大正十年中期 不景気の中の庶民娯楽

江戸・東京庶民の楽しみ 168

大正十年中期 不景気の中の庶民娯楽
 ちょうど百年前、1921年の読売新聞五月二日の朝刊5面の紙面を見て、現代の新聞の論調と比べてみたい。その頃の新聞は、東京で繰り広げられている活動や事象を、記者が見たままを伝えることができていたみたい。この年辺りまでが、新聞に自由な論調で記事を書くことのできたのでは、4年後には治安維持法が制定されている。
 五月一日のメーデーに関する記事を、読売新聞の見出しから紹介する。『昨日の労働祭』。『場内擾乱』。『葉桜の上野に解放の獅子吼』。『斯しくて進む 革新の世界』。「『大詰上野の大立廻』堺眞柄久津見房子は検束 警官に襟髪とられて大童となる 乱暴狼藉の大日本帝国の巡査」。「『昨日検束された露盲詩人 エ氏憤慨して語る』見物に行った私を検挙するとは日本の巡査は実に乱暴です」。「『警官が民衆を打擲したり日本国は野蛮国てす』婦人があんなに侮辱されてゐる リーダーが貧弱だつたりして・・・とア紙のビリー女史は語る」。
 2021年、現代の新聞もこれと同じように、政府に忖度しない記事を書いているであろうか。テレビでは、恣意的な誘導がなされているような気がしてならない。娯楽に関する記事についてはどうだろうか。

