大正六年後半も浮かれる庶民

江戸・東京庶民の楽しみ 157

大正六年後半も浮かれる庶民
 六年の後半に、それまでとは何か異なるファクターを感じさせる記事が目に付くようになる。それは六月に、東京湾水質汚染が進む様子。水質汚染は、月島や隅田川などの水泳場に現れ始めた。当時は、水泳場の禁止というだけで、環境問題などには踏み込んでいない。確かに、庶民には未来を推測することはできないものの、やがて生じる問題を暗示するにもかかわらず、不透明なまま通り過ぎることになる。
 次は、八月一日からの活動写真興行規則実施。検閲が娯楽にも浸透し、フイルムのチェックだけでなく、何と男性と女性を分けて別席にするとか。現代ではこのようなナンセンスな対応は、考えられない事である。昭和に入ってさらに強化するのであるが、その布石と思わせる。
 十月一日の東京湾台風。東京の下町、月島、築地、深川などが浸水し、死傷者など千五百人余、甚大な被害を被った。しかし、その復興がどのように進められたか詳細はわからない。たぶん、蔑ろにされたようで、庶民をイベントや娯楽に熱中させることで気を紛らわさせていたような気がする。

・七月「三号地(月島)だけでも五万人位の水泳者」十六日付東朝
 七月が近づくにつれ各地の水泳場が開場。月島三号地では、月島水泳場組合が入場料を5銭から10銭に値上している。とはいえ、市内の水泳場は、水質悪化で遊泳に適さない場所が増えているようだ。二日付(中央)で「水泳禁止 腐敗した水伝染病も危険」という見出しがある。それによると大川筋(千住から下流)はもともと、腐敗物や塵芥などが流れて水が汚れ、到底游泳に適さぬ状況とか。ただし、それに代わる所がないので翌年からは禁止になるだろうと、書かれている。しかし六月十三日付の新聞(萬)には、「隅田川の水泳は本年より禁止」と、すでに許可した水泳場まで、禁止にしてしまった。その代わり、月島外海岸と芝浦埋立地には水泳場の数に制限をつけて許可するという。
 それでは大正六年頃には、隅田川で泳ぐ人はいなくなってしまったのかと言えば、そうではないらしい、実際は浅草より上流のあたりで大勢の人が泳いでいた。たとえば、向島の言問では、近隣の小学生が集団(学校の水泳教室)で泳いでいた。とはいっても、川の汚染はひどく、川底にヘドロが溜まっていて、生徒が川岸で丸太につかまって両足をバタバタさせると、水が真っ黒になって白い褌もどす黒くなったほど。が、それでも隅田川で泳ぐ人は、あまり減らなかった。他方で、王子電車が水泳教師をつけて指導する荒川水泳場も開場。水泳は月島に移り、三号地だけでも五万人位の水泳者があるに違いないという賑わい。また、この年の七月にはYMCAに室内初の温水プールが開場されるなど、水泳は徐々に市民の間に浸透していった。
 七日、浅草の四万六千日、両国や薬研堀などの草市は例年通り行われている。草市の相場は、蓮の葉が一把8銭・真菰30銭・蓮花一把20銭・籬垣20銭・草物一束5銭・麻幹50銭。また、都新聞主催の新子安の海水浴場も、例年通り楽隊や花火などで開場式を行なった。藪入りには、小僧さんたちが一斉に浅草へ向かう。映画は、富士館「チャップリンとチビの心中」、大勝館「忍術十勇士」が人気。演劇は、公園劇場「牡丹灯籠・伊勢音頭」、観音劇場「実説佐倉義民伝」など。涼を求める人々で憩う「尾久の大滝」は、日光華厳の滝を模した高さ六丈(約11m)もある。さらに3銭払えばラジウム水浴及び温浴休憩所などが自由に使え人気を集めた。四谷津の「守むちの滝」も、庭園がきれいになり、電気で滝を落とすから“涼味”が増したとのこと。目黒植物園では、数千鉢のアサガオを陳列し即売。
  川開きは、二十一日午後二時には早くも警備の警戒態勢が敷かれ、四時半ごろには浴衣掛けの客が集まってきている。浜町から両国橋にかけて設けられた観覧席は、30銭から1円と、四年前と比べると二倍にはね上がった料金にもかかわらず完売。三井物産、日米石油、日本製糖ら大企業、兜町の成り金などの団体客が続々と席に着き、なかにはモーターボートで見物に来た景気の良い客もいた。むろん、大川筋の料亭や待合は満員で、柳橋見番では350人もいる芸者が六時ごろには出払って、目の回るほどの忙しさ。花火見物の開場では、芝居をまねたのか枡席のようなものを作り、そこには産業界や銀行・保険業界など「当世成金競べ桟敷の上の御歴々」とでもいうべき人々でにぎわった。隅田川に漂う遊覧船の数も、午後八時頃には約3万艘と、前年の2万艘に比べて1万艘も多く、とりわけ素晴らしいものであったと報じている。なお、川開きが、年々盛大なっていったのはわかるが、遊覧船の数は明らかにおかしい。
