明治三十年に始まる映画という娯楽

江戸・東京庶民の楽しみ 128
明治三十年に始まる映画という娯楽

三月足尾鉱毒被害者二千人上京/十月金本位制度実施
・活動写真が始まる
 真偽のほどはともかく、明治30年以前にも活動写真が東京で行われ、喝采を博したが経費倒れになったという話がある。しかし、活動写真が広く東京市民に受け入れられるようになったのは、30年からである。一月に浅草花屋敷でキネトスコープ(のぞき見式活動写真)が封切られ、二月には小山内薫がそれを見ている。新聞の見出しには、「写真の活働」とあり、「活動写真」ではない。上映されていたのは、「連発銃射撃の写真」「シカゴ府市街の写真」などであった。不思議な発明品だから小学生徒などと一見すべきものという評価である。三月、川上一座は、神田川上座でシネマトグラフ(映写式活動写真)を興行。また、神田錦輝館もヴァイタスコープ(着色活動写真)を興行、連日の満員で延長広告をだした。
 神田錦輝館で映写されたのは、ナイヤガラ瀑布、ジャンヌ・ダークの火刑、出航する汽船、ニュヨーク市の賑わい、アメリカの大統領選挙の実況、アメリカを訪れた李鴻章が旅館を出る場面、消防士が火災から女子供を救出する場面、数十羽の鳩を買っている農家の秋、バタフライ・ダンシングなど二十余景であった。入場料は、特等が1円、一等50銭、二等40銭、三等30銭で、昼夜二回上映された。この金額は、歌舞伎などと比べれば高くないが、寄席の木戸銭よりは高い。当時の大工・左官の日当が55~60銭、活版植字工が25~50銭であったから、大衆が覗くにはちょっと奮発しなければならない金額であった。活動写真の出現は、後の大衆娯楽史上画期的なできことである。ただ、当時では、活動写真は目新しく話題性があり、関心も高かったと思われるが、観客数としてはまだ、寄席や演劇とは比較ならないほど少なかった。
天然痘などが行楽気分に水を差す
 この年の元旦は晴れ、銀座や日本橋に市内の賑わいが集まり、浅草や上野などの盛り場は好況で、幸先よいスタートを切った。六日の初水天宮も、人形町通りには両側に露店が連なり、夜に入ると一層の雑踏を繰りひろげた。その後、英照皇太后が亡くなり、市中では弔意を表す人が多く、そのため黒布が市場から姿を消した。それに伴って、市内の営業者に対しては歌舞音曲が十五日間停止、その他は三十日の停止の指示がでた。当然のことながら、藪入りは、小雨が降ったこともあるが、盛り場が閑散としていた。
 また、一月から天然痘が流行し、力士が予防の種痘をしたので相撲興行が中止となった。二月には広尾を初めとする避難病院が患者で満員となった。この年、天然痘の患者が5,831人(死者2,205人)も発生、さらに、疫痢が流行し、患者が6,909人(死者2,205人)も発生。三月には、足尾銅山鉱毒被害地の住民二千人も徒歩で上京し、途中で警官に阻止された。新年から暗いムードが漂っていたが、花見時になると一転、行楽に出かける気運が高まり、灌仏会が好天に恵まれたことが幸いして各寺院は賑わった。特に回向院は、ところ狭しとならんだ見世物や飲食店が繁盛し、甘酒のサービスも人気を呼び、大賑わいであった。
 四月に神田で、労働組合の結成を訴える演説会が催された。賑わう向島の花見では、仮装を楽しむ浅草区の鞄職組合と飯田町辺の大工組合・車製造業らが酔った勢いで大喧嘩をはじめた。五月、東京の労賃が大幅に上がったこともあってか、労働者の勢いはすこぶる良い。六月の上野で同業組合法発布記念大会には千人を超える参加者があり、山車3輌が繰りだされている。大衆娯楽である寄席は、諸物価が高騰しているにもかかわらず秋頃から賑わいを増しているという記事が出ている。寄席観客数は、前年が史上最高の527万人、この年も501万人と数年前より100万人以上も増加している。
・事故や災害がレジャーを襲う
 八月の入谷の朝顔人形は、忠臣蔵俳優似顔人形が大当たりして、午前七時頃にはすでに近所の飲食店が客止めになるほどであった。両国川開きも割烹や船宿などの予約が好調、十一日は曇りだが夜には月が出て、大川の両岸とも立錐の余地がないほど花火見物の人で賑わった。中でも、両国橋の上から見ることの人気があったとみえて、例年よりも混雑した。当時、橋の上での見物は、中央の車道の一部を往来できるように開けたので、両側はすし詰めのような状況であった。花火もたけなわの八時二十分頃、仕掛け花火が消えようとしていた時、よりかかられていた群衆の圧力に欄干が負けて橋が突然メリメリと崩壊した。そのため、見物人が水中に転落し、死者2人、行方不明3人のほかけが人も十数人でた。
