東京大正博覧会で賑わいを取り戻す大正三年前半

江戸・東京庶民の楽しみ 150

東京大正博覧会で賑わいを取り戻す大正三年前半
大正三年、シーメンス収賄事件の暴露から、政局は混迷を深めるばかり。八月に第一次世界大戦が始まる。日本経済は、一時的にせよパニック状況におかれた。
 不況の中、三月には東京大正博覧会が開催され、市民に明るい話題と楽しみを提供した。市民レジャーは、博覧会に刺激されたのかその後も活発で、川開きやお会式、文展などの賑わいが続いた。
・一月「護摩の煙絶ず」「外人も交じる参詣者」二日付東朝
 新聞を見ると、元日から人々が活発に動いている様子がわかる。一番人気はやはり初詣で、川崎大師などでは午前七時の段階で、すでに数千もの人がごった返していた。また、七福神から観音様へと、向島や浅草、上野などを巡り歩く人々も紹介されている。このように初詣に出かけた人は非常に多く、東京の人口の半数以上の人が出かけたものと思われる。
 市内でもっとも賑わったのは浅草観音仲見世通りは人で身動きができないほどの混雑ぶり。その後の人の流れは、六区や花屋敷の方面に向かう。小屋掛けの猿芝居や玉乗り、大晦日から休みなしで営業している映画館など、お正月を意識した華やかな看板に誘われてか、どこも満員だった由。
 二日になると、初売りがはじまる。街中はまだお正月で、不景気といわれてはいるものの、人出は前年より多そうだ。元日の市電東京駅の乗降客は、7千7百余人と前年より千人以上増加。結局もっとも人気があったのは映画で、「大儲けは活動ばかり」とは新聞の見出し。
 正月気分が、三箇日以後も続いていたと見えて、十日の虎ノ門の初金比羅も参詣人が多く大混雑を極めた。歌舞伎座(「冥途の飛脚」)も本郷座も大入り。その後の藪入りは、浅草六区の映画館や上野の動物園も大入り、各閻魔堂も早朝から賑わった。さらに、亀戸天神の鷽替も盛況が続いた。
・二月、映画をのぞきレジャーは低調
 成田山の豆撒きは、この日だけで8万人もの人出。川崎大師や市内各所の社寺へも大勢出かけている。この人出は、町内の誰かが出かけている程度、東京の人口の一割近くになる。
 六日には、国技館で憲政擁護会が1万5千人の集会を催している。九日は蓬萊座の演説会。十日、日比谷公園松本楼で国民大会。十四日にも第二回国民大会。このように二月に入ると政治活動が活発化し、議会包囲や軍隊出動の記事が新聞を埋め、レジャー気運を冷まさせた。
・三月、大正博覧会一色「長軀のミイラ禅師の遺物」「子供も大人も驚く魔術」三日付讀賣
 三月に入ると、新聞記事から博覧会熱が高まってきたことがわかる。前売り券の売行きも好調で、開会前日までに50万枚売る目標が、実際は60万枚と10万枚も多く売れた。
 料金は、七年前の東京勧業博覧会より五銭値上げされ、日曜・祭日用が二十銭、平日が十五銭。またこれとは別に、一日・十五日は日曜の半額と思い切って割引をおこなった。これは職人の休みを考えてのことであり、一人でも多くの人に見てもらおうという施策でもあった。しかし、実際には、入場料金が半額になってもなお、博覧会に行けない貧しい人々が多かったことも確かで、結果を見ても、半額デーの一日と十五日の入場者が他の日より特に多いという事態にはならなかった。
 二十日には、まだ未完成の建物もあったが、一万人近い招待客を呼び、博覧会の開会式は賑々しく催された。一般の入場者に対して、数百人の警官が誘導・制止にあたり、午後二時頃からようやく入場が許された。開場三十分で1万人近い人がなだれ込むという大変な混雑ぶり、5万人入ったという記事もあった。が、実際には1万4千人程度であったようだ。さらに、二十八、二十九日には約12万人が入場し、以後、続々と市民が見物に訪れた。
 なお、人々が注目したのは、博覧会の展示物よりケーブルカー(料金15銭)やエスカレーター(当初10銭が人気で15銭に)などであった。
・四月「咲いた咲いたと」「大正博花の美観」一日付東朝
