盛り上げた人出がピークとなる三年の秋

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)196
盛り上げた人出がピークとなる三年の秋
 東京市民の生活は、大正時代より際立って良くなったわけではなく、企業の景気も決して良くなってはいない。にもかかわらず、新聞には人々が浮かれて遊んでいる様子を報道している。それも、制止したり、水を挿すような表現はない。首都東京は、前年より盛り上がり、意気消沈してはならない事情がある。
 この年のメインイベントは、天皇即位である。即位の祝賀は、何としても大盛況の中で催さなければならない。そのためには、市民の気運が低下してはならない。天皇即位を前に高めて置かなければという操作があったと考えられないだろうか。このような人々の行動を方向づけることは、現代でも少なからず行なわれている。昭和の初めから戦中へと、戦争を遂行するためにさらに強くなる。
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昭和三年(1928年)十月、東京府下四百二十三校で「御真影」伝達式②、東京松竹落劇部設立⑫、御大典奉祝を前にレジャーは活発
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10月1日  国際水上競技大会 第2日 1円券売り切、その他の切符も飛ぶような売行
  1日  雨の日曜を賑わった映画祭、ぬれながら観衆一万人
  2日A 熊野神社祭礼(9月20・21日)の露店の物を食べ、千駄ヶ谷の子供食中毒
  7日A あす日帰りのタケ狩り、栗ひろいの場所、郊外ご案内、牛久、手賀沼・・
  13日A お会式、電車輸送しきれぬ人出五十万
  14日A 国際水上競技大会は第一日、玉川プールの大スタンド立錐の余地無き盛況
  14日Y 築地小劇場「国姓爺合戦」連日満員
  14日Y 目黒競馬第一日、増築設備も間に合わぬほどの入場者
  14日ki 日曜といい、朝から快晴であったので、どこも人出が多かったらしい
  18日A 茸狩やクリ拾いで郊外の賑わい「ほくほくものの郊外電車」
  21日Y 早慶一回戦、十一時に内野席満員の盛況、夜は慶應ファンが銀座で大騒ぎ
                                                
 七日付Aで、日帰りの茸狩や栗拾いの行楽案内。茸は牛久・手賀沼、高柳・初石・鎌ヶ谷、栗拾いは小机・菊名鴻巣・本宿・桶川など。ただ、日曜は雨になりせっかくの案内も役立たず。郊外の賑わいは次の日曜と十七日に延びた。
 十二日のお会式は賑わい、池上電車が輸送できぬくらいの「人出五十万」人。その日の事件は、賽銭泥棒35人、迷子25人、泥酔30人、風俗壊乱27人、スリ2人と、雑沓した様子が伝わってくる。十四日の日曜、綺堂は混雑した新宿の布袋百貨店を覗き、どこも人出が多かったらしいと、日記に書いている。
 東京朝日新聞主催の「国際水上競技大会」は、十三日の玉川プール大スタンドが立錐の余地無き盛況、翌日も早朝七時から開門を待つファンがならんだ。1円の前売り券は、二週間前に売り切れるほどの人気。オリンピックで日本人が活躍したことで市民のスポーツへの関心は高く、早慶戦の人気は「割れ返る神宮球場」A(21)と、スタンド一杯の盛況であった。その一方で、帝展の人気は落ちたようで「あてが外れて 帝展の失望 近年にない不景気」A(21)とある。

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昭和三年(1928年)十一月、ラジオ体操放送開始①、市内は御大典奉祝に湧き返る
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11月1日A 御大典奉祝の盛んな体育大会、神宮競技場で小学生ら三万人の参加
  4日A 「押し出した人波、郊外の秋色から近県の紅葉へ、市内も奉祝の賑わい」
  4日ki 妙義山は各団体その他でおびただしい人出
  5日A 根岸競馬第二日、売上げ62万円の賑わい
  5日Y お酉様、御守り5万枚、熊手張店130軒6ka銀座辺の酒肆雑沓甚しからん
  10日A ダンス取締、18歳未満の男女入場を禁止
  11日A 「奉祝の大うず巻」宮城前広場に五十万人
  18日A 二の酉
  20日A 帝展、雨に祟られ不成績、前年より六万人減
  28日a 還幸の御道筋両側に二十万人の参拝者
  28日Y 国技館の菊花大会、味の素デー大人60銭
                                                
