四十年戦後不況でも庶民娯楽は盛況

江戸・東京庶民の楽しみ 138
四十年戦後不況でも庶民娯楽は盛況
二月足尾鉱山で暴動/七月第三次日韓協約調印
・戦争恐慌下の東京勧業博覧会
 一月、東京株式市場の相場が暴落し、日露戦争後の恐慌がはじまった。不況は労働争議を激化させ、この年は、全国で165件と明治年間で最も多く、過激なストライキが発生した。全国的に低所得層の生活が厳しくなり、東京も例外ではなかった。仕事を失い、東京に住めなくなる人が多数でてきた。そのため、それまで増加の一途であった東京市内の人口が減少するという現象が起きた。しかし、なぜか東京の大衆は、景気とは関係なくレジャーを楽しみ、すこぶる活発に動き回っていた。
 正月二日には雪が降って、道路がぬかるみ歩けないため初詣は少なかったが、日比谷公園で消防出初式が盛大に催され、初卯や初金比羅と人出が多くなった。藪入りには浅草や上野をはじめ、繁華街は大賑わいであった。二月、浅草観音堂を初めとする各地の節分絵が賑わった。劇場も、大入や満員、日延べ等の広告を出すなど、盛況の様子が感じられる。三月、上野公園で第六回東京勧業博覧会が開催された。この博覧会は、東京府日露戦争終了を受けて計画したもので、殖産興業を目的としたものだった。しかし、戦後の平和を待ち焦がれていた当時の社会状況から、大衆にはお祭色の強いイベントとして受け入れられた。
 博覧会最大の呼び物は、ウォーターシュートである。精養軒の脇の崖から不忍池に向かって設置されたこのボートは、8人の乗客を乗せ、頂上から滑り落ちるように水面に飛び込むというもの。船内の客は衣服を濡らさずに着水できるはずであったが、時にはかなり水を浴びることもあったらしい。ちなみに乗船料は20銭。博覧会の入場料を大人が10銭、小児5銭(休日大人15銭小児10銭)も取っている割には、高い料金だ。さらに観覧席を設けて、夜間もイルミネーションをつけて営業。ウォーターシュートを見物するだけで5銭も取ったというから、いかに人気があったかがわかる。
 また、もう一つの呼び物は、第一開場の中央、今の国立博物館の正面の広場にある六角形の噴水塔で、裾野から噴水する水が六段の石階にあたり、落下する流れを数十のカラフルなライトで照らすという凝ったものだった。他にも、室内温水プールやシャワーバスを備えたアスレチック施設、電気応用の奇術を演じる不思議館、機械館、教育水族館、外国館などが設置されていた。開催期間は七月の末日までの130日間で、680万人の人々を迎えた。この博覧会は、ウォーターシュートを電気で昇降させ、夜間には3万5千個というイルミネーションを点灯、一晩の電気料が1300円にも昇ったという、電気文明の到来を示す大イベントであった。
 四月の新聞には、上野周辺が賑やかなのに対し銀座付近は寂寥と書かれている。花見時の博覧会には、約13万人も訪れている。これだけの人間が上野を訪れていることから、隣接する上野動物園などにも人々は立ち寄っている。動物園は、キリンが展示されたこともあって、四月だけで28万人もの入園者数を数え、年間で33万人も増え112万人になった。博覧会の人出を当て込んでか、浅草観世音をはじめ、芝山仁王尊・黒本尊、泉岳寺の摩利支天・釈迦八相、最教寺の日の曼陀羅西新井大師、麟祥院の春日の局、護国寺の如意輪観世音、誓願寺善光寺如来、伝通院で大光院の呑龍上人と、開帳も多かった。博覧会のお祭気分に、財布の紐もゆるんだのか、劇場や寄席などにたくさんの人が足を運んでいる。
・市民の遊び心は復活
 大衆の生活は決して楽になっていないと思われるのに、劇場観客数が前年よりも33万人、見世物が63万人、寄席が42万人増加し、合わせると132万人もの観客が増え、1,208万人になった。増えたのは見世物や寄席だけではなく、行楽や飲食などにもおよんだ。日露戦争以前の観客数と比べればまだその数を上回ってはいないが、戦争で抑圧されていた遊び心がまた元に戻りつつあった。このようなレジャー活動の活発化は、博覧会の開催が大きく影響し、春先から行楽への出足を煽り、大衆はそれらに踊らされるように出歩いていた。また、全国的な不況下で労働争議が多発しているが、東京の大衆はレジャーに関心が向いていたのか、大きな騒動には至らなかった。