  九月には台風に襲われ、劇場などにも被害が出て、赤坂演技座では三日間も興行停止となった。彼岸の中日が秋季皇霊祭に重なったこともあって、神社仏閣、大川のハゼ釣り、百花園の七草などに人出があった。秋の菊人形、特に団子坂は混雑し、上野谷中口・根津口とも人、人、・・人で歩行困難。十一月の浅草の酉の市には、熊手売りが30内外、芋が57軒などが並び、早朝から大勢の老若男女がつめかけた。二の酉では、ただでさえ人出が多かったところに、急な雨で帰りを急ぐ群衆が小松橋に集中、数十人ものケガ人がでるという惨事があった。新聞は、その状況を説明するつもりか、散乱して残された下駄のことまで詳しく書いている。
 この年のレジャー活動は、前年までの上昇傾向に水を差すようなことがしばしば起こった。暮れになると物価が著しく上昇し、特に米価は鰻のぼり。盛り場にはスリが横行、たびたびスリ狩が行われ、神田明神歳の市では一夜で40人ものスリが拘引された。大衆の生活は決して楽になったようには感じられない。それでも、東京に活動写真が出現し、十一月に戦利動物のフタコブラクダなどを展示するため上野動物園が拡張されるなど、大衆余暇活動は衰退するどころかむしろ増加傾向がみられた。劇場観客は前年より16万人も多く、340万人になっている。
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明治三十年(1897年)の主なレジャー関連の事象
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1月Y初水天宮、人形町通り露店両側を連ね夜になるとひとしおの混雑⑥/読売
1月Y銀座・日本橋賑わい、浅草・上野等の盛り場は好況
1月T英照皇太后が亡くなり、歌舞音曲が十五日間停止になる
1月Y藪入り閑散、皇太后崩御で盛り場自粛
1月M浅草花屋敷でキネトスコープ(のぞき見式活動写真)封切、シカゴ市街の馬車・自転車などの往来/都
1月H初天神、参詣人なかなか多く繭玉屋37軒/報知
2月H節分、浅草観音亀戸天神とも静か
2月M回向院の大相撲10日間で15876人・1550円、茶屋及び桟敷屋等を合せ7250円、2700円程の利益
3月Y神田川上座でシネマトグラフ(映写式活動写真)を興行
3月M水天宮、参詣人にて停車場ことのほか雑踏、お札の贋造数百枚摘出⑥
3月M神田三崎町に東京座開場、千六百人収容、桟敷5.5円・高土間4.5円・平土間3.5円・大入り場30銭
3月J神田錦輝館の活動写真興行、延長広告をだす/日本
4月M浅草奥山に大名行列人形、丹精こらし好評⑥
4月M赤坂溜池の演技座で着色活動写真昼夜2回⑬
4月Y灌仏会、晴天で各寺院賑わう
4月 歌舞伎座で子供芝居が演じられ、五月には浅草座、十一月には新富座で興行される
4月M歌舞伎座福地桜痴の新作「俠客(オトコダテ)春雨傘」好評
5月M水天宮、近来にない賑わい⑥
5月M神田錦輝館でヴァイタスコープ(着色活動写真)が人気を博する
5月 中村歌吉右衛門・沢村小伝次らの子供芝居が浅草座で旗揚げし、人気となる
5月M六日目の相撲で、鶴ヶ浜が37回連続のマッタ
5月 浅草公園に日本シネマトグラフ(映写式活動写真)館開場                   
6月M麻布熊野神社大祭、金閣寺の箱庭、すこぶる見事①
6月M川上座『鉄世界』大入りにつき一週間日延べ
6月 回向院で奥田の西洋軽業が興行
7月M四万六千日、天気悪く飲食店・見世物等当て外れ⑩
7月G歌舞伎座、「小猿七之助」は淫猥極まる狂言との批判に中止、閉場/時事
7月M藪入り天気悪く、浅草公園界隈の飲食店大外れ、吉原は中々の景気⑰
7月M入谷の朝顔、明けぬうちから見物人多く、午前七時頃には飲食店客止め
8月H成田鉄道開通以後、参詣者が激増
8月Y入谷の朝顔市賑わい、飲食店も盛況
8月Y両国の川開きで、橋の欄干が落ちて死傷者十数人
8月M深川八幡祭礼、雑踏一方ならぬためため永代橋は車馬往来止め⑮
9月M向島の萩園、盛りにつき朝より杖曳く人多し⑧
9月M芝神明の祭礼、大喪中で羽衣の練物なく、若者の釣り狐の手踊りのみ
9月M川崎大師、前夜雨にもかかわらず参詣人多く賑わう
10月M虎ノ門琴平神社大祭、常より一層参詣人多く、スリ狩り⑫
10月Mベッタラ市、小伝馬町・本石町・人形町等に非常なる人出、浅漬け大根上物18銭・下物5銭
10月M向島須崎町の萩の園の菊、朝より杖曳く雅客多しと
10月M日本橋福傳神社の恵比寿祭、大中にて社内の祭礼のみ
10月M麻布仙台坂、仙華園の菊、八間の花壇培養
11月Y団子坂の菊人形16~17軒でて盛況/読売
11月Uフタコブラクダなどの戦利動物を展示するため、上野動物園が拡張される/上野動物園百年史
11月M浅草田圃の二の酉、人出が多いなか急な雨で数万の群集が小松橋に集中しケガ人数十人
12月M愛宕の市、認可商人1918で前年より98人増加
12月M浅草観音市、羽子板三尺物8~10円、1尺八寸もの1円50銭~2円
12月M神田明神歳の市、一夜でスリ40人拘引
12月 英国ウィルソン一座が回向院で曲馬を興行