大正十年前期 好景気の余韻で遊ぶ庶民

江戸・東京庶民の楽しみ 167

大正十年前期 好景気の余韻で遊ぶ庶民
 大正十年、原内閣の政治は、党利党略的で汚職を産み、社会・経済問題に有効な施策を打たなかった。そのため、不況は進み、労働争議が多発、政府弾劾や普通選挙実現などの集会は過激になった。市民の生活は物価が下落しても楽にならず、生活苦からの自殺や心中が新聞に毎日のように出た。さらに、原首相が暗殺されるなど不安な世相になった。
 東京のレジャーは、まだ好景気の余韻が残る中、民衆のレジャーは、金のかかるものは減ったが安価な行楽は落ち込まなかった。中でも花見は、これまでの最高の人出となり、上野や飛鳥山では不況の憂さを晴らすような騒ぎであった。この年の流行歌は、「赤い靴」「青い目の人形」の童謡と「船頭小唄」などが流行った。氷、一貫目に付18銭。
・一月「江ノ島鎌倉は寂しい」四日付讀賣

   「江戸風が減る」六日付都
 年が明けて二日付の新聞(讀賣)は初日の様子を「初日の出壮観」「夜来の残雪を踏んで上野竹の台、九段坂上愛宕山、山王公園、湯島、州崎、芝浦、品川海岸に・・・老若男女で賑いを見せ・・・地平線の彼方 五彩の雲を破って日輪」と報じている。初詣は、天候に恵まれなかったため人出もいつもの年ほどではなかった。例年の三箇日は、江ノ島や鎌倉は遊覧客で賑わうものだが、この年はひっそりで、それも日帰り客が大半を占めていたらしい。劇場の入りも前年よりかなり減少した。また、万歳や猿回しも少なく、“江戸風”の姿も薄くなったようだ。
 八日の初金比羅では、非番の巡査を配して警戒とあるから、徐々に市民のレジャー気運が高まっている。十五日付「春場所第一日 雨で連中席が僅かに満員」と言う具合であったが、二日目は藪入りに加えて学生の入場者も多く満員、三日目は藪入りと晴の日曜日で大入り。六日目もまず満員、七日目の国技館は雨が上がって兎も角相当の入りと、大相撲の人気は上昇気運。二十五日は「初天神」に加えて鷽替えで、亀戸天神は朝から素晴らしい景気。二十八日の初不動も、深川不動の境内は午前八時に「身動きもならぬ程の雑踏を極め」て電車の増発や臨時派出所を設置する程であった。
・二月「政府弾劾の日に二万の聴衆殺到す」十四日付東日
 世の中全体としては不景気であっても、節分となると、どの寺社も例年と変わらぬ賑わいを見せたようだ。また、普通なら冬枯れの時期にもかかわらず、演劇や映画は前月より興行数が増えたくらいで、客足はさほど減っていない。特に世界的バイオリニスト・エルマンが帝国劇場で開いたコンサートは満員の入りであった。
 一方、十三日付の上野公園両大師前の広場は、日曜でその上好天ということもあって、政治集会に2万人もの人々が集まった。汚職をはじめとする政府批判は日ごとに高まり、これ以後集会の内容も過激となっていく。また、不景気のため労働者の解雇件数も急増、それに伴って労働争議が多発、労働運動も活発化。そういった世相は、当然市民のレジャーにも徐々に反映されていった。
・三月「柔拳試合二日目は 日本人側の優勝」「大正衛生博開会式」七日付讀賣
 三月に入ると、柔拳試合(柔道対レスリングの試合)の話題が紙上を賑わしている。曰く、「商売人試合は数々ござる」と、試合を否定する了見は狭いとの見方。しかし、柔拳試合に出場すれば「破門は仕方ない」。そのような「柔拳試合者は事実上除名」という厳しい意見に対し嘉納会長は「除名せず」と声明を発表。「柔拳試合二日目は日本人側の優勝」という見出し。折りから日曜日と好天に恵まれ、前日にも増して観衆多く万余を数えた、と盛況を伝えている。観客の関心は、他流試合の是非論より、柔道対レスリング言い換えれば日本対欧米の勝負ということにあったのはいうまでもない。また、伝統的な相撲よりもっと激しい格闘技を求める人が増加したのだろう、七月になっても「柔道拳闘 好武家は見遁し給う勿れ」と、御国座が宣伝を出している。
 六日に大正衛生博開会式。大正衛生博覧会は、両国国技館で二日から四月二十日まで開催された。入場者数は、初日1,335人、二日目5,300人、三日目6,218人、四日目55,480人。余興場で開会式が行われた五日目は、日曜日とあって9万人以上の記録。また、二十日から(五月二十一日まで)お茶の水教育博物館で鉱物文明博覧会が開催。展示は、鉱物利用の歴史ということで石器時代の石器に始まり、日常生活と鉱物との関係なども紹介。「各女学校が有益で面白い出品競べ」が婦人や子供たちの関心を引いたらしい。
 十九日付の新聞(東朝)に「春の呼び物 賑う遊覧」との見出しで、当時の人出について知る貴重な資料がある。明治神宮の参拝者は毎日平均5万人、九段遊就館入場者毎日平均2千5百~3千人、上野博物館入場者毎日平均2千人、上野動物園入場者毎日平均6千人、浅草観音堂の御賽銭毎日百二三十円。が、東京市統計表を見ると、遊就館で千5百人、博物館は千人にも満たない、動物園にいたっては3千人と、かなり過大である。従って、これは毎日の平均というより、休日にはこの程度の人出もあると思った方がよい。