・八月「昨日から実施の活動取締」二日付東朝、

   「避暑客が増加」十六日付時事
 八月一日から活動写真興行規則が実施され、フイルムのチェック、男女別席などの取締が始まった。演劇はチェックを受けないのに映画だけという不満は多く、映画館員の実施の状況を訪ねたら、別に以前と変わらないとのこと。ただ、帝国劇場での映画「潜航艇の秘密」は、満員だが男女別席励行で混乱したと。
 この年、成金の避暑客が増加した。鉄道は客が増え大忙しだが、客のマナーが低下したと。市民の多くは、身近な場所で素人相撲や祭、花火などを楽しんでいた。夏祭と言えば深川八幡だが、神輿が48台、獅子が3台で三日間にわたって催された。毎年何かしらのトラブルがおこることから、警察は事前に総代並びに神輿監督120名を召喚している。その時の訓示は次のようなものであった。神輿に二名以上の監督をつける、大神輿は十六歳以上の男子に限る、喧嘩口論及び他人に迷惑をかけない、裸や酒気帯び、裸足、異様な変装を禁じ、白丁を着ること、そして最後に、警官の命令に従わない者は厳罰に処すというもの。
 二十五日付の新聞(讀賣)に「六年振の大花火」と紹介された大花火が芝浦で興行された。延長二百余間(360m以上)の大桟敷は観客で鈴なり。料亭いけす見晴をはじめ浜の家・三よし・春の家・照元磯野家等は前日からの付込み客で立錐の余地もないほど。打ち上げ花火だけで数百本、呼び物の仕掛け花火は千代田城の情景で横十二間(約22m)・立て四間半(約8m)もある壮麗なもの。長らく途絶えていた花火であったが、やってみると意外に好評であった。
・九月「秋の祭 景気は成り金祭り」十五日付讀賣
 九月に入るとまずは、本年初の戌の水天宮。参詣者は郡部からはもちろんのこと、千葉・埼玉・茨城・群馬・神奈川など他県から上京する人も多くなった。これは、博覧会などの大きなイベントを目当てに市外から訪れ、そのついでに水天宮へも出かけるようになったからだろう。始電が走る前にすでに百人以上もの人が開門を待ちわび、折からの小雨にも負けず参詣者が続々とやってくる盛況だった。
 人が動くのは景気が良いからである。祭りも日本橋小舟町の八雲祭が十九年ぶりに復活し、大賑わい。町内の意気込みはひとかたならず、獅子頭に木遣りの声も勇ましく4百人で練り廻す、芳年筆の岩戸神楽や大蛇退治、20間(約36m)もある菊慈童の大山車や人形舞台など、「景気は成り金祭り」と書かれるほど。続いて、彼岸の墓参りと共に参詣者の多い大師詣と六阿弥陀の案内。大師は、下谷区上野町一乗院・池之端實生院・谷中自性院・同多實院・谷中上三崎町長久院・同明王院・同観音寺・同西元寺・同初音町観智院・日暮里長福寺・同浄光寺・下尾久村阿避院・根岸不動堂・浅草区金栄町仙蔵院・同本智院・浅草区南松山町大乗院など21ヶ所。六阿弥陀は、(東方)上野広小路常楽院・田畑興栄寺・西ヶ原無量寺・元木西福寺・沼田延命寺・亀戸常光寺(西方)芝西久保大養寺・麻布飯倉善長寺・三田四丁目西林寺・高輪北町正覚寺・白金台町正源寺・目黒祐天寺。
 この年渋谷に初の劇場がオープン。郊外の人口が増えたことと、景気が良く芝居を見る人が増えたことが背景にあった。もっとも芝居自体は、「芸の善し悪しはしばらく言うべきでない、渋谷辺であのくらいの芝居が見れるようになったのは劇界の進歩である」(十日付以下讀賣)と書かれているから、まだ、中身はさほど充実していない様子。全体的に劇場の宣伝が多く、十六日付では、帝劇の第二回女優劇、有楽座の少女歌劇、本郷座のハムレット、それに新富座、観音劇場、公園劇場、みくに座、常盤座、演技座、明治座と金竜館は曽我廼家五九郎一座。中でも、最も人気があったのは五九郎の喜劇であった。映画ではチャップリンが全盛で錦輝館やキネマ倶楽部等で上映。電気館では上映映画に「チャップリンより以上欧米人が熱狂せる世界俳優……」という宣伝文句を揚げたが、これでは逆にチャップリンの人気を証明するようなものであった。
