戦勝に酔えない三十八年の庶民娯楽

江戸・東京庶民の楽しみ 136
戦勝に酔えない三十八年の庶民娯楽
一月旅順のロシア軍降伏/五月日本海海戦/九月日露講和条約締結
・戦争に勝ったけど・・・
 正月二日、旅順陥落の朗報が入る。三日の新聞には、戦勝の余響で初出も景気がよさそうと、書かれている。しかし、二日後には、好天に恵まれたにもかかわらず初卯の参詣人はチラホラ、全般に不景気と論調を変えてしまった。その後、初水天宮や初巳には、大勢の人々が参詣し守り札を買い求めているが、店の売り上げをあげるまでにはならなかった。日本橋区深川区の板ガラス組合や小間物化粧品組合、塩問屋、米穀取引組合、乾物問屋組合などが日比谷公園に、約4千人を集めて旅順陥落の戦勝会を開いた。神田でも提灯行列が催され、戦勝ムードは次第に高まっていった。その後、旅順陥落を祝した祝捷会は全国各地で行われた。吾妻橋サッポロビールでは軍用模範大軽気球があげられた。
 日露戦争活動写真は、一等70銭から五等20銭と少々高めの料金設定ではあったが、明治座で元旦から上映され喝采を博した。この映画は一月の半ばより浅草の国華座で、その後、赤坂溜池の演技座でも上映された。また、浅草公園江川座で別の戦争活動写真が、本郷座でも従軍実写ものが、二月には歌舞伎座でも日露戦争の活動写真が上映された。前年の暮れまでは、女義太夫、落語、講談ともいずれも不入りであったが、旅順陥落後は、目立って景気付き、ことに女義太夫が大入りになったように、大衆レジャーに回復の兆しが見えてきた。
 ただし、花見の人出を見るかぎり、大衆の遊びへの気運は冷えきったままである。読売新聞の「もしほ草」には、この年の花見について、ただ人がどやどやと出るばかりで、例年のような賑わいがない。それは、時局に考慮して控えめにしているからであろう。楊枝で重箱の隅を掘じくるような警察の干渉が影響して、皆ビクビクして、警察が大目に見くらいの道化さえ見ることができないのは甚だ淋しい、とある。
・祝勝会に動員される市民
 それに対し、神武天皇祭に日比谷公園で、10万人も動員する大規模な祝捷会が開催された。公園の前では警官が参加者を手振りだけで誘導し、押し寄せる見物人をコントロールした。行進は軍隊式で、兵隊の経験のな-者ばかりであったができばえは見事であった。それはどこの小学校でも行進の教練が行われているためで、会場内の整列にしても、各団体ごとに場所が指定されており、警察の力を借りなくても順調に運んだ。宮城前の広場は大きいもので、10万人の人間が全員整列し、天皇に対して「万歳」が三唱された。10万人の小旗が翻った光景は、壮観であった。その後、行列は上野公園に向い、不忍池の周りに整列し、本式の祝賀が行われた。また、演説や仕掛け花火、池の中に造られた要塞を爆破する鉄嶺焼討も行われ、大音響とともに催しは終了した。
 三月の奉天会戦五月末の日本海海戦によってロシアには大きな損害を与えた。といっても日本側もさらに戦争をする余力はなかった。戦争に勝ったというよりは、双方ともそれ以上はもう戦えないから終わらせた、というのが実情。ともかく戦争に一区切りがつき新たな戦いはない、ということから、六月の戦捷祝賀会は、多くの人々に安堵感を与えた。劇場観客は、春頃から増加し、六月、七月には前年の五割以上に増えている。七月、両国・銚子間に避暑回遊列車が運行されたところを見ると、金持ち連中は遊びに出かけはじめた。しかし、日枝神社赤坂氷川神社の祭礼を見るとまだ質素で、軒提灯を掲げるだけというありさまだった。大衆は、再三の祝捷会に費用を使い果たし、地域の祭を盛り上げる余裕をなくしていたようだ。
・疲弊の著しい庶民たち
 この当時、戦場に行かずに済んだ人までが疲弊しきっていた。戦争遂行する費用は、国民の負担となり、非常特別税が三十七年三月、三十八年一月に実施された。増税額は戦前の租税収入とほぼ同じくらいの約1億4千万円、つまり二倍の税金を取られたといっていい。さらに国債も五回にわたって募集。募集とはいっても、一軒一軒戸別訪問して勧誘するという半ば強制に近い方法もとられた。集められた総額は、約4億3千万円であった。それだけでなく、各区役所を窓口とした「恤兵金」の献納、毛布や靴下などの献納も学校を通じて行われた。
・日比谷焼打事件と征露凱旋大歓迎会
 戦争に勝ったと思っていた国民にとつて、締結されたポーツマス条約はあまりにも期待外れであった。講和条約反対集会が大阪や名古屋などで開かれ、東京では九月五日に日比谷公園で開催されることになっていた。しかし、混乱を恐れた警視庁は、大会の禁止を通達、発起人らを検束、公園の各門を閉鎖した。それでも参集した人々は、数万人にものぼり、公園に入ろうと実力突破をはかって国民大会を開催した。大会終了後、二重橋に向かった群衆はそれを阻止しようとする警官と衝突、その後は市内の派出所を焼き払い、内務大臣官邸、新聞社などを襲うという大暴動に発展した。
 日比谷焼打事件の暴動は、組織的ではなく、個々に不満を持った大衆が起こしたものであった。日比谷公園に集まった人々は、戦争に勝てば生活が少しは良くなると期待して頑張ってきたのに、何も変わらないのでひどく失望していた。政府の高官たちは戦時中のストレスを解消できたが、低所得者層になるほど戦時中の抑圧は解消されにくかった。花見や祭は自粛させられ、毎日、長時間働いてただ寝るだけという変化の乏しい生活が二年近くも続いていた。為政者は、一年以上の長期にわたる戦争を遂行させるには、国民の緊張をゆるめるような遊びを意図的に与えなければならないはずであった。それなのに、日露戦争は国民の士気を高めることだけに力が注がれ、貧しい人たちほど圧力をかけられた。彼らの我慢の糸も切れる寸前だったに違いない。
 十月、バルチック艦隊を撃破した東郷平八郎らの連合艦隊が凱旋し、上野公園で征露凱旋海軍大歓迎会が催された。凱旋門は京橋、日本橋、四谷、上野、神田、浅草、赤坂、青山、新宿などの町々におもいおもいの趣向を凝らしてつくられていた。イルミネーションで飾られた品川駅の凱旋門は、ひときわ光彩を放ち、帰還を祝う雰囲気を最大限に盛り上げた。東京は連日、凱旋兵を迎える熱気につつまれ、交通機関がマヒするような人出と賑わいが続いた。以後、日比谷公園を会場にして、芸妓の仮装ホーカイ節や太神楽の曲芸、模擬店が出され、凱旋歓迎会が続々と催される。十二月にも陸軍大歓迎会が開催された。もつとも、大衆の多くは、沿道で出迎えるために動員されても会場に入ることは許されず、会場を取りまく野次馬として扱われるにすぎなかった。 

