二十六年は娯楽のピークか

江戸・東京庶民の楽しみ 123
二十六年は娯楽のピークか

三月郡司大尉千島探検出発/六月福島中佐シベリア単騎横断より帰国
・インフレにも変わらぬ市民のレジャー
 一月の新聞に、「丁稚小僧の休日は一年に唯二回」と休日の増加を求める記事が出ている。今では大半の人が週休二日になっているのに比べて、当時の商店などで働く人々は休暇に恵まれていないことがわかる。その一方で、三カ月前に改正された内閣・官庁の執務時間に関する記事には、「流石(サスガ)はお勤め根性」と八時間労働にも文句をつけている様子が書かれている。当時の執務時間は、四月十日~七月十日が八時~十六時、七月十一日~九月十日が八時~十二時、九月十一日~四月九日が九時~十七時とある。それに、休日が日曜日と祝祭日、土曜日は半ドンである。冬期の夕方には四時ごろからストーブのまわりで退出時間を待ちかまえているというような例もあったとかで、丁稚小僧の労働条件に比べて大きな違いのあったことがわかる。
 この年、株と土地が異常に高騰した。正月早々に、市内の風呂屋が、大人1銭3厘、子供1銭に値上げしているが、庶民の生活にはまだ大きな影響は出ていない。上げるといえば、歌舞伎座の一月興行は、「奴凧」ということで、六日七日、愛宕山と浅草の紫雲閣及び江木写真館の塔の三カ所から、入場券を付けた奴凧を数百個放った。当時もうあまり見られなくなっていた奴凧を宣伝に使ったこともあって、これが評判を呼び興行も大当たりとなった。正月は、亀戸天神や富岡八幡などの恵方参りをはじめとして、初甲子の大黒天、伝通院の出店が参詣人で賑わい、また、初不動も深川では早朝から大勢の参詣人が訪れた。
 浅草六区の開運館は、元旦より開場したらしく、出し物「西南戦争の活人形展」の記事が前年の新聞に載っている。つまり、浅草は年中無休、市民の一大娯楽センターになっていたが、一方で東京府が管理経営するれっきとした公園でもあった。浅草公園は、現代の公園のイメージからはかなり離れている。むしろ、遊園地・テーマパークといった方が近いだろう。二月には、六区の四号地で二輪車の針金渡りが興行され、その曲芸は当時の観客を魅了した。三月、浅草公園にガス灯が新設され、夜間の遊び場としてもさらに充実していく。
 四月、神武天皇祭は晴天で東京中が賑わい、灌仏会では両国回向院が最も人出があった。また、団子坂で菊人形の季節までのつなぎに桜人形などを催すとある。サクラやツツジオミナエシナデシコなどの花を使って、東海道五十三次に見立てた見世物を出した。春の行楽シーズンには、大勢の人が繰りだすと予測したのだろう。向島の花見時には、言問い団子と桜餅の商いに関する記事があり、団子が一日3千食、餅が千食という見積もりをしている。運動会も活版所の職工が千余人も参加するなど、あちこちで開催された。このように東京市内及び周辺は、明治二十年代で最高の人出を記録したに違いない。
 五月には、玉乗りや曲馬、女水芸などの見世物で髪や衣装を着飾るなどの、やや演劇に類似する興行を禁止すると厳達された。見世物のなかでもサーカスなどがショー化して、魅力を増していることがわかる。そのためか、見世物の観客数は158万人と多かった。
・レジャーにも戦争の予感
 六月、シベリアを単独で横断した陸軍中佐福島安正の成功を祝い、官民大歓迎会が上野公園で催された。中佐が行く先々で、過酷な自然環境と戦う姿は、新聞でたびたび紹介されていたこともあって大歓迎を受けた。なお、冒険旅行とはいうものの本当の狙いは、ロシアの軍事調査であったことはいうまでもない。八月には浅草公園の大黒館で福島安正の活人形がかけられた。
 七月には、ホタルの名所として千駄ヶ谷が紹介されている。浅草奥山では、ヤマガラとカンガルーの見世物などが興行されていた。また、藪入りに合わせて、団十郎がはじめて歌舞伎座に出演するという記事がある。この記事は、逆にそれまでの歌舞伎が、使用人階級には無縁なものであったことを証明している。納涼の素人相撲は大盛況で、日本橋や本所をはじめ、浅草の施餓鬼相撲でも番外として3人や5人相手の飛びつき相撲なども催された。飛び入り自由を売り物にした小石川関口水道町の素人相撲では、近くに住む山県大将らからの金品の寄付もあって盛り上がった。なお、過熱したためか素人相撲に差止命令が出されたこともあったが、贔屓筋が本業の相撲取りを参加させて再興行を願い出た。また納涼花火も盛んで、盆の賽日に土曜日が重なって両国の川開きは相当な人出、八月に入っても花火大会は続いた。
・書生芝居に義太夫の流行
 八月、浅草福栄座で興行した書生芝居が流行し。庶民層もかなり芝居を見るようになったとみえて、九月の新聞には芝居案内なるものが出ている。春木座は午前九時から開場で、料金は、上等平土間1円20銭、同うづら2円20銭、木戸一人6銭、仕切場にては上等平土間菓弁酢付き一切一人金50銭とある。続いて、深野座、神盛座、常盤座、柳盛座、福栄座、三崎座、明治座の開場時間や役者の動向などが紹介されている。この年の劇場観客は、309万人を数えた。芝居客は多くはなってきたものの、風呂代と比べればまだ、誰もが気軽に払える額とはいえなかった。
  九月の庚申日と彼岸、十月の恵比寿講、十一月の初酉、十二月の歳の市まで、各地の行楽地はいずれも多くの人出で賑わった。天長節に日曜と重なり、天気も良かったことから浅草公園には、凌雲閣に1500人、ジオラマに1700人、花屋敷に3000人というように、劇場も飲食店も満員となった。また、団子坂の菊人形も7~8000人の人出があった。初酉も人出があり、凌雲閣に1300人、花屋敷3000人、福島中佐の活人形5000人、西郷人形750人、大蛇710人、青木の玉乗り1500人、江川の玉乗り8杯(8回興行)、ネズミ相撲7杯とある。
 これまで都新聞では、義太夫は寄席案内の一部であったが、この頃から全面的に取り上げられるようになった。五月からは、義太夫案内だけになり、落語などの紹介が非常に少なくなった。巷では、義太夫が全盛になっていたのだろう。十二月には、「義太夫素破抜評」という記事まで掲載されている。

