遊ぶことに熱中する三年夏

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)195
遊ぶことに熱中する三年夏
 昭和三年の夏は、特別高等警察機関新設、第九回オリンピック・アムステルダムで開催、東京市会疑獄など、重要・重大なことが展開していた。東京市民は、それらのことについてよりも、自分たちが遊ぶことに熱を上げていた。と言うのも、新聞には「夏の一日を楽しく」Y7/14と、近郊行楽地の紹介、「世知辛い世に のさばる芝居国 続々できる大劇場」A8/1 、「又映画界の大革命 天然色映画完成」A8/1などと、遊びを煽るような記事が目に付く。
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昭和三年(1928年)七月、特別高等警察機関新設③、均一料金の「円タク」廃止(20)、第九回オリンピック・アムステルダムで開催(28)、梅雨空の川開きに「人出五十万」など避暑の人出が多くなる
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7月4日A 歌舞伎座「極彩色娘扇」他、連日満員御礼
  6日a 東京の水泳場39ヶ所、第三お台場十二日から開放、両国から往復船賃50銭
  9日A 向島の流燈会、「とうろう流し」
  9日ka 荷風浅草観音四万六千日の夜市を看る
  16日y 藪入りの日曜、婦人子供博と耶馬渓博などが賑わい、炎熱の都を抜けた人「廿四万」
  16日Y 国技館耶馬渓博、四万五千の入場者
  16日A 大塚公園で「賑やかな盆踊り」
  26日A 「恵まれた天気に避暑客殺到、出る列車はみな満員に」
  27日A 北アルプス「きのうの登山者一千人」
  29日A 川開きの賑わい、人出五十万
                                                
 市民の水泳場は、月島20・小松川2・吾妻町の放水路4・品川、大森、羽田海岸12・尾久の荒川1、計39ヶ所。泳ぐ場所は、水泳場に加えプールが30ヶ所ある。六月末にオープンするところもあるが、多くは七、八日頃からである。また、前年開設された東京市海の公園第三お台場は、十二日から開放。面積は約30ヘクタール、一面芝生でピクニックにも最適。
 「とうろう流し」や浅草観音四万六千日などもしっかりと行われている。十三日、平河天神の縁日に出かけた綺堂は、「門口で迎え火を焚いている家が五六軒見えた。この習慣もいまだに全く廃れない」と盂蘭盆について書いている。
 十五日の藪入りは日曜、耶馬渓納涼博と婦人子供博は「氷山に賑う」と盛況。耶馬渓納涼博は、奇勝見物と冬景色の探勝に人波、模型列車に乗れば氷のトンネルや雪が降るなど。婦人子供博では、雪の降る北極探検館や秩父の獅子舞などが人気を集めた。また、暑さを逃れ、海や山へ出かけた人は「廿四万」と、市民のレジャーは盛ん。
 二十五日も晴れ、「出る列車はみな満員に」という人出。市内も相応の人出があるなか、「南京新政府成立」を祝う行列が市内を練り歩くということで、街の辻辻には「巡査刑事多く徘徊し何となく物騒しきさまなり」と荷風は日記に書いている。
 二十八日、雨で延期された両国の川開き、「人出五十万」の盛況。人出の割合には、ケガなどで手当てを受けた人が32人、迷子9人などと少ない。呼び物は「帝国万歳」の仕掛け花火、歓声は日本橋あたりまでとどろき渡った。散歩に出た綺堂は、東の空に花火を見ている。

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昭和三年(1928年)八月、上野動物園入場料値上げ①、パリ不戦条約調印(27)、オリンピックで日本選手活躍に湧く、戻り梅雨で月半ばまで夏のレジャーはお預け
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8月3日A オリンピック第五日、織田幹雄三段跳びで優勝
  9日A 鶴田が二百m平泳ぎで優勝
  9日A 市内は台風の被害で飲料水の不足、白米廉売所が混雑
  13日A 「海も山も生々と 客をむかえる歓喜 二週間振りに夏が蘇って」人出
   14日A 前代未聞の酒なしの謹慎お神輿、不祥事のあった魚市場組合の水神祭
  18日A 京王閣納涼大会、多摩川園は土・日曜仕掛け花火大会
  22日Y ぶり返した暑さに、婦人子供博「二万余という大入り」
  24日A 日比谷公園で、「アムンゼンの極地遭難映画」に三万の観衆
  28日ka 深川不動尊の賽日にて橋上人の往来多く、電車通り夜店賑なり
 
 八月になってもハッキリしない天候が続いた。市民の気持ちも晴れない中、三日付でオリンピック三段跳び織田幹雄が優勝するニュース。また、その翌週に鶴田義行が二百メートル平泳ぎで優勝、市内はもちろん、国を揚げて歓喜した。
 戻り梅雨のような天気は十日過ぎても続き、十二日の日曜日にようやく晴れた。「二週間振りに夏が蘇って」、両国から房総方面に4万人、押上から谷津や稲毛方面に6万人近く、大森・穴守辺りに7~8万人の海水浴客が出かけた。鎌倉・逗子の海水浴客は、滞在避暑客を含めて7万5千人で、迷子が20余名も出た。その他箱根などへの避暑客を加えると20万人を超える市民が出かけたと、鉄道関係者は見ている。
 以後、夏の行楽は、上野の婦人子供博、国技館の納涼園、あら川遊園(民衆納涼デーの宝探し大人25銭)、多摩川園(土日仕掛け花火大会)、京王閣(納涼大会)など市内近郊でも盛んであった。また、市魚河岸移転に絡む疑獄事件で「水神祭」も記事となったことから、夏祭も各地で行われていただろう。
 日比谷公園で『アムンゼンの極地遭難映画』が上映された二十三日、綺堂は、賑わう平河天神の縁日に出かけている。また、赤坂弁天橋付近では、お化けが出没のうわさが出て、毎夜千人の野次馬が集まった。荷風も「夜半人静るや水底より怪奇なる物音聞るとて両三日前より毎夜群集雑沓す」との話を聞いて三十日に出かけた。

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昭和三年(1928年)九月、東京市会疑獄の黒幕検挙⑭、残暑はきびしいが、秋祭りなどの市民レジャーはそこそこの活況
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9月1日a 浅草花屋敷、震災時の鳥獣供養で入園料割引(大人50を20銭小人25を10銭)
  1日A 開場早々の浅草松竹座「キートンの船長」他満員御礼
  7日T 日比谷公園新音楽堂で「第九回国際オリンピック大会第一報」「入場者無慮二万」
  14日ka 氷川明神例年の祭礼
  17日T 新荒川大橋開通式「無慮五万の観衆」
  26日A 明治神宮外苑で女学生三万人を集めた奉祝予行練習で五十余人が卒倒
  29日A 秩父宮御成婚を祝い、明治神宮外苑から二重橋へ三万人の提灯行列、
                                                
 九月に入り、新聞は皇室関連の記事と「京電疑獄」によって占められていた。市内は御大典の準備で騒がしく、二十五日、明治神宮外苑で奉祝予行練習が「三万人」もの女学生を集めて行われ、会場では50人以上が卒倒。二十八日、秩父宮御成婚を祝いの「三万」の提灯行列、宮城前の拝観者「二万五千人」などの人出があった。
 十四日頃、荷風氷川神社祭礼の太鼓を聞き、「今日も町内の若者神輿をかつぎ歩む」と日記に書いる。二十日頃にも熊野神社祭礼があったように、市内の人出は続いているようだ。