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明治三十八年(1905年)の主なレジャー関連の事象
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1月 明治座大本営許可写真・日露戦争活動写真を挙行
1月Y亀戸の妙儀社などの初卯は好天にもかかわらず、不景気にて参詣人少なし/読売
1月Y初水天宮、旅順陥落の快報で前年に勝る人出、御守り札売り切れ
1月Y浅草の珍世界で七本足の奇馬、金銀目の白猫、十五貫余の大南瓜などが陳列された読売新聞5月17日

1月Y日比谷公園で旅順陥落の祝勝会
1月 吾妻橋サッポロビールで軍用模範大軽気球を催し、会費15銭、軍人無料
2月M伊藤侯、ドウスル連になる/都
2月M歌舞伎座の活動写真、セントルイス博覧会を加え大入り
2月M紀元節、上野・浅草・日比谷公園など中々の人出、飲食店も相応の潤い
3月M奉天占領の祝捷会、各地で式や提灯行列・旗行列などが催され、動員10万人
3月M落語の人気回復のため落語研究会を結成し、日本橋常磐津倶楽部で第一回を催す
4月M神武天皇祭に合わせた祝捷大会、二日伸びる、日比谷公園に5万人、上野不忍池で鉄嶺焼討を催す

4月Y花見の人出は多いが盛り上がりを欠く、向島で迷子21、喧嘩3、酩酊56
4月M京橋区月島で明治大学校運動会、2500名参加
4月M靖国神社遊就館付属パノラマ館開館
5月M靖国神社大祭、7日間天候に恵まれ最高の人出、パノラマ館だけで1万人を超える
5月 歌舞伎座で若葉会第一回の文士劇を興行する
5月 平民社が初のメーデー集会「五月一日茶話会」歌舞伎座で若葉会第一回の文士劇を興行する
5月 慶応義塾学生が日比谷公園でフートボール挙行
6月M日比谷公園東京市戦勝祝賀会を催す、また各所にても祝捷
6月 明治座日露戦争従軍の特派員撮影の活動写真興行
6月M日枝神社赤坂氷川神社、両祭礼質素に執行
7月M豊竹呂昇一座が新富座で六年ぶりに上京して興行、午後五時開場、50銭~20銭
7月M両国・銚子間に避暑回遊列車が運行
7月M浅草四万六千日、早朝より参詣者多く出商人も多く景気づく
7月M賽日、浅草公園はいうまでもなく各所閻魔堂・遊び場は前日の倍の賑わい
8月F日比谷公園内の音楽堂で開堂式が行われる/国民
8月Y両国の川開き、例年にない人出、迷子20・喧嘩36・酩酊69、乗合船大人15銭・小人10銭
8月Y新宿まで電車が開通して、十二社の滝の人出増す
8月Y芝浦海岸で水神祭を兼ねて花火打ち揚げ
9月 日比谷でポーツマス講和反対国民大会、焼き打ちに発展、市内各所に検問所を設置
9月 松旭斎天一歌舞伎座で欧米帰国後初の奇術興行、1円~30銭、市内不安のため不入
9月M戒厳令中の月見、愛宕山・品川・高輪・御殿山・上野見晴らし・神田明神など中々の賑わい
9月M各神社、大祭を延期
10月Y団子坂の菊人形、日露戦争ものなどで賑わう、大人5銭、小人3銭
10月Y上野公園で征露凱旋海軍大歓迎会が開催される
11月M酉の市、浅草、四谷、品川などで催され繁盛する
11月M靖国神社大祭、午前中から立錐の余地なき賑わい
11月M凱旋歓迎会が始まる、日比谷公園に芸妓の仮装ホーカイ節や太神楽の曲芸、模擬店等催す
12月Y歳の市、市内各地で催され賑わう
12月M上野で征露凱旋陸軍大歓迎会が開催される