江戸・東京庶民の楽しみ 149
大正二年後半、景気は下降で娯楽も停滞
・七月「有栖川宮斂葬日」「謹んで休業 淋しい浅草」十八日付東朝
七月、藪入りの日は暑い一日。一本4銭の扇を手にした小僧さんたちが大勢、上野や浅草へ繰り出した。上野三橋のお閻魔様の片側一帯に店が立ち並び、小僧さんたちは閻魔堂から公園内の明治記念博覧会のジオラマや動物園へと流れて行った。動物園の入場者は昼までに5千人は固いとある。公園前から出る浅草行きの市電は雷門で空になり、小僧たちは四発1銭の射的場をのぞき、一杯1銭の五色の水を手に、木馬館や十二階、水族館などに向かった。藪入りの翌日は「有栖川宮斂葬日」のため、浅草をはじめ映画館や劇場等は、こぞって休業、見出し通り“淋しい浅草”となった。
二十一日付の新聞(讀賣)には、珍しく開帳の記事。「出開帳の粉擾歛(ヲサマ)る」と回向院の開帳にトラブルがあったことで取り上げられている。開帳は、明治の中頃から徐々にレジャーの色合いは薄くなっていたが、大正期にはさらにその傾向が強まり、開帳本来の宗教色の濃いものになっている。
・八月「花火の両国 相変らずの大雑踏」三日付讀賣
雨が心配されたが、二年ぶりということもあって多くの人出が予想された。露店の数は吉川町から旧広小路にかけて80余軒、横綱から国技館にかけて150軒あまり、揃って客を待ち受けていた。両国橋では午後六時に路面電車を止め、両国橋東詰めでは相撲茶屋が桟敷を拵えて客を呼び込む。中には笛やお囃子で景気をつけるところも。桟敷の料金は、一等50銭、二等30銭、三等20銭。まだ日の暮れていない四時頃に、すでに桟敷の三分が埋まるという盛況ぶり。観客席は桟敷だけでは足りないとみえ、渡しの発着所に伝馬船を並べ、こちらは10銭・20銭という安さを売り物にした。夜になると、陸と海の双方に提灯の光が揺れ、万燈の影が動き始める。七時二十分頃、川中が一瞬明るくなり、待ちに待った花火がようやく始まった。十時頃まで続いたこの年の一番の見物は、紫宸殿右近の桜左近の橘、約十間の破風造りの大御殿であった。
五日付新聞(讀賣)には、大川名物の夕涼みの記事がある。両国では、一時、屋形船が姿を消し、芸妓を呼んで舟遊びをするという、粋な夏の風物もすたれてしまった。それが数年前に復活し、今度は逆に数がふえて大伝馬船が14・5艘以上も見られるようになった。ただ、柳橋が全盛だった頃の両国夕涼みの面影はなく、むしろそれは隅田川の向島に移ってしまったとある。また、両国の花火を真似て行われるようになった玉川の大花火は、数十軒の料理店や数百の灯籠流しなど、年々盛んになっている。さらに、品川でも花火があり、鴎外の妻と娘が泊まり掛けで見に行っている。
お盆の深川八幡祭は、八幡の門まで露店がぎっしり並び、神輿が置かれている露店の合間には、夕涼みがてらスイカをかじる女性や子供の姿があった。広い境内がただ人で埋まり、隅には素人芝居の小屋と剣舞が7・8軒並んでいた。この深川八幡からは洲崎遊廓に流れる人も多く、八幡様の御利益で大繁盛と書かれている。
・九月「秋楽しお中日、何処も一杯の人出」二十五日付東朝
夏からの巡回活動写真は九月になっても引き続き盛況らしい。特に、映画館の少ない郊外の農村で、趣味と実益をあわせもつ教訓的な映画を興行し、人気を博した。例えば、三鷹村の東西小学校では2千余人もの観客があり、すこぶる好評であった。
