忍び寄る制裁や弾圧前の大正七年後期の庶民

江戸・東京庶民の楽しみ 160

忍び寄る制裁や弾圧前の大正七年後期の庶民
 値上げの波が浸透し始めている。バブルも始まっているようだ。下層庶民の生活は、日に日に苦しくなっているようだが、金持ちはさらに豊かになり、貧富の差が広がりつつある。それでも、何かにつけて遊ぼうとする庶民の勢いは止まらないようだ。
 映画(活動)取締で一万人以上が制止・注意を受けている。思想的弾圧が広がる中、東京帝国大学学生を中心とした「新人会」が結成された。翌年二月に機関誌《デモクラシイ》を創刊し、思想運動団体の活動が展開することになる。政府のさらなる制裁や弾圧が進むことになる。
・九月「暴風雨の警報 浅草公園の活動や劇場は看板を外して早仕舞」十五日付讀賣
 九月には42道府県311の市町村に波及した米騒動も、東京ではその後それほど大きな騒ぎは起きず、演劇や映画など市民レジャーはもとのように盛況となった。帝国劇場の「露国舞踏」などが初日満員。婦人子供博覧会の最終日も混雑、早川雪州と青木つる子との共演映画「火の海」が連日大入りとなるなど、東京は他の地方とは情況が若干違っていたようだ。ただ、米価の高騰は下層階級の生活を直撃した。その上、二十四日の台風によって、本所や深川わ中心に市内は大洪水、その後も停電が何度か続いた。また、スペイン風邪が中旬より流行りはじめた。そのためか、行楽の人出は例年よりかなりすくなかった。
・十月「記録を破った文展初日 素晴らしい景気 午前中五千名」十六日付讀賣
 上野竹の台で開催中の文展は、小糸源太郎氏が出品洋画を切り裂いたというセンセーショナルな噂も逆に功を奏したのか、定刻前からすでに数百人もの観覧者が列をなすという人気。売約済の作品数は50点以上におよび、六曲屏風一双(題名牛)の4千円を最高額に合計2万1千円余に達した。これは、文展始まって以来の売上げ。記録を破ったのは、入場者数ではなく成金景気による作品の販売金額であったというわけだ。
 二十九日付の新聞(讀賣)には、「深川の細明町に実費共同浴場」という記事がある。これは下級労働者は生活苦で風呂にも満足に入れないことから、大人2銭小人1銭という安い風呂を新築するという話。安い風呂屋をつくるとなると方々から反対運動があるかもしれないが、成績がよければ深川区内にさらに二三軒作りたいとの意向らしい。このように諸物価高騰で1銭2銭の風呂代にも困窮している人々が大勢いる一方、同じ紙面に「恐ろしく贅沢な演奏会 成金の令嬢たちの大浚ひ」という対象的な記事も。これは数日間借り切りにされた大劇場を舞台に、成金令嬢たちによる大演奏会が催されたというもの。少女たちは、数百円もする豪華な衣装に金銀の鎖の下がった筥迫を押し込み、まるで役者のような化粧。劇場の廊下には、彼女らに送られた花輪や飾り物が足の踏み場もないくらいに並べられ、その絢爛さは全く目のくらむ程であった。親たちの出費は、幾百円千円にも上り音楽堂一軒がが建てられる位。つまりこの日の演奏会は、娘を種にした成金の豪奢比べであったと新聞は皮肉っぽく報じている。また同じ紙面に、浅草花屋敷の観覧料の値上げ広告(大人15銭小人10銭)もある。
・十一月「日本晴れの天長節 至る所大賑」一日付讀賣
 天長節の日、代々木が原での観兵式が中止になったのを知らない人々が、青山・原宿・代々木・新宿の入り口に早朝から十時頃まで押し寄せて、人で埋まった。観兵式の取り止めにがっかりした人たちの大半が浅草に流れたため、六区の映画館や見世物は満員客止めの凄まじい景気となり、仲見世から六区へは人が鮨詰状態であったと。上野公園は、動物園、文展や美術協会展工芸品発明品展覧会などがかなりの人気を集めた。
 十一日は快晴の日曜日、一の酉は成金景気に乗じて二尺物三尺物大熊手が威勢よく売られ、5円10円という馬鹿値もお構いなしの大繁盛。浅草をはじめ深川・四谷・品川・目黒の大鷲神社は大変な人出を見せた。酉の市の景気を受け、市内の各興行物は溢れるような入りであった。
 二十一日には第一次世界大戦の休戦大祝賀会が日比谷公園で開催された。朝から花火が盛んに打ち揚げられ、正午開門と共に6万人の入場者が雪崩を打って流れ込み、会場は人、人、人で埋めつくされた。会場の背後には、余興の掛小屋が建ち並び、喜劇・剣舞などが催された。夜になると、70あまりの組合の東京実業組合連合会10万人が馬場先門から二重橋前を一周して坂下門から宮城内に向かって提灯行列。勇ましい吹奏楽と万歳の声、五分おきに打ち上げられる花火、延々と続いた火龍は午後七時四十分に宮城参拝を終えた。人の波は、今まで運動場で露天余興が催される日比谷公園へと動き、その時の様子は「踊に歌に 日比谷の夜 二十万の人」(讀賣)という見出しで表現されている。この日は、馬場先門救護所では男女7人の迷子を保護。日比谷付近の救護所でも大人を含めて、17名が保護されている。この休戦大祝賀会の実況は、翌日、キネマ倶楽部と大勝館で上映された。