 この年のお花見については、大正博覧会が開催された関係から、大正博覧会の記事とセットで紹介されている。例えば一日付の新聞(東朝)では、上野公園の桜の写真とともに、大正博覧会の催し。三日の日にも「花曇りの大正博」という写真と、前日の大正博覧会の入場者数が日中6万4千人、夜間2千9百人であったこととともに、向島や荒川のサクラの紹介をしている。その後も、五日には靖国神社境内の写真、六日も大正博第一会場のサクラの写真。ところでこの年は、花見に関連する記事や写真は例年より多いものの、馬鹿騒ぎをしている記事は少ない。これは、大正博覧会に紙面を奪われたというだけではなく、皇太后の病状が悪化していたために、大衆が花見に浮かれている様子をそのまま書くことにためらいがあったためと思われる。
 博覧会に関するおもしろい記事(讀賣)がある。博覧会が始まって以来、落とし物の数が三割増加とか。もっとも増えたのはやはり金銭で、二月平均が一日13円24銭5厘であったのが、三月には45円23銭3厘とほぼ三倍になっている。
 品物で言うと、風呂敷包みの弁当箱(まだ食べていないものがほとんど)、それから地方から出てきた人が落とすのはお土産の絵はがきや地図、傘も多い。一日当たりの遺失品は、70~80点にものぼり、金額にして百円位になる。意外と多いのは博覧会の福引券で、5円や10円の当選番号もあるという。土産は東京土産が多く、魚や果物などの腐りやすいものは、売ってお金にして保管されているという。さらに記事によると金銭を落とした場合、半分は落とした人の手に戻るが、品物の場合は、上等な物でない限り戻ることはあまりないとのこと。
・五月、大正博の「美人島に閉場を命ぜよ」七日付讀賣、「皇太后宮大喪儀」二十五日付万朝
 五月に入り、例年なら行楽シーズンたけなわのはずが、なぜか市民のレジャーはあまり盛り上がっていない。靖国神社大祭も、元帥や大将等お歴々が参拝しているにもかかわらず、訪れる人が少なく淋しい限りと書かれている。さては、市民は皆博覧会に出かけたのかと思いきや、博覧会の入りもさほど多くなかった。
 ちょうどその頃、神田須田町のもっとも目立つ場所に「美人島旅行館」なる毒々しい広告が立った。これが実は大正博覧会の目玉イベントの一つでもあった。いかなるものかと覗いてみると、これがなんと俗悪極まりない見世物だったらしい。ちなみに、プログラムには「火焰の美人、蛇体の美人、無頭の美人、一千年の怪美人など」とある。
 だが実際には極めて幼稚な、くだらないもので、例えば美人島専属女優と銘打ったヤンキーダンスは「お転婆女の跳ねっかえり」、さらにモスコー女優のサロメダンスは芸術の名を借りた挑発的で醜態なものと新聞は切って捨てている。また、場内は薄暗く、空気も悪い有害な環境であると批難し、事務局は勇断をもって閉場を命じるべき、と断じている。
 新聞(讀賣)は、連日、博覧会関連の記事で持ちきり。七日の日だけでも上記の他に、競馬大会、自転車・自動車等の各種競技会、不忍池にモーターボートを浮かべたこと、牛込芸妓踊り、山形の竜神舞い、さらには演芸場での賭博事件、火事騒ぎ、とてんこ盛り。もっとも記事になるわりには、博覧会の入りはあまりよくなかった。おそらく皇太后が亡くなり、市中の商店や浅草六区の映画館などが休業したことも影響したのであろう。
 五月の末には、大正博覧会では景気挽回策として「豆蔵・曲独楽・阿呆陀羅経・新内流し・綱渡・女太夫・影芝居等」の八つの演し物を無料で見せ、入場者の増加につとめている。
 ・六月、博覧会の入りはよくないが市民レジャーは活発に
 六月、梅雨に入り外出がおっくうになりがちだが、相撲や開帳などに人出がある。新聞では博覧会の盛況を伝えるが、市民の博覧会熱はとうに冷めていた。博覧会へ誘うイベントは、蛍狩りなど連日のように新聞に載せられている。しかし、入場者数は天候に左右され、晴れないとなかなか出かける気にはならない。