彼岸の中日は晴れ上がり、朝早くから市電は満員、特に青山や谷中の墓地は人で埋まった。六阿弥陀詣では八十八ヶ所の大師参りも相応の賑わい。御詠歌や鉦の音、読経の声が秋の空気に響いて集まった人々の心をなごませた。「動物園、浅草の活動街、日比谷、芝新公園何処へ行っても人と人の鼻突合をしないのが不思議な位であった」というから、多少の誇張があるとしても、かなりの混雑だったのだろう。目黒の栗飯、雑司ヶ谷の焼きとりなどの名物を目当てに出かける人も少なくなかった。向島百花園の萩は盛りで、亀戸天神や愛宕神社も秋祭りとあって、樽神輿を担いだ子供たちが駆けまわっていた。
・十月「市内と近郊の菊 何も見事の出来栄」二十九日付東朝
十月はキクの季節。「早い菊晩い菊」と国技館恒例の菊人形を紹介。桃太郎・二見浦・雪月花の五段返しの豪華な人形に活動写真でおなじみの「新馬鹿大将」も加わって、入場料20銭は高くないとの評判。菊見のイベントは、向島百花園、日比谷公園のほか、玉川遊園地などでも催され、玉川電車は日曜日の乗客に入場券を配るサービスをしている。
また、浅草、常盤座で演じられた我廼家五九郎一座の喜劇は初日から満員の客止め。日本最初の活動写真館である電気館では十周年を迎え記念企画を開催。さらに、三カ月前から期待されていた公衆劇団の第一回上演が帝国劇場で開催。「マクベスの稽古」「茶をつくる家」など識者の間で前評判の高かった「エレクトラ」も上演にこぎつけている。十七日に芝居を見た芥川龍之介は、その時の感想を「とにかくエレクトラはよかった」と興奮さめやらぬ筆致で書き記している。
「休日に関する件改正公布」で、政府はなぜか十月三十一日を天長節祝日(大正天皇は明治十二年八月三十一日誕生)と定めた。一回目の天長節祝日には、新聞に「大提灯行列」Aと紹介されているように、「実業団体四万人」に加えて市内の小学生が旗行列を披露、その数18万本、また錦にような華やかな花電車も繰りだされ、盛大な行事となった。この日は上野や浅草などで遊ぶ人が多く、混雑による事故は、迷子23人、スリ5人などと上野署から報告された。
・十一月「一の酉の美観大雑沓」十三日付讀賣
十二日は「酉の市」。人の大勢出るところにはトラブルはつきもののようで、酔っぱらい2名、迷子5名、喧嘩1件という記事が出ている。明治時代の浅草に比べると、それでも混乱は少なくなった方だとか。二の酉も盛況だった。月末には、東京座や浅草国技館で拳闘対柔術の試合が行われた。拳闘は離れて、一方、柔術は組んで戦うもので言ってみれば異種格闘技の元祖。これがなかなか人気があったとみえて、翌月も興行されている。柳盛座での試合は、特等50銭から四等の15銭までと比較的安い。
・十二月「深川の歳の市 品物一向に売れず」十五日付讀賣
師走恒例の「歳の市」は、深川八幡を皮切りに、浅草観音、神田明神などと続き、どこもそこそこ賑っている様子。もっとも、出かける人は明治期よりも減少し、どこの家庭でも出かけるという行事ではなくなった。都新聞の連載「暮の貧民窟」には、不景気で最下層の人々の生活が一層厳しくなった様子が書かれている。二十八日から三十日まで入場料5銭と値下げした浅草の常盤座や吾妻倶楽部なども“手引女”が入口に立ちつくすようなありさまで、年の暮れというのに、市民レジャーは冷えきっていることがわかる。
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大正二年(1913年)・・・9月阿部外務省政務局長暗殺