 市内は、御大典奉祝一色。神宮競技場では市内の小学生たちの奉祝体育大会が行われ、三十一日から八日までに「三万人」も参加するとのこと。三日四日は連休、市内の賑わいはもちろん、郊外競馬や近県の紅葉を求めるて出かけるなど、市民は休日を楽しんだ。
 奉祝イベントは、即位のため京都へ向かう七日からはじまった。天皇のページェントを奉拝する人々は、午前四時に宮城外苑を埋めていた。「御発輦後の東京市内」は、奉祝門付近で記念写真を撮る人などで終日賑わいが続いた。荷風は「拝観せんとするもの昨夜より路傍に堵をなせし・・・銀座辺の酒肆雑沓甚しからん」と日記に書いている。
 十日に天皇即位、「宮城前広場に 五十万人」「明治神宮 参拝者で埋まる」など、夜になっても「灯の海、人の大波に 不夜城の東京全市 提灯行列に万歳とゞろいて わき返つた奉祝い」「街から街をねり歩く学生、青年団、町会等の提灯行列・・・帝都近年になき稀に見る人出であつた」。そして、「奉祝高潮」という写真は、「赤坂離宮前に集つた小学生の旗行列」によって埋められていた。市内の奉祝は、「正に街頭への市民総動員」であった。その一方で、奉祝に託つけて遊ぶ市民の姿は、「交通途絶の賑ひ 花火と昂奮の上野付近」の騒ぎや「花電車も立ち往生 浅草の賑ひ」などに見られた。
 二十七日、東京駅は十一時半頃からすべての列車が止まり、陛下の到着を待った。東京駅から二重橋までの道筋には、前夜七時頃から徹夜して二十時間も待っている人もいた。「御道筋の両側を 埋め尽くした二十万人」、これだけ多くの人々がいたことから、「御沿道の小話挿話」には事を欠かなかった。待つ間には、碁やトランプ、編み物、読書、お化粧や飲食など、さらに「だから止められない際物商売」などもあった。
 なお、即位礼のあった十日から、ダンスホールは、十八歳未満の男女の入場禁止、飲酒の禁止、午後十一時閉場となった。

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昭和三年(1928年)十二月、地下鉄乗務員初ストライキ③、新宿に武蔵野館開館⑭、十二月に入っても奉祝ムード、「奉祝気分に満ちて浮立つ暮の街々」
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12月3日y 代々木原頭で大礼大観兵式、七十余万人殺到
  5日a 「晴れの観艦式に 横浜の人出百万」
  7日A 「奉祝気分に満ちて浮立つ暮の街々」
  13日ki 祝賀会で強飯を焚いた
  13日ka 夕刻まで銀座より上野あたり又丸の内一帯電車通行留め
  14日a 「帝都繁華の中心街に 初めて御英姿を仰ぐ和やかな奉拝者の群れ」
  16日a 「聖上雨中の御親閲に 気負い立つ若人九万」二重橋前広場で分列行進
  26日A 帝国ホテルでクリスマスの夕べ「踊れ踊れ国際的乱舞、大食堂は一杯」
  28日ka 銀座通歳暮の露店例年の如し
  31日A 銀座通り、押し迫る年の暮れに狂奔
 
 二日、代々木原頭に「精鋭三万五千」を含む「十万」の正装礼服の官民、全国在郷軍人「二万余」が集い。大礼大観兵式は「七十余万人」もの観衆の中で盛大に催された。
 四日の観艦式は「人出百万」。横浜の海岸一帯は午前八時頃には身動きもとれないほど、また高台という高台にも拝観者の群れで埋められた。東京からは鉄道に加えて、船で行く人が多く、隅田川下流は、観艦式拝観のダルマ船が数珠つなぎ。船は八時頃にはすっかり出尽くし「ざっと五万人」、芝浦から繰り出した大型船で「海上拝観者十五万」。近来にない陸海の人出があった。なお、拝観船転覆の記事には、本牧沖・鶴見沖のダルマ船は「二百数十艘」と書かれている。
 十三日、東京市奉祝大会が催された。前夜、二重橋では提灯を持った人々、行幸道筋には莚などを敷いて座り込む人々で賑わった。「帝都繁華の中心街に 初めて御英姿を仰ぐ」市民が大勢いた、綺堂も麹町通りに人が続々と通るのを見ている。また、午後からの上野公園から二重橋までの音楽大行進も、道筋は身動きできないほどの人々で埋め尽くされた。
 さらに、十五日には東京府隣接4県の「九万人」による分列行進が二重橋前広場で行われた。「雨中の御親閲」が終了したのは午後三時二十分。生徒たちは何時から集合していたか分からないが、「若人のすばらしい元気は氷雨などものともしない」と書かれていた。日曜日の大イベントということもあって、市民が取り巻いていないとは思えないが、観衆の数は不明。
 二十五日、「踊れ踊れ国際的乱舞」と、帝国ホテルでは賑やかなクリスマスの夜が催された。市民のダンスは制約されていたが、帝国ホテルのパーティーは差つかえないらしく、大食堂は一杯の人で埋まっていた。
 二十五日、綺堂は、午後から混雑する新宿三越で買い物、歳末の景況を撮影しよう思っていたが、あまりにも混雑が激しいのであきらめた。三十日の銀座通りは歩けないほど、「押し迫る年の暮れに狂奔」。奉祝で市民は浮かれていたが、景気が改善されたわけではない。東京市は、1万人の労働者に食券を配り、困っている人々の救済をした。レジャーから見ると、映画は前年十二月より9%、10万8千人も観客が減少している。前月からの奉祝騒ぎにお金を使いすぎた人もあろうが、景気はじわじわと悪化している。