・十月「お会式の賑い 正午迄のお賽銭金千円也」十三日付讀賣
 三十日の夜から一日の未明にかけて台風が通過し、死傷者1,470人、行方不明54人、床上浸水78,952という被害。そのため、新富座は四日から開場、明治座は七日に開場するという有様。
秋の行楽シーズンに入ったが市民は、復旧に追われレジャーどころではなかった。それでも池上のお会式は、前年と打って変わって露店400軒が立ち並んだ。参道には朝早くから人の流れが見られ、その中に帝劇女優の小原小春と初瀬涙子の艶やかな姿も見られた。正午までにすでにお賽銭が金千円也に達し、夕方からは更なる賑わい。万灯が訪れ夜になれば、団扇太鼓の音も高く、新たに設けられた講社の部屋には約1万人の客が泊まったと書かれている。
 秋晴れの日曜日は、上野の化学工業博覧会へ2万人もの人が出かけた。市内は芝・日比谷公園などが賑わい、郊外では目黒・池袋方面、向島百花園井の頭公園など、市中・市外共に賑わった。十月はスポーツも盛んで、一高、日本歯科医学専門学校、高等師範、明大などが運動会開催。その他、野球、テニスなどの試合があちこちで催された。また、恒例の文展も開かれた。
・十一月「連日満員 ジャンダアク」三日付万朝、

    「化工博日延べ」十日付讀賣
 十一月の初旬には各地で子供デーが開催。三日は化学工業博覧会で、この日の入場した小学生は2500名、その他保護者同伴の子供が8400名、と合計1万人を超える。化工博は、この日子供一人毎に対して風船・手帳・鉛筆・インキ・ゴム鞠等を贈った。浅草では四日、浅草仏教青年伝道会が九時から、浅草田島町誓願寺では午後一時からお伽劇・少女オペラ等を催した。さらに府下中野桃園小学校で四日に中野コドモ会。有楽座子供デーは毎週日曜日、奇術演芸・お伽劇・百面相等を披露。また三友館では一日から少年少女も入場できるようにと、曽我廼家一座等の喜歌劇やダンスを小人3銭と破格料金で興行。
 三日は一の酉にあたり、この年の熊手は前年より三割も高く、2~5寸が18~25銭、3尺の特製5円、4尺は10円であった。大鷲神社・四谷須賀神社・新宿花園神社・深川公園大鷲神社など、どこも開門と同時に参詣人が押し寄せ、非常な賑わいを見せる。浅草の活動街は、酉の市が土曜日であったことから、前日から雨にもかかわらず相当の前景気であった。キネマ倶楽部の「ジャン・ダアク」は特に人気で、客が殺到し、連日満員となった。
 化学工業博覧会は連日満員の盛況で、十日間日延べして結局二十八日に閉館した。九月からの総入場者数は、約60万人と発表。博覧会側では感謝の気持ちとして、二十七・八日の有料入場者には陳列品(日用品)を福引きで贈呈。二十九日には、満都の好評を博した「国技館の菊」も春場所準備のため閉館。国技館独特の七段返しの巧妙さは一層、熟練を増して日夜大入り、森鴎外も十一日に家族で訪れている。さてその国技館だが、同二十九日に全焼し、相撲をとる場所がなくなってしまった。来場所も迫っているというのに、年寄りを始め相撲関係者らがあまり深刻になっていないのが不思議である、と書かれている。
・十二月「今年は大入り大当たり」十六日付讀賣

    「銀座のザラ市」二十五日付讀賣
 納の水天宮頃からはじまる年の瀬恒例の行事は、好景気を反映してかどこも活気がある。泉岳寺の義士祭は、浪曲剣舞等の余興もあって盛況のようだ。銀座のザラ市は出店数が353軒。鴎外が妻や娘の類を連れて行った浅草観音歳の市は近来にない人出、風水害のため大根をはじめ総じて二割高だとある。品川署管内では114の浴場が入浴料を3銭から4銭に値上げ。だが、このような値上げ記事にも深刻さは見られない。
 十二月に入っても松旭斎天華の奇術は人気が衰えず、演技座で公演している。演し物は「不思議なボックス」。前月、常盤座で興行した時には、ボックスに入る松旭斎天華の体を少しでも掴むことができれば懸賞を差し上げるという広告が出ていた。映画館も劇場も盛況が続き、一日の封切りはキネマ倶楽部が「最暗黒の露西亜」「ミラの秘密」、三友館が「少女歌劇と曽我廼家珍奇劇」など。開場は明治座が「棹尾の大芝居」、歌舞伎座が「竹元越路太夫」などであった。
