昭和のレジャー環境の一面・二年秋

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)192
昭和のレジャー環境の一面・二年秋
 大正時代にも見られたが、昭和に入りさらに厳しい規制が増す。池上本門寺のお会式では、露店の衛生状況を改善しようとする取締は望ましい方向へが見られた。と同時に、別の点検、「棍棒ステッキ等の危険物」も行なわれ、206点押収された。本門寺のお会式は、日蓮聖人の入滅日、10月13日を中心に、宗祖を追慕する法会(ほうえ)である。現在の東京都大田区池上本門寺での御会式は特に盛大で、12日の逮夜(たいや)には、万灯が数多く集まり、それに伴って団扇太鼓が並走する。また、それを見ようとする人々が道筋に垣根のように群集する。調べを受けた人の大半は信者であり、社会科学講習会のような政治的な目的は少ないと思われるのだが。なお、社会科学講習会は、同日、神田美土代町で催され、監視、発言停止、さらに検束されている。
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昭和二年(1927年)十月、早稲田大学大講堂(大隅記念講堂)開館式、お会式は「今暁までの人出四十万」
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10月1日T 日本青年館の実演劇、空前の大盛況
  13日T お会式「今暁までの人出四十万」本門寺境内は身動きもならず
  17日T 国技館日本八景菊花大会、三万五千の大入
  17日T 連休で「秋を慕いて 各駅の繁盛」
  17日A 帝展が初日、一万五千人が入場
  24日A 神宮球場の慶明戦、3対3の引き分けで満員の盛況
  26日ka 荷風人形町の夜店を見歩く
  30日Y 上野池之端の新日本殖産博覧会、大人気
  30日ka 観艦式とやらにて市中賑なり
  30日Y 日本館「天界の魔王、十巻」モンロー・サルスベリー氏実演満員御礼
  31日Y 観艦式に三十万の人出、迷子36人スリ3件
 市民レジャーは、引続き活発である。池上本門寺のお会式は、蒲田駅下車の参詣者だけで午後八時までに「十二万二千人」、前年より大幅に増加。本門寺境内は、全く身動きできないくらいであった。門前には飲食店が並んでいたが、飲食物の検査結果で288件の不良あった。また、賽銭泥棒が前年より3名多い21名、酔っぱらい等は20名引致された。
 連休前の十五日、新宿駅上野駅からの夜行列車で大勢の行楽客が郊外へ出かけていった。十六日は冷たい秋雨にもかかわらず、恒例の国技館の「日本八景菊花大会」は、開館早々から大入り満員。呼び物は十二段返しの菊人形芝居、女優さんの名物八景踊りなど。花は、七分咲きの見頃ということで、市電は増発に増発、非番の巡査まで招集するという賑わいであった。
 また同日、帝展が初日で、余興も見れるということで1万5千人が入場。高島屋呉服店でも、趣味蒐集展が初日T⑰、錦絵などが展示されて改築以来の来場。連休は、テニスやラグビーなどの観戦、映画や演劇など、市内で楽しむ人であふれた。また、三十日は時々小雨が降るような天気であったが、断腸亭日記によれば「観艦式とやらにて市中賑なり」とある。なお、横浜の観艦式には「三十万の人出」があった。

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昭和二年(1927年)十一月、初の明治節③、人出は市内から郊外まで
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11月2日A 明治神宮大会第五日スタンドも芝生席も充満
  3日ka 三日を・・明治節と称し祭日となす由
  3日ki 電車はみな満員の大混雑
  4日a 「賑ったきょうの市内」、明治文化展覧会・帝展・動物園など満員
  4日Y 「十万の観衆を湧かせ」神宮大会閉幕、総入場者は六十万人
  4日T 明治節明治神宮参詣者、日中は「五十万人、夜は三十万人」
  5日A 「省電の収入三十万円」明治神宮を中心に「乗客総人員は九十七万七千人」
  6日A シネマパレス「ビック・パレード」満員御礼
  7日A 神宮野球場の早慶野球第一戦スタンド全部満員
  10日Y 「婦人と子供」展覧会、上野に開場
  13日ki 日曜の浅草酉の市、大混雑
  20日Y 目黒競馬第一日、売上高60万円を突破
  21日A 帝展終わる、35日間で二十四万八千人
  24日Y 神宮早慶ラクビー「一万人入ったらしい」
 スポーツの秋、六大学野球をはじめ明治神宮競技大会など十月から引続き盛んである。三日、初の明治節は天候に恵まれ、神宮競技は満員、代々木練兵場の航空ページェントには「無慮八万」a④、明治神宮の参詣者が日中「約五十万人」、夜も「約三十万人」あった。人出は、上野や浅草の市内はもちろん、箱根・鎌倉・妙義・日光・筑波などの郊外に出かける人も多かった。
 十月十五日に東京六大学野球のリーグ戦が初めて中継放送されたこともあって、野球人気はさらに高まった。七日の神宮野球場の早慶第一戦はスタンドが満員の盛況。続く試合も、慶應の連勝によってさらに盛り上がった。市民はスポーツだけでなく、十三日日曜の浅草酉の市が大混雑であった、また展覧会や菊人形など文化的なレジャーも盛況。二十一日に終了した帝展は、約25万人もの入場者を数えた。

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昭和二年(1927年)十二月、地下鉄浅草・上野間開業、景気は悪いが人出は盛ん
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12月2日Y 婦人と子供展覧会で大福引、大人10銭
  2日Y 新日本殖産博覧会、各府県総合残品整理5万円懸賞大福引、日延べ
  12日A 戸山学校馬場で馬術大会に三万の大観衆酔う
  12日A 豊島園で同情週間朝日デー、朝から人の波
  15日A 賑わうクリスマスの市、銀座通り
  27日ka 銀座、「年の市例年の如く雑踏甚し」
  27日Y 諒闇明けの第一夜、帝国ホテルでクリスマス祭
  30日Y 東京地下鉄道の浅草・上野間が開業
  30日ka 公園内の街路は商店夜市の繁栄今は到て雷門仲店を凌駕せんとする勢いなり
  31日A 「いもを洗うような銀座」一日3百万円の景気、すざまじい銀座のどよめき
 前年スキーに出かけた人が6千人、市内の運動具店でもスキーやスケート用品が売りはじめられた。「客筋は学生が筆頭で銀行員や会社員その他に役人たちの顔も見えるが家族挙って出かけるものもかなり多く 久邇宮朝融王、同妃殿下をはじめ細川護立候、桂公、土屋侍従高辻子爵の令息令嬢等は熱心な常連組と知られている。また東電、芝浦製作所・・・では重役以下同好の社員が毎月幾らかづつ積み立ててこの季節の軍資金に当て愉快に楽しもうと・・・」a⑪ということで、鉄道局は乗車客が倍以上に増える予想している。
 師走の東京は、不景気風が吹いていたが、銀座通りにはクリスマス市の賑わいが見られた。市内は、人出だけは多かったらしく、二十九日には警察官が1万2千人も出て大警戒。二十七日の銀座は、断腸亭日記によれば「年の市例年の如く雑踏甚し」。押し迫った三十日、浅草公園に出かけた荷風は、街路商店の夜市が雷門仲店を凌ぐくらい繁栄しているのを見ている。また、市内には困窮する市民がいる一方で、一日に3百万円も売上げる好景気の記事もある。