江戸・東京庶民の楽しみ 182
大正十五年中期 夏のレジャーに変化
 東京の人口が増加するに従って、市民の行動範囲が拡散され、行楽地も広がった。また、新たな娯楽も増え、娯楽の多様化は、夏のレジャーにも顕れた。上流階級の避暑は明治から行なわれていたが、庶民については大正時代の後半、関東大震災以後であろう。女性の水泳が話題になったのが大正8年である。それから10年も経たないうちに、庶民も東京から脱出して海や山へ出かけるようになった。
 ラジオの普及は、音楽番組の人気で隆盛である。とはいっても邦楽、いわゆる流行歌ではない。その演目は、新しい曲を求めるのではなく、郷愁を誘うような曲と感じがする。
・五月「不景気挽回策として『電気の市』大活況」八日付讀賣
 行楽シーズンの五月ではあるが、市民のレジャー活動はあまり活発ではない。メーデーも前年より参加人員が少なく、盛り上がりに欠けたようだ。「(聖徳)太子展」は、一日に開会して一週間たつが、まだ物珍しい期間のはずなのにそれにしては入場者が少ない。売上げはそこそこあるらしいが、一日に千人程の入場者しか訪れず、不人気なのは隠すべくもない。また同じ頃、不景気を吹き飛ばそうと、ラジオや電熱器など家庭電化用品の宣伝普及を兼ねた「電気の市」が開催された。期間は十五日より一月間で、展示や実演、格安で販売などのほか余興もあった。入場無料に加えて福引までついたので、毎日1万人程度の客が訪れ、こちらはまずまずの盛況。
 一日から始まった目黒競馬、初日から一等席は閑散としていたが、二等席は大人気。九日の馬券は250万円を突破しそうな勢い。競馬景気は良いようだが、安い入場券を払って馬券に夢中になっている光景は、世間の不景気を証明しているようなものだ。大相撲夏場所は、三日目が土曜日であったにもかかわらず淋しい入り。「野球に奪われたか」(十六日付讀賣)とあるが、同じ日に慶明戦が駒沢球場で行われたが満員との記事はない。大相撲は、人気力士の出羽ヶ嶽が途中休場し、客の入りだけでなく相撲内容も盛り上がりに欠けた。
・六月「電気の市展覧会・・・入場延べ人員三十七万人」十五日付讀賣
 六月に入り、銀座でホタルが売られ、日枝神社の祭、愛宕社の四万六千日など旧来の行事は、忘れられずに行われている。映画や芝居なども特別話題をさらうような作品はないものの、前年よりは盛況。新聞紙上を賑わしているビリヤードは、流行に火がついたような勢いで愛好者を増やしている。電気の市展覧会は、目立ったイベントのない時期だったこともあり、37万人の入場者を迎えて終了した。その他、注目されたのは、戸塚球場で行われた早大スタンフォード大の試合、スタンドは一杯の客で埋めつくされ、歓声のなか早大の勝利で幕を閉じた。
・七月「大氷原に汗を収めて歓楽に酔う人群れ たちまち大評判の樺太展」三日付讀賣
 一日から国技館で大納涼樺太展覧会が始まった。例年、八月の末まで行われている納涼園が、この年は樺太をテーマにして行われた。展示内容は樺太を紹介する映画や物産などで、呼び物は「大氷原スケート場」。その他余興場では曲芸や手踊りなどが演じられた。アイススケート場は、当時の人にとってプールよりはるかに涼しく感じられたと見えて評判を呼んだ。
 ついでに冷房について言えば、帝国劇場も冷房が入っていたことが永井荷風の十七日の日記からわかる。観覧席の床下から「化学作用にて冷風を吹上げ、場内の空気を転替せしむる仕掛をなす」と説明。荷風は、初めは心地良いが、長く座っているとひやひやして「気味悪しくなるなり」と書いている。ちなみに、この冷房この時、市内ではまだ帝国劇場以外に設置されていなかった。
 ラジオの普及に伴って、ラジオ番組への関心も高まっていた。その中でも人気は音楽、といっても当時の音楽といえば邦楽、「長唄」や「うた沢」などであった。そこで読売新聞社は、ラジオ出演者の人気投票を行った。ラジオへの関心が高い時代だけに、百万票を超える投票を得て、人々の嗜好が明らかになった。この投票で喜んだのは、出演者を選ぶのに苦労していたラジオプロデユーサーと高い投票を獲得した芸人たち。投票数の順に示すと第一位は、長唄の吉村考花35万票。二位うた沢の鈴木芝湘29万票、三位うた沢の山田梅吉26万票、四位長唄の岡安喜三郎25万票、五位義太夫の竹本越喜美16万票と続く。また、部門別では、長唄、うた沢、義太夫、琵琶、浪花節、小唄、常磐津、清元の順。なお、二十三年前、都新聞が行った演芸投票で一位であった浪花節の鼈甲斎虎丸は約7万票と順位をだいぶ落とした。