 大相撲は翌年の春場所から値上げが決まった。正面一坪六人詰12円(従来11円)・三方一坪11円・特等一人2円30銭・一等1円70銭・二等1円20銭・三等70銭・木戸60銭(従来50銭)となる。これと二十八日付の新聞(讀賣)に「慈善協会大会 渋沢邸の盛況」と、飛鳥山の渋沢邸の庭園にテントが張られ、陸軍軍楽隊の合奏が流れる中、約5百人の人が集まったと書いてある。同日の内容は、慈善についていくつかの講演と休憩時に寿司と甘酒の饗応・・・といったもので、午前十時に始まり午後四時まで催された。
・十二月「此の暮は 先づ上景気 中流以下の懐中にはまだ何の影響も無い」十一日付東朝
 十二月に入っても劇場は盛況だが、そんな中で一時は盛んであった日本橋中州の真砂座が閉鎖された。時と共に地の利が悪くなり、連鎖劇や活動写真に命脈をつなごうとしたが失敗が続いたらしい。ところで、この年の暮れの景気はというと、東京には、公設の歳の市で少しでも安いものを買おうとする人がいる一方で、成金とはいかないものの相応の収入を得た人がかなりいたようだ。二十五日付(万朝)には軍人に年末賞与がでたことが載っている。九月にも月給の四割という臨時手当を受け、今度の賞与は、給料の一カ月分。文官、陸軍省の給仕に対しても増額され13・4円の賞与がでた。景気を反映してか、諸物価の値上がりは歳の市でも顕著で、縁起物の羽子板は3~4割も、その他の品物も2~3割値上げされているとのこと。
 二十七日付(万朝)には「活動取締の効果」があって、映画の影響を受けた犯罪が減ったという記事。十五歳未満のため映画見物を制止・退場させた者が1万1千人以上。風俗を乱すような行為を見つけて説教した者が取締以前には211名あったのが20名に激減、退場させられた者も123名から13名に減った。さらに、映画に影響されて窃盗に及んだ事件も取締以前の42件から22件になったという。新聞は、フィルムの検閲と十五歳未満入場者制限の効果を強調している。このように映画の取締しまりは徐々に進んでいった。
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大正七年(1918年)後期のレジャー関連事象・・・十一月第一次世界大戦終結/十二月新人会結成
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9月1森 鴎外、妻子と植物園に往く  
  2万 帝国劇場女優劇「露国舞踏」初日満員 
  2読 涼しい博覧会数々の余興、入場者3万人と 
  9読 婦人博覧会最終日、場内至る所混雑 
  8森 鴎外、妻子と百花園で遊ぶ       
  9朝 三友館「乃木大将」初日以来連日満員
  12朝 院展初日、入場8千4百人
  14読 観音劇場新劇「残されし人」他大人気
  20読 月見、上野公園・愛宕山・九段・品川・向島百花園など賑わう
  23読 富士館、早川雪州・青木ツル子共演「火の海」他連日大入り御礼
10月5永 浅草観音に菊供養あり
  13読 池上お会式、観物小屋10軒・露店少ないが人出例年なみ
  16読 文展初日午前中に5千名、記録を更新     
  20朝 ベッタラ市賑わう、小一本10銭大30銭   
  25読 靖国神社大祭最終日、外苑の観覧物・飲食店・露店等賑わう
  29読 成金令嬢たちの恐ろしく贅沢な演奏会
  29読 浅草花屋敷値上げ、大人15銭・小人10銭
  31朝 キネマ倶楽部「護国の少女」連日満員    
11月1読 日本晴れの天長節、至る所大賑わい 
  4読 日比谷公園の菊大会、時ならぬ賑わい
  11読 日曜日の酉の市、市内各興行物は溢れるような入り
   11読 目黒競馬二日目、正午に千人を超える
  16読 慶応のカンテラ行列3千人、宮城前の壮観
  21永 欧州戦争平定の祝日なりとて、市中甚だ雑踏
  22読 日比谷で休戦大祝賀会、20万人の人
   28読 大相撲値上げ、正面一坪12円(従来11円)・特等一人2円30銭・一等  1円70銭・三等70銭・木戸銭60銭(従来50銭)

12月4万 常盤座「不如帰」素晴らしい景気  
  6万 水天宮、露店300余薄暗い頃から賑わう
  7万 新富座天一坊」他売切れ満員   
  10万 有楽座の天勝、大曲技滑稽奇術満員御礼
  15読 白木屋高島屋、下足番が汗だくだく
  15万 深川品調べ市、羽子板店22その他250~60軒、羽子板など3~4割高
  20読 軍旗祭、靖国神社に参拝するが余興なく極めて静粛
  21万 公設の歳の市、6ヶ所朝から非常な繁盛
  26永 荷風浅草寺に賽するや必ず御籤を引き