大正八年中期の庶民、まだ自由な感覚がある

江戸・東京庶民の楽しみ 162

大正八年中期の庶民、まだ自由な感覚がある
 江戸時代から50年、半世紀となる。奠都五十年の祝祭は盛大に模様され、東京市民は祝宴を自分達の祝いとして楽しんでいた。まだ世界大戦後の好景気の余韻が残っているが、その一方でじわじわと不況の波は確実に押し寄せていた。       
 読売新聞5月15日に、「五百の工場労働者 一萬二千人の為に 慰安会を開催する」本所の十九ヶ町連合会の計画があると。「労働問題は今や論議の時代を越えて実行の期に及んで居る・・・」と大正時代の中頃の自由な世情を伝えるものである。7月15日には「職工の値上運動に「御催促では恐入る」と笑って応じた鉄道院被服廠。8月12日には「労働慰安の園遊会、精養軒の催し従業員ら1,500人」とある。
 「避暑外人の分布図 四千名の軽井沢が其筆頭 温泉村や松島等も怡ばれる」等と、当時の外国人の様子を伝える記事がある。(読売新聞7月27日)
・五月「晴の奠都祭 江戸錦絵を今様の構図 行幸啓を仰奉りて」十日付讀賣
 五月は靖国神社五十年祭から始まり、一日、九段坂上には凄まじいほどの人出があった。翌週は、奠都五十年の祝祭。会場となった上野公園には、早朝から羽織袴やモーニングの吏員などが続々と詰めかけ、山下から万世橋にかけての沿道は人波が十重二十重となった。市民の式場入場者は約5万人。また、芝公園から新橋・銀座・日本橋などの御成道にも人垣が連なり、「市民沿道に跪坐して天顔に咫尺し奉る」という状況。式後の奉送も沿道に市民の万歳の声が響きわたった。夜は夜で、上野を中心に人波の渦をなし、不忍池畔にはアイスクリームや卵売りなどの露天が続き大繁盛、祝賀提灯・紅白の幔幕・飾り物・活人形などに人が集中して神田辺りまで市電が通れぬという有様。日比谷公園での余興等も大人気だった。市内の神社も一斉に奉祝大祭を開き、小学生の旗行列、山車に神輿、提灯行列、そして一番人気の大名行列・・・と、数えきれないほどの余興に市民は大喜びであった。
・六月「漁客三千名、玉川電車大繁盛」二日東朝
 六月一日は鮎の解禁、日曜ということもあって多摩川太公望が繰り出した。同じ紙面に、織物問屋が率先して、雇人酷使の旧習を打破する日曜休日の実行へ、という記事がある。日曜日に休める人々は、まだ当時は少数であった。
 月半ばには月島三号地の水泳場17軒が市から許可された。前年より5軒も増え、七月一日からの開場が待たれているとのこと。水泳場の大きさは、従来のものは間口九間半(約17m)奥行六間(約11m)であったが、新規は間口五間一尺奥行六間となる。これまで水泳場内で飲食物の販売ができたが、飲食店が4軒できたので今後は絶対に売れない。また、水面に櫓を建てることも禁止され、飛び込みの楽しみが奪われた。その上、月島は護岸工事のため翌年から水泳場の使用ができなくなる。従って、東京の遊泳場は芝浦に移るほかないが、芝浦とて安全な遊泳地でないから市内の遊泳はこの年が最後だろうと新聞は悲観的に報じている。
・七月「家庭博開る」十一日付讀賣