 この年まで、藪入りといえば浅草であったが、それが異変が招じた。浅草の人出は前年の半分、芝居はもちろん、映画も満員客止めが一つもなかった。小僧さんたちがどこへ行ったかというと、十五・十六日、暑さを逃れて海へ山へと出かけた。東京鉄道局管内の乗降客は前年より9万5千人も増加、主な行き先は鎌倉へ1万4千人、小田原へ7千8百人、日光へ4千5百人、大月へ3千8百人、などとなっている。そのため、閻魔参りで境内が賑わうという風景も見ることができなくなってしまった。十八日の日曜も海や山へ出かける市民が多く、50万人の鉄道利用者があった。
 二十二日付(読売)「お茶や大当たり 名物の川開きいよいよ今夜」という予想に反して、雨であっけなく中止。翌日の花火には、船四千艘に10万人、陸上に30万人、計40万人。混雑によるケガ人30人と、順延で気勢をそがれた割りには盛大な花火となった。ただし、水上の観客数10万人というのは疑わしい。陸上の数字は訪れた人に加えて周辺に住んでいて花火を見ることのできた人も見物人としてカウントしているのであろう。
・八月「吐き出された百万の市民 朝からの土用照りに海へ!山へ!の大群」二日付讀賣
 八月に入るや否や朝からジリジリ土用の太陽が照りつけ、バラックの暑さに耐えかねて海や山へ出かけた市民は百万人に達したと。土曜から出かける人は多く、一日の日曜、東京駅から10万人、上野駅からも10万人、新宿駅から16万人、両国駅も6万人の人出。近郊へ向かう私鉄も満員で、玉川河畔に1万人、千葉谷津稲毛が4万人、市内の芝公園プールや月島海水浴場も賑わい、国技館の納涼園は午前中に1万人を突破したという。
 この年は、七月の中旬から雨らしい雨が降らず、例年よりかなり暑かった。そのためか、日比谷公園などで催された納涼イベントは、映画や拳闘などいずれも盛況。そのほか芝浦の花火や近隣地域の納涼行事も賑わったものと思われる。盂蘭盆と日曜の重なる十五日は、省線列車だけでも40万人、納涼の日帰り客で駅は大混雑となった。なお、それまでは二泊三泊で滞在する避暑客がかなりいたが、近年は日帰り客が多くなったとのこと。
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大正十五年(1926年)中期の主なレジャー関連事象・・・5月東京府「遊園地取締規則」公布
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5月2読 目黒競馬、一等席は閑散だが二等は大雑踏
  2朝 景気よくメーデー、有馬ヶ原に1万人
  2永 銀座通散歩の男女絡繹たり
  8読 上野の太子展入場者一日千人
  8読 遊園地取締り新規則、六月から施行
  10読 大盛況の目黒競馬、馬券250万円を突破か
  15読 電気の市展覧会初日、1万有余の入場
  16読 慶・明野球に奪われたか淋しい大相撲夏場所三日目
  17読 大相撲夏場所四日目日曜日は大入
  21読 市村座「半七捕物帳」他満員御礼
  28永 荷風、百花園に憩う
6月7永 市議会議員選挙の後にて、市中雑踏す
  10読 ホタルの相場、銀座で一匹2銭位
  15読 日枝祭り
  16読 電気の市展覧会の総入場者37万人
  24読 愛宕社四万六千日
  26読 月島水泳場開き7月1日
  28読 戸塚球場で早大スタンフォード大、スタンド埋まり早大勝ち大盛況
7月2読 国技館樺太展開催、スケート場で立食饗宴
  10読 夏の行楽に人気を呼ぶ二つの遊園地(鶴見花月園船橋谷津遊園)
  12読 大森八幡浜に千人風呂・運動場・余興場付の海水浴場店開き
  13読 日比谷公園芝公園納涼会十五日から開催
  18朝 お盆の二日間に動いた人二百万人
  19読 海へ山へ50万人の客、お盆に続く満員にホクホクの鉄道省
  20読 ラジオ演芸出演者の人気投票総数百万を突破、一位は長唄、二位歌澤
  26読 川開きのケガ人30名、人出は40万人
8月2読 朝からの土用照りに海へ山への大群、吐き出された百万の市民
  5永 荷風、銀座を歩む、若き女の支那服を著るもの折々見かけたり
  7読 日比谷公園で映画と実演の夕、賑わう
  11読 歌舞伎座「大盃七人猩々」初日満員御礼
  13読 芝浦の花火十四・十五日
  15読 日比谷新音楽堂で十七日拳闘大会、入場料30銭
  15読 帝国劇場「月形半平太」他満員を続ける
  30読 樺太展、金時計や箪笥などの当たる福引を催し盛況

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