大正十三年後期 復興を感じさせるのは娯楽

江戸・東京庶民の楽しみ 178

大正十三年後期 復興を感じさせるのは娯楽
 震災から一年、市民の遊びを見ていると、それなりに復興していたものと感じられる。その娯楽・行楽活動から、東京には様々な人々が生活をしていて、それぞれの階級ごとに楽しんでいたことが見えてくる。
・九月「お中日、被服廠跡は雨のようなお賽銭、上野の各展覧会や動物園も大入り」二十四日付東朝
 一日には、東京府・市は、震災一周年を記念する様々な行事を企画した。府市連合の尊難死者弔祭式をはじめ、震災展覧会、丸ノ内と上野で記念講演、上野・芝公園などで活動写真会、防災宣伝行列など。また、地域や民間でも、鮮人追悼会、川施餓鬼、惨死娼妓の追悼会、震災追悼会、観音堂の追悼会などいくつもの追悼供養が催された。八月の末にはこれらの会に参列するため、上野・東京・新宿などのターミナル駅に、毎日3万人前後の避暑客が戻ってきた。
 震災関連の行事が一段落すると、秋の行楽が盛んになっていった。秋晴れであった二十八日、上野は、動物園、展覧会、図書館などどこも混雑した。動物園の入場者は1万2百人、動物園の門前には自家用車が常時12~3台待機するなど上流階級の家族連れも少なからずいたようだ。展覧会は、美術協会展が2千人、二科展が2千5百人、美術院が3千5百人。図書館も満員、帝室博物館は2千人以上。広場では野球の試合が行われ、露店がならびまるでお祭のようであった。上野山内を散策する人たちを目当てに、救世軍は日の暮れるまで熱心に「ドンドンブカブカ」とやっていた。
 震災後、郊外の宅地開発が進み、レジャー施設整備も進んだ。二十五日、調布グランドで慶応対明治の野球試合が始めて行われた。東京の屈指のグランドで、風光明媚な田園都市に造られたもので、8千人収容できた。また、十月にも、大泉学園で沢村宗十郎水谷八重子などを招いて、大泉学園都市林間舞踏大会が催された。渋谷等のターミナル駅周辺が歓楽街化するとともに、郊外にもレジャー施設がつくられはじめた。
・十月「お会式の人出四十万 震災後二年振の賑かさ」十三日付讀賣
 十二日の池上本門寺のお会式は、震災後二年ぶりということで朝から練り込む人で混雑し、警視庁の調べで午後八時迄に38万人の人出。大森駅から本門寺までの道は、歩くというより押されて進んでいるという感じであった。深夜になって小雨が降りだしたがものともせず、道路は人の波に埋まり、近来にない大混雑であった。警察は500名体制で警戒、それに青年団在郷軍人等の強力をあおぎ、賽銭泥棒9人、スリ1人を検挙した。
 「きのう帝展の入場九千人 モデルの芳子来る」(十八日付讀賣)。帝展内部にゴタゴタがあっても、秋晴れには人の足は上野に向かった。伊東深水のモデル芳子嬢が訪れて、絵の前に立つと黒山の人だかり、芳子が動くとそれにつれて見物客も波のように進んだ。入場者は記録破りといわれたが売約は至って少なく、彫刻は一点も売れなかった。行楽の人出も多く、各電車は増発満員、十七日は新嘗祭ということもあって、芋堀や釣りなどに郊外へ人が流れ出た。「終日よいお天気に何れも鱈腹郊外の秋を味わい午後三時頃から手土産提げてバラックの街へ帰った」と。
・十一月「観衆六万華やぐ応援に 雪脛飛ぶ女子競技・・・神宮競技の第四日」三日付讀賣
 前月の三十日に、完成した明治神宮外苑競技場で明治神宮競技大会の開会式が行われた。観衆の数は不明だが、選手は約4千人。読売新聞の片隅に、「下駄では入場できぬ」と枠で囲まれていた。競技は五日間にわたって催され、二日の日曜日は陸上競技、「観衆六万華やぐ応援に 雪脛飛ぶ女子競技・・・神宮競技の第四日」と、いささか大げさな見出しである。選手や役員など無料の人々は約1万人、残り5万人が有料でその収入は2万3千8百円余。ざっと計算すると入場料金は一人当たり50銭になる。最終日までの入場料の合計が約4万円であったことから、延べ8万人程度の観客があったものと思われる。なお、競技大会運営には、5万円以上かかったと見られる。
 四日には、パリ・オリンピック大会の外国優秀選手4名と国内選手約百名による国際競技会が明治神宮競技場で開催した。主催は東京朝日新聞社、大会の様子は本社飛行機を飛ばして撮影するなど、大々的に報じられた。第一日の開会式には、観衆が3万人(五日付朝刊)とも2万(五日付夕刊)ともあるが、大スタンドははち切れんばかりの満員の写真がある。ただ、観衆のほとんどは、「高師、一高、第一高女、近衛四連隊の団体など」と思われる。一般市民は、平日でもあることからあまり多くはなかっただろう。ただ、明治神宮競技大会に続いて開催され、連日のようにスポーツ報道が新聞に載ったことから、市民のスポーツに対する関心は以前にも増して高まった。
 「豪州馬も出る目黒競馬」(十五日付讀賣)と、競馬熱も盛んである。二十三日の最終日は盛況で、かなりの人が出かけたようだ。観客数は示されずに、馬券の売れ高だけ書かれ、二十九日の新聞には何と1千万円を超えたという。不景気といわれる中で、競馬場は異常なほど景気がよかったが、一攫千金を夢見る人たちでわき上がっていたのだろう。それまでの競馬もギャンブル性はあったが、これほどは加熱していなかった。この時はまだ荒んだ光景は記事に出て来ないが、連日競馬場に通い、大損をしたような人がすでに出ていたものと思われる。