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7月4読 大森の大煙火
10読 浅草四万六千日雑踏を極める、1株3~10銭、1鉢3~4銭
12朝 有栖川宮薨去、浅草公園興行は御停止
15朝 富士館「新馬鹿大将ボビー」他大入り日延べ
17読 日盛りの藪入り、上野・浅草など賑わう
18朝 有栖川宮御斂葬日、浅草など謹んで休業
20読 避暑地便り、非常なる景気
21読 回向院で紀伊那智補陀洛山寺の開帳
25森 妻、茉莉、杏奴、鵠沼より還り
31朝 御一年祭の市中 青山の人出数万
8月1読 品川お台場に無料納涼地開く、飲食店・余興あり
3読 両国川開き、相変わらずの大雑踏
10万 玉川の花火、電車で4千人余、スリ等6件、拾得物1件
10森 妻と子供が泊り掛けで品川へ花火見物
16万 電気館「何が故」連日満員
16読 深川八幡祭は、夕涼みがてらの人々で一杯
21読 大正婦人博覧会、向島華壇にて開催
21読 西新井大師、川崎大師へ臨時増発
9月2読 巡回活動写真の盛況
6読 水天宮、露店数百軒出店し雑踏する
8万 日比谷公園で対支那問題国民大会、2万人警備の警官3千人
18読 浅草三社祭
19万 歌舞伎座で浪界五傑大決戦
22読 24・25日、亀戸天神・成子神社・とげぬき地蔵など大祭
23万 有楽座「内部」芸術座の初日満員
25朝 秋楽しお中日、何処も一杯の人出、朝から電車は満員
26万 電気館「宇良表」大好評
30万 帝劇「マクベス」空前の盛観
30万 渋谷金王氷川神社大祭、素人大相撲
10月4読 常盤座の曽我廼家五九郎一座の喜劇が盛況
7読 両国国技館の菊、毎日5~7千人の見物
7万 露店に電灯が許可
13朝 参詣の人幾十万人 池上本門寺会式は大混乱
17芥 龍之介、帝国劇場でエレクトラを見る
18読 早稲田大学三十年記念、大提灯行列、沿道の歓迎
19森 鴎外、帝国劇場に往き、女がたを看る
19万 キリン館、天然色活動写真、連日満員
20読 ベッタラ市非常なる雑踏
20朝 日曜日の文展、入場者1万2千人
21万 みくに座、小奈良、大入り満員
22万 招魂祭、花火・里神楽・能楽・相撲等あるがその割に人出少なし
23森 鴎外、家族と展覧会を看る
30朝 天長節祝日には大提灯行列、錦にような花電車もでる
11月2森 鴎外、妻と子供三人を連れて小石川植物園
3朝 靖国神社で東西対抗学生相撲大会、観衆5万
5万 帝劇「千本桜」他森律子で初日大入り
9都 宮戸座「鎌倉山桜御所染」「神道水滸伝」好評大入り
13朝 浅草一の酉の美観大雑沓、酩酊者2名・迷子5名・喧嘩1件
16万 帝国館「白と黒」昼夜満員
25朝 徳川慶喜公薨去、東京市の申合せ歌舞音曲の遠慮
25読 押し潰されそうな景気、夜の浅草二の酉
27万 東京座で拳闘対柔術試合、浅草国技館等でも興行
12月3万 米大リーグ初来日、模範試合が行われる
5芥 龍之介、帝国劇場でバッハなどを聴く
7万 新富座の越後一座の語り物大入
12万 有楽座で初の発声活動写真、好評
13万 柳盛座で拳闘対柔術試合、特等50銭・一等40銭~三等20銭・四等15銭
15読 歳の市、深川八幡相応に賑わうが品物一向に売れず
18読 浅草観音歳の市、雪の影響でも相応に賑わう
22朝 神田の歳の市、見張りの巡査は200人
25森 鴎外、樅の木に燭火を點し、クリスマスの 真似をする
27万 メキシコ特使の歓迎会、提灯行列など出て 2万人