・五月「寒い淋しい変な夏場所」十四日付東朝
 社会主義者への弾圧が続く中、メーデーの取締も厳しさを増していた。上野両大師前で開かれた立憲労働党の労働祭は、「二千許りの真に集合した労働者を包囲して見物半分野次馬はんぶんに集まる者約五千・・・平凡裡に会を閉じ・・・示威運動の行列を造って山を下ると何処から集まとなくぞろぞろと散歩してる人達や通り掛りの人達が集まり合って忽ちの中に無慮三万を超える群衆となり・・・須田町から鍛冶橋を経て三時半目出度く宮城前に着し陛下の万歳を三唱し」散会した。一方、芝浦埋立地に集合した十四労働団体は、集会の途中から警察と衝突し場内擾乱、示威行列でも「叫喚、乱闘、検束」と荒れた。どうやらメーデーは、「祭」とは言っても、一般市民にとってやすらぎや楽しさを感じるものではなかった。
 この頃、労働争議は頻繁に起き、不景気はかなり深刻な情況になってきている。その煽りか、大相撲も初日から入りが悪い。観客数は二日目以後も増えず、とうとう満員御礼が一度も出ないまま千秋楽を迎えてしまった。天候不順もあるが市民の行楽活動は停滞していた。
・六月「お転婆主義の実現、女学校に野球団」二十二日付讀賣
 六月になっても市民のレジャー動向は改善していないようで、レジャーに関する記事はあまり見られない。そのような中で、「女学校に野球団」と、女性の間でスポーツの普及に関する記事が出ている。ちょうど女性の社会進出が顕著になってきた頃だった、前記メーデーでも女性の検挙者が8名も出るなど、政治運動は少し前から活発であった。七月五日付でも「多くなった女のボート乗り」、さらに八月十六日付「月島から羽田まで競泳の少女選手」と、スポーツやレジャーにもハッキリと女性の存在が浮かび上がっている。
・七月「水泳場 石神井は 七月二十日から」十二日付讀賣
 七月一日からは両国国技館恒例の納涼園がオープン、開園時間は午前九時から午後十時まで。この催事の呼び物は、那智の瀧。高さ五丈(約9m)の瀧が400坪(約1320㎡)の池に注ぐという大規模なもの。池は水泳場、滝壺はガラス張りの隧道となっており通行ができる。そして、その先は舞台となり美人の紀州踊りが見られるといった趣向。二階三階にかけてはパノラマ式背景に、活人形70余番を組合せ、観る人を「あっ」と言わせる大仕掛け。同じく一日から、三越で児童博覧会が開催。こちらは子供の喜ぶ「涼味溢れる玩具の園」と評されている。
 東京府社会事業会が主催し、石神井(七月二十日から八月三十一日まで)と多摩川(八月一日から九月十日まで)に公衆遊泳場を開設するとある。また、荒川水泳場は、十日より開始され電車の往復割引切符もあると。大森・羽田・新子安の海水浴場は広告として、納涼大遊園やツルミ花月園とともに掲載。水泳は、夏の市民レジャーとして浸透し、家族のうちで誰かが行うくらい一般的になった。郊外の井の頭公園(大正六年開園)に天然水を利用したプールが完成し、八月二日にオープンするが、絶対数がまだ足りない。東京市内の河川では水泳ができなくなっていたので、都心から離れた河川へと多くの人々が出かけたのだろう。そうしたニーズを受けて、京成電鉄は海にも進出し、千葉の稲毛海岸に海水浴場を開設した。
 この年、お盆に暑い日があったあと、二十一日以後八月の初めまで天候がハッキリしなかった。永井荷風は「天気再び梅雨の如し。」と日記(八月三日)に書いている。そのため、二十三日の両国川開きは中止。三十日午後には小雨であったが暑くないためか、「先帝祭 明治神宮賑う」と、浅草公園・両国・上野・新橋等も賑わい、近郊の海水浴場も月島海岸も水泳客で賑わった。降雨と出水で再々度の延期があった花火は、「今日の川開き お座敷ガラガラ」(三十一日付夕刊東朝)と書かれたくらいで、「川開きの鼻息 少し位の雨なら今夜決行」であったが、翌日の紙面(東朝)には川開きの賑わいや人出に関する記事を見つけることはできなかった。が、他紙(讀賣)では「川開きにも不景気の風邪」(八月一日付)ということ。それでも花火だけは、日英祝賀会・大連発咲匂百花爛漫・英国ネルソン塔などが打ち上げられ喝采を受けた。
・八月「避暑客激増し 客車大満腹 最近炎熱の来す結果」十日付東朝
 湘南方面へ向かう東京駅、房総方面へ向かう両国駅の乗降客は前年の二倍に増えた。房総の勝浦町では人口数と同じ約2600人が避暑で宿泊したという。また、猛暑を逃れて避暑地に出かけることのできない市民が水泳場に殺到。「都下近郊を背景する五十の遊泳場何れも数万の大童小童が群がり」とある。東京市では、14台の散水自動車と千台の馬車や手車で道路に水撒きをしている。しかし、炎天下ではほとんど利き目がない。人夫の日当も普段の1円80銭に20銭手当てを付けているとのこと。「八月に入り溺死激増」と、暑さを逃れようと市内で水泳していた人が多数亡くなっている。十五日間で月島が20名、千住と深川が10名づつ合わせて40名と、前年は一カ月で25名だから確かにこの数字は多い。
────────────────────────────────────────────
大正十年(1921年)中期のレジャー関連事象 
────────────────────────────────────────────
5月2読 メーデー芝浦埋立地から上野へ長蛇      
  6読 オペラ館「金色夜叉」連日満員で日延べ    
  8永 荷風、銀座通の夜景盛夏の如し         
  10朝 歌舞伎座「菅原伝授手習鑑」他大入り       
  13朝 新富座「鎌倉心中」他満員御礼          
  14朝 寒い淋しい変な夏場所              
  21読 明日の日曜は菖蒲の見頃             
  21読 遊楽館、仇討物や豪傑物など松之助延一郎一座の傑作揃いで毎日満員 
6月4朝 新富座「醍醐の春」連日満員御礼      
  4永 荷風、夕食後、芝公園を歩く        
  8朝 明治座「かれーの市民」新国劇澤田一座大好評連日満員     
  9日 御渡英活動写真、日比谷公園空前の賑わい
  12朝 駒形劇場「不魔殿」満員御礼
  15日 山王さま、日枝神社本祭三日間
  19朝 東京朝日新聞社のポスター展三日目17,500人の盛況  
  25読 日比谷での野球禁止、芝浦に運動場できる
7月1読 国技館の納涼園、五丈の瀧を掛けオープン
  3読 涼味溢れる玩具の園、子供の喜ぶ三越の児 童博覧会、一日から開催
  3日 御渡英活動写真、明治神宮参道で公開映写、鎮座祭以来の大雑踏
  5読 植物園で七夕祭り              
  5読 多くなった女のボート乗り            
  12読 荒川水泳場開始               
  12読 東京府社会事業会、石神井多摩川に水泳場開設  
  14永 荷風、有楽座人形芝居二の替を見る    
  26日 歌舞伎座曽我廼家五郎劇大入日延べ      
  31読 先帝祭明治神宮を始め市内、近郊海水浴場・月島海岸も賑わう 
8月1読 川開きにも不景気の風
  7日 歌舞伎座「雷鳴」他満員
  11読 本所四つ目牡丹園で朝顔品評会
  11朝 水泳場大賑わい
  13永 西ノ久保八幡宮祭礼にて近巷賑かなり
  14森 鴎外、上総鷗荘に妻子と同宿
  16読 月島から羽田まで競泳の少女選手
  17読 大好評の国技館納涼園、大人40銭
  19読 溺死者激増、月島が一番多い
  23森 類、観象 25日再び観象