二十四年に花開く明治ならではの楽しみ

江戸・東京庶民の楽しみ 121
二十四年に花開く明治ならではの楽しみ
一月帝国議会記事堂消失/五月大津事件/十月濃尾大地震
十二階、浅草のシンボルとなり入場者は百万人
 物価騰貴、凶作による米価騰貴、資金不足、綿紡績の過剰生産など前年の恐慌に続いて景気は停滞していた。しかし、市民のレジャー活動は停滞していない。凌雲閣は、元旦から営業をはじめた。「初日の出」を見に来る人が大勢いるものと見込んで、早朝五時に開場した。当時、人力車が大晦日の夜中から元旦まで営業していたのかという疑問はあるが、一番乗りするには、徒歩か人力車しかない。物見高い江戸っ子が大勢いたのだろう、暗いうちから、まだ店も劇場も開いていない浅草へかなりの人が訪れた。初詣に凌雲閣に昇った人は、三箇日で2万3百余名もあったとの記録がある。凌雲閣は、売り物のエレベーターが時々故障して、五月には使用禁止になったが、入場者が減ることはなく逆に日を追って増えていった。この年、凌雲閣に入場した人は、ついに百万人を超え、店の売り上げを含めると、建設費の5万1千円の倍以上にも達しただろう。
 三月、神田錦町の電気パノラマ館が開業。錦町のパノラマ館は、電灯を効果的に配置してパノラマの迫力をいっそう引き立てようとした。当初の出し物は、赤穂義士復讐の場面を四段にしたものと富士川より富士山及び田子ノ浦を眺望する景色。営業時間は午前八時から午後五時まで、縦覧料は大人6銭、子供4銭であった。四月に浅草のパノラマは、「世界一周の旅人」と銘打って、スエズ運河やローマなどが世界各地を旅しているかのように構成されていた。六月の新聞には、錦町パノラマ館の縦覧総数が11万人を超えたと報じている。七月、浅草のパノラマ館が大人5銭、小人3銭に値下げをしている。八月、新聞の見出しに「神田のパノラマ館、その後好評」と、夜間営業をはじめたことが示されている。日中は暑さのせいで、客の入りが悪くなるため、料金を大人4銭、子供2銭に値下げしている。出し物が三月と同じで変わっていないところをみると、連日の大入りというほどの入場状況ではなかったのだろう。
 前年、一高と明治学院との野球試合中に、明治学院のインブリー教授がグランドの垣根を乗り越えて入ってきて、一高の応援団にケガをさせられたという、インブリー事件が起こった。学生たちの間では、用具も満足に揃っていないにもかかわらず、野球が盛んになりつつあった。中でも一高は、寄宿舎の寄宿生はみな野球をするというほど熱中していた。四月には府下連合チーム(明学、農学校、慶応)を破るほどの強さで、このころから向かうところ敵無しという学生野球における、一高・黄金時代がはじまった。なお、まだ野球をする側も観戦する側もほとんどが学生で、一般の人々が楽しむほどには浸透していなかった。
・音二郎のオッペケペイ節が大流行
 六月、川上音二郎一座が中村座で「板垣君遭難実記」などを上演し、大盛況で43日間の切符が売り切れという大入りを記録した。これは当時、芝居人気が低迷する中、壮士芝居、書生芝居という素人の自己流芝居とも評されたが、新奇なものをもてはやす世上に受け入れられ、喝采をあびた。なかでも「オッペケペイ」という囃子詞を入れながら自由民権や政治批判を歌うオッペケペイ節が大流行。歯切れのよい歌詞に加えて、陣羽織に向こう鉢巻で日の丸の扇子をはためかせるという独特のスタイルは、子供にも人気あり、縁日にも「おッぺけ人形」なるものが並んだ。
 当時、世の中はなべて不景気とされていたが、七月の盆後、浅草はにわかに活況を呈したらしい。常盤座や吾妻座は三日連続で客止め、凌雲閣の登覧客は一日で9870余名。六区の「玉乗り」「活人形」などの見世物もいずれも見物客で場内が充満した。花屋敷の奥山閣五階は、縦覧無料で声色蓄音機を聞かせるなどのサービスに勤めた。そのため、公園内はもちろん、広小路寄りの飲食店にもかなりの客が入り、とりわけ仲見世の雑品、仁王門内の氷水や甘酒は近来にない繁盛を見せた。
・コラサ節にヤッツケロ節も大人気
 寄席などで政治活動に似た演物の取締が厳しくなって、八月、四谷塩町の寄席善よしで、春風亭双枝のコラサ節が大入りとなるが、すぐに禁止された。十月、観物場取締規則が制定され、辻講釈ら(ヒラキ)は取り払いとなる。十一月には、飯田町の壮士青年団体司令部が計画した、国府台での数百名による大運動会は不許可となった。十二月の若竹亭では、壮士落語家寄席に警察官が臨席し、ヤッツケロ節の監視をした。川上音二郎は、過激な政治活動をおこない出版条例違反、集会条例違反、官吏侮辱などで170回以上も検挙され、24回の入獄を経験している。政治演説が不可能になると講談や落語等の寄席芸人、さらに芝居で政治批判を続け、大衆の政治への関心を盛り上げた。しかし、政治を庶民の娯楽の中に取り入れようと試みたたものの、選挙権のない人々を自由民権運動へと駆り立てることは所詮無理であった。芝居の内容も彼の期待どおりには理解されず、多くの大衆はナンセンス芝居として受け入れたにすぎなかった。 