 この年の演劇界は大当たりの年で、浅草に観音劇場(前年暮れ)と公園劇場、駒形劇場ができ、3千人収容の吾妻座が次年度にオープンする予定。帝劇で毎月満員が続いたことでもわかるように、市内の観客数は前年よりも83万人増えて536万人になった。また、初春の芝居は、本郷座・公園劇場・みくに座などで、暮れの勢いを借りて新年のスタートを切ろうと、大晦日を初日とする劇場が増えている。
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大正六年(1917年)後半のレジャー関連事象・・・十一月石井・ランシング協定締結/ロシア革命
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7月6日 成金国の夏 素晴らしい勢いの避暑客
  8読 チャップリンの映画、電気館・富士館で連日好評満員
  10読 草市、蓮一把8銭・真菰30銭など
  13読 警視庁、活動写真興行取締規則を公布
  13読 新子安の海水浴、賑やかに開場
  16朝 上景気・好天気に日曜日、藪入りの上野浅草や月島の水泳賑わう
  16読 公園劇場、新築開場以来、未曽有の盛況
  20日 月島に無料水泳場
  21森 鴎外、子供達と銀座へ資生堂で憩う
  22読 両国川開き、人出去年の三倍、これも景気の反映
  26読 隅田川納涼会1円50銭、弁当酒付
  29森 鴎外、妻・子供達と不忍池のハスを看る
8月2朝 昨日から活動取締実施(男女区別等)
  5森 鴎外、妻・子供達と目黒植物園へ
  5朝 盛んな素人相撲
  9読 浅草キネマ護る影大会、大好評
  9読 月島や荒川等で水泳大会
  11森 向島百花園、放虫会
  16朝 みくに座の名人大会満員御礼
  16万 深川八幡夏祭り、深川は人の波打つ近来の大賑わい
  16時 避暑客が増加、鉄道各線は大忙し
  20朝 帝劇「魚屋宗五郎」他連日盛況
  23森 鴎外、子供達を率い神田川
  26読 芝浦大花火、六年ぶりで意外の好人気 
  29万 帝劇、映画「潜航艇の秘密」満員だが、男女別席励行で混乱
9月6読 戌の水天宮、小雨に負けず盛況
  10読 渋谷劇場初開場
  15読 十九年ぶりの八雲祭、大賑わい        
  16読 明治座・金竜館で五九郎の喜劇
  18読 彼岸、六阿弥陀10ヶ所と大師詣21ヶ所   
  19永 荷風、市ヶ谷から九段を散歩
  21万 上野不忍池畔で化学工業博覧会開催、出品4万余点
  21読 有楽座の少女歌劇、連日大入り
  21森 鴎外、類と神田川へ、根津神社行祭礼
10月2朝 新富座、暴風雨出水で休場、四日より開場
  13読 池上お会式の賑わい、正午までにお賽銭金千円也
  13読 一高、歯科医専、高師、明大など各地で運動会開催
  13読 国技館の菊人形、好評            
  15読 秋晴れの日曜日、化工博・上野・浅草など、市外も賑わう
  18日 人で埋まる文展、入場者1万134人、入場料30銭
  20読 ベッタラ市は不況
  23森 鴎外、妻・杏奴・類と植物園で遊ぶ
  29森 鴎外、妻と泉岳寺参詣
  30森 鴎外、類と動物園に往く
11月3都 コミック踊りの禁止
  3万 キネマ「ジャン・ダアク」連日満員
  3・4読 化工博などあちこちで子供デー
  3読 三友館の喜歌劇とダンスなど破格興行、大人5銭小人3銭
  4読 一の酉、開門と同時に参詣人が押し寄せ非常な賑わい 
  10読 化学工業博覧会、盛況で日延べ、60万人の入場
  11森 鴎外、妻・次女と国技館に往く
  22森 鴎外、類と浅草に往き汁粉喫す
  24読 国技館の菊、七段返し等大入り好評      
  28朝 風の三の酉、浅草大鷲神社4万枚の福守りを出し切った 
12月5読 演技座、松旭斎天華の奇術、常盤座に続き大盛況
  5朝 麻布第二金沢亭の名人会、連日満員
  5読 納の水天宮、応援を求めて警戒
  9永 荷風、帝国劇場、久しぶりの芝居見物
  15朝 深川八幡歳の市午後九時頃から俄に人出
  15読 義士の祭典、浪曲剣舞等の余興
  18森 鴎外、妻・類と浅草歳の市へ
  19万 浅草歳の市は近来にない人出、取扱い事故500件
  21万 景気の良い神田明神の市、露店1千、お飾り類は二割高
  25読 銀座のザラ市、出店353軒
  31朝 電灯飾りと楽隊で大景気の銀座街