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明治二十六年(1893年)の主なレジャー関連の事象
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1月Y恵方参り、初甲子、初不動、市内はいずれも参詣人で賑わう/読売
1月M浅草開運館で安本亀八西南戦争活人形展連日大入/都 
1月H奴凧を揚げての宣伝で歌舞伎座の興行(奴凧)は大評判/郵便報知
1月 日本橋に真砂座が開場
2月H川崎大師縁日、午前中の参詣人300余人
2月Y紀元節芝公園の大相撲、上野公園の早朝小学生の運動会
2月M堀之内妙法寺日蓮上人の開帳
2月Y帝国ホテルで米国ルチワルヂ夫妻の慈善大手品会
3月 松旭斎天一が殻町の友楽館で奇術を昼夜二回興行する
3月H池上祖師の通輿、芝より浅草までの道筋が群集し、出迎え一万余人
3月Y彼岸入り、六阿弥陀や亀戸近くの観梅に人出/読売
4月M浅草観音開帳、葦簾張りや天幕が禁止され大傘500が並ぶ、五月まで日延べ
4月Y神武天皇祭、灌仏会、花見と市内が賑わう
4月M団子坂で菊人形までのつなぎに桜人形などを催す
4月Y上野東照宮の祭礼、学生運動会などに多数の人出
4月M四谷須賀神社の臨時祭礼、軍楽隊や手踊り
5月Y演劇に似た見世物の興行禁止の通達
5月H歌舞伎座の洋風建築が落成、初日、団菊左三俳優の顔合わせで大入り
5月H新富座、初日無代、二日より大入場5銭
5月Y日本美術協会の展覧会入場者2月で1.8万人
6月H麻布古川筋、小石川江戸川筋にホタル、出かける者少なからず
6月M浅草公園に勧業館が開店
6月H浅草の吾妻座で新演劇の福井一座が旗揚げ興行
6月H団子坂の種半園、富士山などのジオラマ開場
6月H上野公園で、シベリア横断成功の陸軍中佐福島安正の官民大歓迎会
6月Y夏期大相撲、観客1万人弱、入場料962円
6月H深川不動縁日、通りに露店隙間なく、参詣人多し
7月Y隅田川を挟み、日本橋と本所で素人相撲が大繁盛
7月Y両国の川開き、盆と土曜日が重なり多数の人出
7月Y向島の菖蒲園、25日間の収入47~100円
7月 藪入りに合わせて、団十郎がはじめて歌舞伎座にでる
7月 千駄ヶ谷がホタルの名所と紹介される
7月T浅草奥山でヤマガラとカンガルーの珍芸でる⑳/東京日日
8月Y水天宮、戌の日にて炎天も意とせず、夜に入り一層の混雑
8月Y両国第二回の大花火
8月Y大川端の水泳場、俳優や芳町芸者らで賑わう
8月 浅草福栄座で興行した書生芝居が流行
8月 木挽町厚生館でシカゴ大博覧会の幻灯と余興に落語を催す
8月Y浅草大黒館で福島中佐の活人形を興行
9月H池之端芝公園・本所一つ目・深川冬木弁天など賑わう、参詣人婦人多し
9月 浅草の凌雲閣でシカゴ大博覧会の写真や幻灯・ジオラマ等を仕組み、大人10銭で見せる
9月Y庚申日と彼岸の入りで柴又帝釈天が大賑わい
10月M浅草公園大盛館でネズミと人間の相撲興行、大人気
10月 浅草六区で相馬事件の活人形を興行
10月M池上の会式、鉄道利用1.5万人
10月M雑司ヶ谷の会式に大師一代記の活人形
11月H鹿鳴館天長節夜会、舞踏は皆外国人
11月Y初酉、浅草田圃は未明から賑わい、かなりの景気
11月Y日本橋明治座開場大入り続く、定員1200余人、桟敷4円30銭~大入場20銭
12月Y不景気の浅草公園、休日でも閑古鳥
12月H団子坂の造り菊、開園一カ月で元を取り、近年にない人出、相応の利益あり
12月H浅草歳の市、深夜まで雑踏著しく、仲見世より出店までは混雑
12月M愛宕の歳の市、1021人の出店出願