   「日本晴れの藪入り遠出連中の激増」十六日付讀賣
 一日、代々木原で平和観兵式、そして帝国ホテルで市主催の平和祝賀会が催された。記念のハガキ・切手(約11万枚)は午前中にすっかり売り切れ。観兵式には数万の観衆が出かけた。代々木界隈の人出だけでなく、上野や浅草公園も朔日を兼ねた祝日だけに人出が多く、六区の興行物は満員の盛況。夜には、日比谷公園で海軍軍楽隊の演奏、青山練兵場で救世軍の催しと提灯行列があった。
 上野公園不忍池畔で平和記念家庭博覧会が十日から六十三日間の予定でスタート。呼び物はヴエルサィュ宮殿(八百畳敷きの休憩所)、余興として喜劇・魔術曲芸・浪花節等の他に南洋産のドラゴン・ガラガラヘビその他珍動物などの姿も。さらに、盆には飛び入り勝手相撲、大噴水瀑布・数百の花壇等もこしらえて、納涼にもってこいと好評判。
 十四日付(東朝)には、一週間後の川開きについて好景気を反映して混雑を予想。二十一日付の新聞には、「米や豆や砂糖大盡が太平楽の煙花見物」という見出しで、川沿いの茶屋が繁盛している写真までつけて、派手に遊ぶ成金たちの話を書きたてている。ちなみに水上署の調べによれば、観覧船四千艘で、観客は1万3千人なりと。この数値は、例年適当に発表されていた数値とは異なり、かなり信頼できるものと思われる。
 この年の藪入りは、小僧さんたちが市内から外に出かける傾向が増してきたらしい。家庭博覧会や飲食店などもさほどの入りではなく、この日一番混雑したのは上野・東京・両国の各駅で、これからはどうやら世間に増えてきた成金の振舞いをまねての遠出が増えているかららしい。
・八月「婦人の水泳者 近頃滅切殖えて来た」九日付讀賣
 一日から四日間、賃上げのストライキで東京の16の新聞が休刊。二十八日には、小石川砲兵工廠の職工6千人が賃上げと九時間労働制の要求スト。この年は、あちこちで賃上げと労働時間短縮を要求する動きが多く、ストライキが多発している。その一方で、従業員への慰安の催しも目につき、十二日付の新聞(讀賣)には、精養軒で労働者千5百人もの園遊会が催された。
 この夏、婦人の水泳者が増えてきたらしい。泳いでいる場所は、銀座から五六町離れた月島の先の三号地。浜に軒を並べた水泳場の一つ、荒谷水泳教場には、小学校の生徒が百人余り泳いでいて、そこの水泳教師から婦人の水泳について聴いたところ、教場の婦人会員は十人余り。実際に泳いでいたのは十代半ばの女子学生数人。泳ぐといっても、紫や青の大きな海水帽子を被って水の中にいるという程度、スポーツというよりは水遊びのようなものであった。女性が泳いでいるのが新聞記事となるくらいだから、これはまだほんの一部の人たちのレジャーにすぎない。
────────────────────────────────────────────
大正八年(1919年)中期のレジャー関連事象・・・5月中国で五・四運動/6月ベルサイユ講和条約調印
────────────────────────────────────────────
5月2読 靖国神社の五十年記念祭、余興も盛ん人出は凄まじい
  10読 浅草帝国館「イントレランス」連日満員日延べ
  10読 奠都祭 上野を中心に人波の渦巻き
  12永 荷風、帝国劇場で梅蘭芳楊貴妃を聴く
  18読 夏祭り気分の浅草三社祭り         
  19読 三友館合同特別興行、馬・ダンス・独唱等連日満員
  20読 大相撲夏場所、日曜日に負けぬ大人気八日目 
  24読 客足思わしからぬ夏場所十日目
  27読 蔵前名物高工記念祭の素敵な人出
6月1読 三越で江戸風俗展覧会  
  2朝 漁客三千名、玉川電車大繁盛         
  2朝 「織物問屋が率先して、雇人酷使の旧習を打破する日曜休日の実行へ」
  2読 遊楽館「稲生武太夫」大好評の盛況
  2芥 龍之介、弟と電気館で「呪いの家」を見る
  5芥 龍之介、菊池寛と小柳で伯山の講談を聴く
  16朝 賑やかな安全日、初日の市中は何処も彼処も御祭り騒ぎのよう
  19読 浅草公園の芝居は紀伊国屋の全盛
  21読 演技座「中堂焼討ち」大当たり
  21読 準備成った水泳場 月島は五軒を増す 然も今年が最後
  23朝 歌舞伎座「一谷嫩軍記」満員御礼
7月1森 鴎外、妻子と小石川植物園に往く                         
  2読 代々木原頭で平和観兵式、帝国ホテルで市主催平和祝賀会
  2読 帝国劇場の女優劇、初日満員
  5読 玉川の花火、数百本
  11読 上野不忍池畔で平和記念家庭博覧会開催    
  15読 両国駅の乗客、日を追って激増        
  16読 晴れの藪入り遠出の激増 飲食店の不景気
  20読 暑劇化にいたる各所の水泳場盛んに賑わう
  21読 両国の川開き、観覧船4千艘
  28永 荷風、再び有楽座で浄瑠璃人形を聴く
8月1永 荷風、帝国劇場で牡丹燈籠を看る

  7読 避暑列車(夜行列車)土曜毎に日光へ                                   
  7読 帝国館「曲馬団の囮」大受
  9読 玉川の大花火、数千発の打上げ花火      
  10読 百花園の虫放会、文人ら5百余名
  10読 王子名主の滝、日々千人余行くが大部分は幼児の水遊び
  12読 労働慰安の園遊会、精養軒の催し従業員ら1,500人
  15読 月島の伊藤水泳場で水上大運動会
  17読 百花園の江戸趣味納涼会、九月十五日まで