 この年は三の酉まであったからか、例年よりも新聞で多く取り上げられている。二十六日の浅草大鷲神社には、鳥居をくぐる人が一分間に千人、それが午後七時から九時まで続いたとある。また、吉原裏門の出入者が3百人。これらの数値から計算すると、少なくとも6万人もの人が来たことになり、かなりの混雑であった。事故は、迷子が8件、スリ被害7件、検挙5件、卒倒負傷9件、賽銭拾いが32件など。前年までの警察の取締状況をみてきたが、賽銭拾いが独立して分類されたのは初めてである。かなり大々的に拾い集めていたものと思われる。
 二十四日付(東朝)で女工さん達の学芸慰安会が紹介されている。その内容は「一日二十四時間、夜となく昼となく不断に廻転する工場の機(はた)の前に殆ど立ちづめに働く幼年の男女工を初め年頃の娘が働く、他には何の楽しみもない工場生活の単調さと遠くは北海道、青森から長野、新潟あたりの山奥から出て来た郷愁を慰めるため、亀戸の東洋モスリン工場寄宿舎では二十三日夜こうした世界には珍しい学芸慰安会を催した演ずるものは少年少女工が毎日本の少しばかりの時間を割いてはいろいろの学科を学ぶ合間に稽古した歌劇や対話十七八種類」というもの。会場の寄宿舎は男女工員で満員、歌劇は金切り声の子守歌やお国なまり丸出しの台詞。ささやかなレジャーではあるが、それだけに彼や彼女たちにとってどれほど楽しい一時であったか。
・十二月「賑かなは戸外ばかり 財布はカラの大晦日」三十一日付東朝
 「心は心を動かす・・・白熱化せる同情週間」(十八日付東朝)。東京朝日新聞社は、困窮者に対し「同情週間」企画、慰問袋の寄付や同情金の募金などをもとに、バラック街を慰問した。曽我廼家五九郎、十郎一座、左団次一座などは、同情劇公演を行い売上げの一部を寄付している。同情劇公演は、いずれも有名俳優たちの出演、「忠臣蔵」など人気興行のため多くのお金が集まった。
 困っている人がいる中で、「一万円のクリスマス」(二十六日付東朝)。二十五日、帝国ホテルでは一人前5円の会費でクリスマスパーティーを開催。オーケストラの演奏するクリスマス・キャロル、サンタクロースが大きな袋から裕福な家庭の子供たちにプレゼント、演芸場では映画やお囃子・舞踏など、大変な賑わいだった。当夜の来客は、2千人を下らず深夜まで賑わった。
 「賑かなは戸外ばかり 財布はカラの大晦日 公設市場さえ淋しい客足に 商人の泣言くらべ」という見出し。銀座通り日本橋などは賑やかな暮れの気分が漂っているが、一寸横町へ入ると公設市場も閑散。例年なら、晦日の夜といえば黒山の客であったが、この年はいつもの半分から三分の一の売上げだという。不景気は、歳末の景気を占う歳の市からわかっていた。十七日の浅草観音様の歳の市は、朝から大変な人出で、人の波が織るように続いたが、羽子板など肝心の商いは不景気だった。
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大正十三年(1924年)後期の主なレジャー関連事象 
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9月3朝 本所被服廠跡へ一日の参拝60万人、賽銭4千円
  4読 向島百花園の虫放し会と余興、会費50銭
  8朝 映画演劇展、晴れの日曜日大入り6万人
  14読 乃木神社大祭、6・7千人参拝
  24朝 お中日、被服廠跡は雨のようなお賽銭、上野の各展覧会や動物園も大入り
  26読 演技座「五九郎劇」連日満員
  26読 調布グラウンドの初試合、慶応対明治
  27読 季節物の茸狩、東京近郊では初茸り
10月10読 大泉学園都市林間舞踏大会、沢村宗十郎水谷八重子など
  13読 お会式の人出四十万
  13読 靖国神社秋季大祭二十二日から三日間
  18読 帝展の入場者9千人
  18読 行楽の秋、郊外に流れ出た人波
  18読 ベッタラ市の再興
  25読 日比谷公園の菊の大会復活
  31読 明治神宮競技大会開会式、選手4千人
11月3読 明治神宮競技大会四日目、観衆6万人
  3読 一の酉は日曜、盛んな前景気
  3読 帝国劇場で梅蘭芳こんども大入り
  5朝 四大選手国際競技会が明治神宮競技場で開催、観衆3万人
  6永 荷風道玄坂・・帰途百軒店と称する新開 地を歩む。博覧会場内の売店を見るが如し
  7朝 千代田館「ユイタバ・ラ」他連日連夜満員
  10読 帝国劇場「伽羅先代萩」他連日満員
   23朝 鶴見飛行場で自動車大競走会
  24読 目黒競馬、最終日も賑やか
  25朝 国技館大菊花園満員御礼真珠デー
  27朝 三の酉、夥しい人出
12月13朝 演技座大阪文楽座引越興行、連日満員
   14読 本郷座「忠臣蔵」連日満員御礼
  18朝 同情週間に曽我廼家五九郎、十郎一座、左団次一座なども同情劇、売上げを寄付
  18朝 浅草歳の市、大変な人出であるが不景気
  25朝 浅草遊園第二館石井春波一門説明者競演大会連日満員
  31朝 銀座の歳の市昨日の賑わい

 

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