 当時の取締りは場当たり的で、それまで許されていた祭の踊屋台が、九月の愛宕神社祭礼で差止められ、その上、店先での踊りも往来の妨害になると禁じられた。ところが、五月に末端の警察官に差止めの通達がでた「女の力持ち」は、10月の池上本門寺の会式に、両頭の牛などの際物とともに出ている。また、観物場取締規則の違反にも、歳の市にかぎりこれまで通りの慣行を認めている。この頃からさらに、市民は、何をやるにも警察の顔を見ながらということなる。                               ─────────────────────────────────────────────╴    

明治二十四年(1891年)主なレジャー関連の事象
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1月Y凌雲閣、正月三日間で登閣者2万人を超える/読売
1月H三河万歳にわかに増加/郵便報知
1月H琴平初縁日、虎ノ門外は見世物小屋、繭玉売り等居並び往来は混雑
1月 松旭斎天一、元旦より日本橋貝殻町有楽館で奇術興行、上等30銭下等10銭
1月M日本橋久浜亭の美人独楽廻しのファンが楽屋で立ちまわり/都
1月Y歌舞伎座で凌雲閣とスペンサーの軽気球を当て込んだ舞踊劇「風船乗評判高閣」を上演
2月H初午、下谷稲荷社、三十五座の神楽、縁日商人の出多く詣人混み合う
2月M本所寿座「千代萩・切られお富」を桟敷1円90銭~木戸大入場6銭を毎日半札の大勉強/都
2月Y快晴の日曜、上野や浅草の盛り場は大賑わい
3月H川崎大師の縁日、雨で臨時汽車乗客2500人酷雑少なし
3月F神田錦町の電気パノラマ館が開業する/国民
3月Y彼岸の入り、法会の浅草観音や施餓鬼の上野公園賑わう
3月M州崎海岸、潮干狩りにそなえ水茶屋多数出現、8人乗り60銭、乗合10銭
4月Y芝浜で潮干狩り盛ん
4月H芝公園弥生館楼上には4個の双眼鏡備え眼下のサクラ一目に、観覧人800余人
4月H灌仏会、回向院は娘子供で賑わう、竹手桶・金魚・玩物・飴菓子の店、見世物軽業が並ぶ
4月T浅草のパノラマ館で世界一周の旅⑧/東京日日
4月 麒麟ビールが、花見の隅田川堤で仮装行列の広告を行う
4月 一高野球部、府下連合チームを破り、黄金時代
5月H水天宮の菖蒲守(ショウブモリ)、参詣人多く数十人の巡査、諸商人立錐の余地なく店を張る
5月Y小石川の螢狩り、江戸川端の人出が増える
5月H潮干狩りの恰好日なれば洲崎・品川湾近傍はすこぶる賑わう
5月H女の力持ち、不体裁なる見世物は差止るように通達
6月Y神田錦町のパノラマ館縦覧者11万人を超える
6月Y帝国大学、第一高等中学などが連合大運動会
6月Y川上音二郎一座、中村座で43日間売り切れの大入り
6月M三崎座開場、1120人収容、木戸4銭、桟敷22銭~中等10銭
7月Y回向院で京都清涼寺釈迦仏開帳が大賑わい、出店も繁盛
7月Y浅草観音、四万六千日大賑わい
7月Y盂蘭盆後の浅草、芝居札止め、凌雲閣に16日は1万人
7月Y入谷の朝顔に見物人殺到、流れて上野公園へ
8月Y向島の蓮、暁に見物人続々            
8月Yオッペケペー節の川上一座、不景気を吹き飛ばす人気
8月T四谷塩町の寄席善よしで、春風亭双枝のコラサ節が大入りとなるが、禁止
8月Y不景気だった川開き、割烹などが挽回を目指し第二の川開き計画             
9月H虫の相場、草雲雀・鐘敲10銭、興梠30銭  
9月H友楽館で講釈師芝居を開場
9月H愛宕神社祭礼で踊り屋台差止、店先での踊りも往来の妨害と差止
9月 市中露店で五目飯流行
10月H友楽館で講釈師芝居を開場  
10月 神田錦町に集会場「錦輝館(キンキカン)」が開場する
10月H池上会式、大森駅に巡査数十人、本門寺まで人続き前年の数倍、見世物は女の力持ち頸きり遠眼鏡山雀芸両頭の牛など
10月M警視庁、見世物取締り規則、辻講釈等(ヒラキ)の取り払い
11月H帝国ホテルで天長節の夜会、参加者及び洋装婦人減少、舞踏者は殆ど外人
11月H新議事堂の見物、正午より三時を午前九時より午後三時に、3日間で10万人を超える
11月H飯田町の壮士青年団体司令部数百名、国府台での大運動会不許可
11月A凌雲閣にて美人写真コンテストが行われる/東京朝日
11月C一碗一銭の牛飯屋がはやる/朝野
12月Y若竹亭、壮士落語家のヤッツケロ節に警官臨席
12月H歳の市に限り、これまで通り慣行せられんこと
12月H上野競馬、来会者主に外国人、水陸の壮興、横浜から150・60人、馬見所は空地多い
12月Y市村座、年末奉仕で半額に
12月H納の琴平縁日を初め水道橋外生駒・薬研堀など何れも諸商人軒を連ね、参詣人群集
12月Y浅草の歳の市、仲見世は雑踏、商いに極端な掛け値なし