撲年寄り宮城野馬五郎の土俵を借りて、午後6時から9時まで連日盛り上がり、酒一斗樽や団扇の賞品が出されたらしい。九月、前年盛大な祭の用意をしたにもかかわらず、神田祭は中止になった。そのためか、この年は蔭祭ではあるが急ごしらえの踊屋台や山車を曳き廻して賑わい、露天商人は大繁盛であった。十月には、あちこちで菊人形や菊花壇が催され、団子坂は資金を奮発して力作が揃ったという。
・奇妙な仕掛けの水族館、人気を集める
 十月に開館した浅草水族館、どのようなものだったかというと、周囲を船板で囲い、正面に貝細工文字で書かれた水族館というと大額が掲げられていた。中へ入ると、乾魚、貝類などの陳列場があり、続いて洞門トンネル状に海岸の景色が出現し、岩石の間に数十個の養魚箱が組み込まれ、その中に様々な海魚が飼われている、というスタイルになっていた。前面は、ガラス張りのため、海魚が遊泳する様子がよく見えたようだ。次の養魚場は、大きな魚が泳いでいる池で、中央にある細工物の鯨から絶えず水が吹き出していた。最後の養魚場は、十余個の箱に川魚を泳がせていた。そのほかの趣向としては、厳石に海潮のくだけ散るさま、水禽の驚き飛ぶさま、弁財天天女や海女のパノラマなどがあり、どれも当時の人々の目には新奇なものばかりであったという。
 さらに、水族館の周囲には、見世物小屋11、飲食店15、楊弓店20、水茶屋30、写真店10程度が建ち並びはじめていた。また、旧来の仲見世も3万6千余円をかけて十二月に完成した。新築の仲見世は、レンガ建二階で、東側82店、西側57店、総数139店が入っていた。ちなみに一カ月の賃料は、間口九尺、奥行き二間の店で3円80銭であったという。
 この頃東京に、また新しいレジャー勢力が台頭しはじめた。砲兵工廠の職工もそうだが、五月に「文武百官、盛大に小金井の桜狩り」という記事がある。各省の官吏たち220余名が馬で七隊を組み、小金井へ花見に出かけている。また、渋沢栄一は、飛鳥山の別荘で松方大蔵卿、芳川東京府知事などを招待して観桜の宴会を催した。六月、一橋の体操練習所の広場で大蔵省印刷局の労働者たちが運動会を催した。この頃、東京の人口は約百万人に達し、百程度の工場が操業し、資本金一万円以上の工場も20ヶ所を超えていた。徐々にではあるが工業労働者が増加しはじめており、そのことが東京のレジャーに少なからず影響を及ぼすようになっていく。

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明治十八年(1885年)の主なレジャー関連の事象
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1月Y正月、好天に恵まれ各地に参詣者が押し合うほどの盛況/読売
1月H水天宮初縁日、賽銭897円、守札933円/郵便報知
1月Y藪入り、各地の閻魔堂賑わい、寄席なども大入り
1月H二の卯亀戸妙義社、日曜と重なり参詣多く、守札の売行き初卯の五倍
1月 東京府、運動会挙行を届け出で許可制度とする
2月H浅草観音堂の追儺、混雑するため巡査の出張を出願
2月H西川伊三郎の人形芝居、前年より続く大道具に大仕掛け興行、この年も大入り続く
2月E千歳座、久松町に大劇場新築「千歳曾我源氏礎」等を公演/日本演劇史年表
3月Y浅草公園六区の盛り上げに、両国の花女などの一座雇い軽業実演
3月H禁止され銀座通りから移転した露店、存外の繁盛のもよう
3月H回向院の両大師の開帳
4月H灌仏会浅草観音・東両国回向院・茅場町薬師など、意外に賽銭上がりよし
4月Q浅草花屋敷、新装整備し有料にする/東京横浜毎日
4月Y向島八州の花見所、入園料2銭
4月Y各地のサクラが満開で人出で多く、酔漢350人、迷子31人
4月 回向院で新井薬師の開帳、深川公園で成田山の開帳
5月Q市村座に、曲独楽回の名人竹沢藤治出演/東京横浜毎日
5月T大久保のツツジ園、今年も開園/東京日日
5月Y芝公園、谷中団子坂のボタン見物
6月Y春木座で大阪の興行師が、低料金・好サービスで大評判、他の歌舞伎を圧倒
6月Y一橋の体操練習所の広場で大蔵省印刷局の運動会
6月Y深川の温泉が籤引きで景品、早朝より来客多く巡査出る
6月Y中島座、開幕二日に限り半額
6月Y三田育種場の興農競馬に見物人多数
7月Y大森の八景園、海水浴場、競馬場等を整備し余興にぎやかに開園
7月H大蔵省印刷局工場裏手の広場にて職工及び局員の運動会
7月D不景気に付、目白亭・小倉亭など2銭5厘で興行大入り/今日
7月C盆休み、閻魔堂は蔵前の花徳院、芝居は春木座、藪入りの人気/朝野
7月Y千歳座の初日大好況、菊五郎が人気
8月Y両国の川開き 不景気どこ吹く風の大盛況
8月H浅草田圃遊業場で仕掛け花火、木戸銭3銭・桟敷5銭、満員の桟敷一部落ちたがケガ人なし
8月Y八丁堀で夜間の素人相撲を興行
8月 大磯に海水浴場を開く
9月H芝神明祭
9月H神田祭、蔭祭なれど急拵えの踊り屋台や山車で賑わい、露天・諸商人は大繁盛
9月L神田明神の開花楼で花柳演説会を催し、根津遊廓登楼の切手の抽選、其筋の達しで中止/絵入り
9月Y大撃剣会、山岡鉄太郎ら数百人が警視庁に集まる
10月C浅草公園六区に水族館が開館する
10月Y本所寿座、好評大入で興行延長
11月Y染井、団子坂の造り菊、展覧始まる
11月Y文楽座が名残芝居、好評で大入
11月Y三の酉、意外と不振
12月 東京体育会、体操伝習所で秋期大演習会を開催
12月○府下の露店は神社仏閣の縁日以外禁止
12月C浅草仲見世の煉瓦造の店舗139軒開業
12月H深川八幡の歳の市、近年稀なほどの商人で盛況
12月H浅草の歳の市、商人563人が出願し、人出すこぶる多いがその割には繁盛せず