きな臭さを隠すような紙面、三年冬

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)193
きな臭さを隠すような紙面、三年冬
昭和三年(1928年)
 二月に初めての衆議院議員普通選挙が行われ、辛くも与党の政友会が第一党なった。この選挙で、無産政党の健闘が目立ち、政府はこれらの勢力の弾圧に乗り出した。特に共産党は三月に大量検挙された。六月には治安維持法の改悪によって、労働者の活動は弱体化をたどる。また、政府は、中国国内や欧米の対日環境の変化を無視して、第二次山東出兵を強行した。その上、張作霖の爆殺という軍部の暴走を許してしまった。
 東京市民は、新聞が書き立てているほどには、衆議院議員選挙に関心を示さなかった。市民は、三月から五月までの御大礼記念博覧会、十月末頃から十二月中頃まで大礼奉祝などに託つけて遊ぶことに熱心であった。この年、不況はさらに深刻な状況に進んでいたが、その間も、花見や花火、海水浴、オリンピック、お会式などを市民は楽しんでいた。
 市民の多くは、選挙でも政治は変わらないということを察していたのだろうか。流行した歌は感傷的な『出船』『波浮の港』『君恋し』などであった。また、説教強盗や偽札の横行も世間に話題を提供した。
────────────────────────────────────────────────

昭和三年(1928年)一月、衆議院解散(21)、諒闇明けで正月の市内は賑わう
───────────────────────────────────────────────╴
1月3日A 元朝明治神宮に参拝者六十万人
  3日Y 「押すな押すなの地下鉄」
  5日a 「春三日の興行界に 雨と降った百万円」
  11日A 虎ノ門、初金比羅の賑わい
  13日A 春場所大相撲、初日は午前中から大盛況
  16日A 大相撲、日曜日で正午ごろ満員
  17日A 大当たりの藪入り
  23日Y 中山競馬二日目、大穴に人気沸く
  24日A 晴れの無礼講、賑わう軍旗祭、近衛歩兵は底抜けの騒ぎ
 
 諒闇明けの正月とあって、明治神宮に大勢の市民が出かけた(元朝明治神宮に参拝者六十万人)。また、多摩御陵にも「未明から押出した 三万の参詣者」で、新宿からの電車は満員すし詰めの状況が続いた。「成田山の賑わい」は、「名物の栗ようかんは売切といふ有様であった、不動尊のさい銭高は昨年の一万三千余圓に比し本年の三十日から一日の三日では三万五千圓を下るまいと」A③。
 そんな中、市民の関心は、暮れの三十日に開業した東京初の地下鉄(上野~浅草間)。元日の乗客が「十万」人にも達し、二日には三十分待って五分しか乗れないと、文句を言う人もいた。なお、十銭玉を一つ入れるという自動改札口が採用されたが、なれないこともあって駅員が横について乗客を指導。地下の「穴からのお客に 浅草の賑い」と、浅草は仲店から観音様まで人がつながり、賽銭は雨のように降り、元日には数えなかったと(「東京中から集めた 十銭白銅十二万個」Y③)。
 正月の人出は、四日になっても衰えず「いもを洗う浅草映画街」a⑤の写真を掲載。三箇日は、市内すべての映画館や劇場は、近年にない景気で百万円程度のお金が落ちたと見積もられた。
 正月景気も、十日の虎ノ門の初金比羅くらいまでであった。十二日の大相撲春場所は、初日が50銭均一奉仕デーのため朝から客が詰めかけたが、「二日目は思い切ったさびしさ」a⑭と入りが落ちた。なお、十二日の初日から大相撲の実況放送が開始。相撲がただで聞けるということで、国技館の客が減るとの反対意見もあった。なお、この放送のため、放送時間内に勝負を納めようと幕内が十分、十両が七分の制限時間が設定され、また、土俵に仕切り線を設けられた。
 藪入りは市内に人が出てどこも賑わい、さすがに国技館も満員になった。一月の後半は天候に恵まれないこともあって、映画・演劇などの入りは前年より減少し、人出は落ちたようだ。