 さて、観客数の増加をさらに詳しく見ると、一月の芝翫歌舞伎座で「みだれ焼」を上演し、好評で入りが良かったように、劇場観客数は一興行あたりの観客数が増加し407万人。見世物の観客数の増加は、活動写真興行が急激に多くなったことによる。当時、活動写真は、見世物の一種として分類され見世物観客数として集計されていた。そのため346万人を記録している。寄席は、興行数自体が増加しているとともに、六月に桃中軒雲右衛門が本郷座で一ケ月にわたって満員の記録を作ったように、浪花節の人気も観客数の増加に大きく寄与している。寄席観客数は、450万人であった。
 前年都新聞が募集した「演芸三傑」には、160万票以上の投票があり、当時の寄席人気を証明して見せた。最も人気のある芸人は、浪花節が鼈甲齋虎丸(16万9千票)、義太夫が竹本羽太夫(16万8千票)、落語が柳亭燕枝(14万4千票)、講談が昇龍齋貞丈(8万4千票)であった。各部門の投票数は、浪花節が61万票、義太夫が42万票、落語が33万票、講談が27万票(但し、千票以上の投票があった芸人の合計票数)。この比率には、義太夫人気が陰り、浪花節が流行していた当時の寄席状況を反映したものと思われる。なお、明治四十年の寄席観客数は、450万人であった。

────────────────────────────────────────────────
明治四十年(1907年)の主なレジャー状況         
────────────────────────────────────────────────
1月M正月は雪で人出が少なかったが、初卯・初金比羅や藪入りは賑わう/都
1月M日比谷公園で消防出初式、盛大に催される
1月Y藪入り、浅草・上野など大賑わい/読売
1月Y義太夫と五厘の衝突、五厘の手を離れ神田新声館で興行
1月 ジャクラー操一一座が東京座で、動物大魔術、空中美人の夢などの奇術を興行する
2月M浅草観音堂をはじめとする各地の節分会、いずれも賑わう
2月 浅草公園の美観のため繁華地を取り払う
2月M新富座の活動写真、足尾銅山大騒擾の実況、アラビアンナイト、ロビンソン漂流一代記、70-15銭
3月M上野動物園にキリン展示/上野動物園百年史
3月Y上野公園で東京勧業博覧会が開催、平日大人10銭、小児5銭(休日大人15銭小児10銭)
4月U上野動物園、大人5銭小人3銭に値上げ/上野動物園百年史
4月M博覧会を当て込んで、浅草観音、芝山仁王尊、泉岳寺摩利支天、西新井薬師など開帳多し
4月Y東京勧業博覧会でウオーターシュート人気、乗船料20銭、見物料5銭、夜も営業
4月 芝公園で婦人博覧会開かれる
5月G牛込神楽坂上高等演芸館の第二回歌劇大会でファウストを上演/時事
5月M靖国神社例祭、博覧会に人を取られる
5月M博覧会夜間開場5万人を超える
5月Y池上競馬に臨時列車運転
5月M浅草三社祭・上根岸三島神社・南品川寄木神社など各地で祭礼
6月 東京勧業博覧会の演芸館で猿若狂言が演じられ、好評
6月M桃中軒雲右衛門、本郷座で一ヵ月満員の記録をつくり、浪花節の人気が急上昇
6月M錦輝館で神刀流剣武術大会、講談や薩摩琵琶等を興行
6月M博覧会、不忍池で仕掛け花火、人出多く架出しの飲食店が陥落
7月Y博覧会、福引き人気で最高の人出
7月 東京勧業博覧会の演芸館で六斎念仏踊りが演じられる
7月 開盛座で「貞女の鏡」「星旅行」などの活動写真を福引き付で興行する
8月M隅田川灯籠流し、両国橋と両河岸は一杯の人出
8月 神奈川県下の避暑客8248人、鎌倉2228人
9月M寿座が水害義援活動写真、明治座も25銭均一水害救助興行
9月M芝虎ノ門金比羅、おびただしい参詣
9月T女子学生の徒歩旅行が流行/東京日日
10月M本門寺の会式、十年来の人出、迷子37、酔漢178、喧嘩69
10月 錦輝館で「史劇魔国」「天上界の釣道楽」などを興行する
10月M一位局葬儀、沿道に各町の団体等が堵列する
10月M浅草珍世界に人魚の見世物
10月J浅草公園内の怪しげな飲み屋が新聞縦覧所の看板を揚げる/日本
11月G日比谷公園で全国連合自転車大会が催される
11月G本郷座で「ハムレット」が原作に忠実に上演される
11月Aハワイのセントルイスが来日し、慶応や早稲田と野球試合⑧/朝日
11月M初酉、浅草田圃、四谷須賀神社など参詣者多く、相応の収入
12月M浅草の歳の市、出店商人数1250