 そんな中、森鴎外は、二十日小雨の中、娘の茉莉を連れて博覧会に出かけ精養軒で食事をした。 

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 大正三年(1914年)・・・1月シーメンス事件問題化

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1月2朝 川崎大師の初詣で、満員の京浜電車が人を送り込む
  2朝 浅草観音、電車から吐き出された人で仲見世は身動きとれず
  5読 大相撲、諸物価の高値で木戸代値上げ     
  5読 本郷座・明治座等売切れ満員           
  5読 浅草公園みくに座、発声活動写真に楽燕の 連夜大入り満員
  11読 初金比羅、参詣者夥しく大混雑を極める   
  17読 藪入り、浅草六区の映画館はどこも大入り満員
  17読 大相撲春場所七日目、午前中に木戸止め   
  17森 鴎外、奉告祭に参列のため賢所へ       
  26読 亀戸天神、鷽替で賑わう            
  27読 大正博に際し交通整理で浅草露店の160軒が半分になる大恐慌 
2月5朝 成田山の豆撒き、八万人もの人出      
  7万 国技館で憲政擁護会、1万5千人集会
  4万 大勝館「クイン」上映大好評
  8読 都座、露国女優ダンス又々日延べ
  8読 浅草朝日館「空中の秘密」他連日満員
  10万 第一福賓館「天馬」大入りにつき日延べ
  15万 帝国館「軍神」満員盛況三日間日延べ
  16読 観梅臨時列車運転
3月2読 好天気で浅草に人出
  2読 百花園に五色の梅植え、清興
  2万 市村座憲兵の娘」青年新派好評大入り
  8森 鴎外、終日異様に暖かなり、園を治す
  10森 鴎外、靖国祭のため正午退衛す
  15朝 新富座「渦巻」毎日売切れ
  15読 六阿弥陀
  15万 キリン館「新四谷怪談」大好評
  21日 上野公園で東京大正博覧会が開催される
  28万 トルストイの「復活」帝国劇場初演、30万満員御礼
  31読 大正博覧会の入場者、雨でも見物8万4千余
  31朝 電気館「アントニークレオパトラ」他日延べ
4月2読 夜の博覧会初日、1万1千余人入場、入場料5銭
  2読 松阪屋が記念売出し
  2読 歌舞伎座、連日売切れ
  4読 早稲田大学運動会、午後に場内埋る
  4読 神武天皇祭の博覧会、朝から雑踏、二会場は淋しい
  7読 今年限りの荒川堤の花
  9読 灌仏会、雨天にもかかわらず浅草など皆混雑
  9読 隅田川のボートレース明大活躍
  17読 大正博覧会、大評判の薩摩踊りの行列
  21芥 龍之介「人形の家」他を見る
5月1読 靖国神社大祭、元帥大将等参拝するが大変淋しい
  3朝 戸塚球場で早大対明大、観衆5千人
  6読 水天宮正五九の縁日
  7読 遊楽館の活動「冒険談猿が島」好評
  7読 大正博、卑猥風俗と美人島に閉場を命ぜよ
  11朝 青山と芝浦からの飛行、大正博訪問は中止だが群衆5万と3万
  16読 大正博、前日の入場者数2万4千余人
   万 「クレオパトラ」上映続く、4日葵館・10日第五福賓館・17日第三福賓館・30日明治座
  25万 皇太后宮大喪儀、浅草写真館など休業
  31読 大正博の景気挽回策に豆蔵・曲独楽・綱渡り等の八景展示
6月1読 花月園、新装披露
  8読 大相撲夏場所九日目は随一の大入り
  10朝 深川不動開帳七日間日延べ・23読180発花火揚げ盛ん
  13朝 常陸山引退相撲、正午満員
  14森 鴎外は類と神田川へ、妻と茉莉は帝国劇場 
  15読 大正博で蛍狩り
  20万 キリン館史劇「全勝」新派悲劇「女伯爵」盛況
  20森 鴎外、茉莉と大正博覧会へ
  23読 国技館の大花園、ショウブ・ダリアなど百種を飾る
  24読 大川筋、水泳場開き
  29読 東京競馬二日目、日曜なので甚だ賑わう