───────────────────────────────────────────────
昭和三年(1928年)二月、初の普通選挙による第十六回総選挙⑳、初めての普通選挙に市内騒然
───────────────────────────────────────────────╴
2月5日A 「もみくちゃの豆拾い」水天宮も金比羅不動尊も大変な人出
  11日Y 浅草劇場高木新平の「刃光」大入御礼
  12日A 建国祭の大行進、市内靖国神社など6カ所で盛大に行われる
  14日A 市村座「裏表忠臣蔵」人気沸騰好評日延べ
  15日A 街頭に、演説会に「満都を覆う普選色」
  29日ka 銀座に出づ、人通りいつもよりも賑やかにて辻々に巡査両三名づつ佇立みたる
 
 四日の節分は、「水天宮も金比羅不動尊も大変な人出」と、市内各地で豆まきが行われた。近郊、成田山の人出は物凄く、人で埋まり身動きできないほどであった。十一日の建国祭は、靖国神社など市内6カ所で盛大に催された。
 新聞は、初の普通選挙ということで連日書き立てている。街頭や演説会などの選挙運動で、市民はいやがおうでも選挙に関心を持たざるを得ない。ただ、選挙騒ぎも二十日の投票日までで、当選発表の二十一日は号外売りがうるさいだけで、銀座は「平日よりも静なり」と荷風は見ている。夜店も午後十時に片づける者もあるくらい。荷風の関心は、セキセイインコウの番い、七・八年前は7円から15・6円もしたのが1円30銭で売られ、値段の下落に驚いている。
 十四日付で市村座の『裏表忠臣蔵』が好評、人気沸騰で日延べ広告が出たように、二月の演劇は健闘。荷風も本郷座に予約を入れたら、十七日から二十五日まで売り切れであった。

───────────────────────────────────────────────
昭和三年(1928年)三月、共産党員大検挙⑮、博覧会にマネキンガール出現、市民の関心は御大礼記念博覧会にむけて
───────────────────────────────────────────────╴
3月5日y 晴れた日曜「押出す廿万人」観梅に又郊外散策に各駅を埋める春の人
  9日A 久宮薨去当日、市内の主な興行物は休業と開演が相半、陸軍記念日も延びる
  18日Y 帝国劇場新国劇「浪人の群」他大入続き
  19日A 彼岸入り「冬着を捨てて、日曜の人出」
  19日Y 陸軍記念日の軍楽行進、日比谷公園常陸丸勇士追悼会
  23日Y 観音劇場「忠臣蔵」大満員続き日延べ上映
  24日a 御大礼記念博覧会に「早くも殺到のお上り客」
  26日Y 御大礼記念博覧会、上野に雪崩れる日曜の人、「押寄せた十万の人波」
  30日c 歌舞伎座「モン・パリ」宝塚少女歌劇好評

 三月になり、暖かさに誘われて人が出かけはじめた矢先、八日に久宮薨去。当日、浅草では弔旗を掲げ興行を休業したが、市内には開演しているところも多く、その割合は半々であった。十三日の御葬儀は、市中鳴り物停止で興行物は休業となった。
 市民は、月末から開幕する御大礼記念博覧会に多くの関心を寄せており、彼岸入りの日曜は快晴とあって開会前の上野公園へどっと人出。上野駅の乗降客「十五万」、雪崩のように訪れた乗客の多さに面食らったとある。
 御大礼記念博覧会は、上野公園竹の台に機械工業・紡績工業・化学工業等の特産品、不忍池畔に動力機械を中心に朝鮮や樺太・台湾・満州の植民地館が配置された。各館をめぐり多数の売店や諸演芸場が賑やかな鳴り物入りで景気をつけた。ちなみに同会場は、14・5万人収容可能。開会日は、一般入場者は午後から見物ということもあって「約一万五千人」a(25)の入りであった。翌日の日曜は「十万の人波」が押し寄せた。
 レジャーではないが、「陸軍記念日の軍楽行進、日比谷公園常陸丸勇士追悼会」が写真入りで新聞紙面を大きく割いている。「銀座街頭を練り歩けば十重二十重に取巻いたモガモボ達は翻然了見を入れかへてミリタリズムに心酔しなければ義理が悪いやうに見られた。」Y⑲とある。