・四月「花見客は例年の記録を破った」二十日付報知
 この年、人出を誘う記事は早く、お彼岸の頃から「花の便り」がでている。四月に入り、臨時列車のお知らせや「乱暴されねば寛大な取締方針」という忠告までも掲載。最初の賑わいは十日、「花魁姿の髪結が人気を集めて 上野の人出十万人 混乱の飛鳥山」「物凄い人出 市電省線丈で二百万 昨日の花見客未曾有の騒ぎ」(十一日付東朝)と続く。なお、花見の人出に関連して潮干狩りについても書かれている。上野で人気のあった髪結たちの花見については、十一日付(讀賣)で「花に酔える女の群」に詳細が記してある。それによれば下谷理髪組合の観桜団五百名、「六十のお婆さんの元禄娘の扮装や元禄島田に浅黄繻子の菖蒲模様尺八きりりと差した女伊達衆の装いもあり、俄紳士の附髭絹高帽のごてごても可笑しい」と。この記事の右蘭には「労働婦人の発会式は延期」があるように、女性の社会進出が政治だけでなくレジャーにおいても目立ちはじめている。
 花見の記事は、十六日付(東朝)で「電車増発 焼石に水」と混雑ぶりを紹介、そして、休日(十五日)に職人さんたちが「そろそろ名残の花見」をしている。飛鳥山には午前中に10万人の人出があったことを示し、その後は荒川や小金井のサクラが見頃になると加えている。二十日付(報知)に「花見客は例年の記録を破った」と、十七日の日曜に記録破りの人出があったことが報告されている。さらに、それまで花見は、東京市内周辺で行われていたが、湘南や逗子、鎌倉などの郊外にも出かけるようになったということも。これは、東京の人口が市内だけでなく、周辺部でも急激に増加しはじめ、行楽地を求めてより遠くへでかける人々が増えていることを反映したものである。
 花見が民衆の楽しみなら、新宿御苑で催される観桜御会は紳士淑女のための園遊会。この年は、前年より招待客の範囲が広がり服装も簡略化され8千人という空前の参列者となった。そのせいなのか「参列者の醜態」「苦々しい饗応の奪合い」と園遊会にふさわしくない見出し(二十二日付讀賣)が並んだ。「ハンケチや風呂敷を持ち出し菓子は素より菓子台まで包み込んで五千五百人分の賜餐が三千余の参列者で瞬く間に無くなり、さしも丈夫な食卓まで壊れて・・・是等の人々は役人とすると何れも高等官五等以上の人達である・・・陛下の御前とも心得べき事であるから不敬な事・・・外国貴賓に対しても実に不面目極まる・・・」と宮内省大宮がその情けない有様を語っている。もっとも、参列者は、日本婦人の習慣として、人前で食べる事をせずに、紙とかハンカチに包んで持ち帰っただけのこと、こんな騒ぎになるなら、あらかじめ注意して欲しかったと反論しているもよう。
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大正十年(1921年)のレジャー関連事象 
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1月4永 荷風、晴れて暖かなり、銀座を歩む                                  
  6読 初水天宮の賑わい             
  8読 初金比羅、非番の巡査を配して警戒
  16読 藪入りの大相撲、学生も多く二日目満員   
  16読 二の卯
  20読 大相撲、六日目もまず満員
  26読 初天神に加えて鷽替えで亀戸天神は朝から素晴らしい景気
  29読 常盤座「天眼通後編川徳」他日延べ
  29読 初不動の賑わい 
2月3読 三日の豆撒き、賑わう各所の寺社
  6朝 本郷座「堀川」他初日から満員続きの盛況
  13朝 雨の初午、羽田稲荷をはじめ笠森、三囲いずれも人出例年の半分にも足らず
  13朝 金春館「猛虎の如き女」他満員御礼
  15朝 明治座「絵姿」他昨日もまた満員
  22朝 葵館「恐怖週間」他連日満員
3月2朝 観音劇場「男心女心」他相変わらず昼夜一杯の入り
  7読 国技館の大正衛生博覧会開会式9万人以上、なお開会は二日
  7読 柔拳試合二日目観客1万余、日本人側の優勝
  10朝 明治座俊寛」他連日満員
  13中 芝浦野球場開き、三田対稲門戦入場料一等2円二等1円三等50銭
  21読 お茶の水教育博物館で鉱物文明博覧会開催  
  27朝 新宿大火、新遊廓は全滅す
  27永 荷風守田勘彌の文芸座を見る
  29森 杏奴・類往、植物園
4月3永 荷風明治座で「其姿団七縞」を見る 
  6読 戌の水天宮未明より参詣し人形町通り雑踏を極める
  3永 荷風明治座で「其姿団七縞」を見る
  6読 六日は義士祭、八日は木下川薬師開帳と向島三囲神社大祭
  7朝 白昼浅草の大火、公園一帯焦土と、消失1,300戸負傷120余名、宮戸座焼く
  10読 飛鳥山、昨日早くも仮装の一隊、王子電車は満員鈴成り
  11読 満山大浮かれ上野飛鳥山の賑わい、潮干狩りの品海船で埋まる
  14読 遊楽館の盛況 大入りで喝采溢れるばかり
  15読 上野東照宮大祭
  22読 新宿御苑、晴の観桜御会祭に8千人
  30読 今日から畜産博覧会