続く戦捷祝いに託つけて遊ぶ十二年の秋

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)232
続く戦捷祝いに託つけて遊ぶ十二年の秋
 「敵抗日首都・南京陥落」と、戦いに勝ったという知らせだけである。市民は、首都を占領すれば、これで戦いは終わるものと思ったのではないか。当時の新聞からは、南京でどのようなことが起きていたのかわからない。「南京大虐殺」を含めて、その真相は今後とも解明できないだろう。
 現代から見れば、東京市民は、中国での戦果を喜ぶより、銭湯の朝風呂廃止、市バスに木炭車出現、全国のダンスホール断固閉鎖など方に眼を向けて欲しかった。新聞では、南京での戦闘は勝っていることになっているが、市民生活はジリ貧に向かっている。それなのに、目先の楽しみを求めて、市民は遊んでいる。
 戦争勝利の先に何が待っているのか、考えさせないようにしているようだ。政府や軍は、大勢の人々を集めて、提灯行列や旗行列などを行なわせ、勝利の興奮を味わい、余韻に浸らせている。そのようなイベントは、レジャーとか遊びの本質とは異なるものだが、それで誤魔化されている。永井荷風は、街のそんな様子を彼独特の視点で見ている。

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昭和十二年(1937年)十月、事変中のスト中止を決議⑰、行楽自粛のなか市民のレジャー気運は健在
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10月2日a 浅草帝国館等「敵国降伏」他満員御礼
  2日A 国技館の菊大会「輝く皇軍」、大人60銭3a浅草電気館等「美しき鷹」他満員御礼
  4日Y “軍国調多摩川園菊花大会”秋晴れにどッと繰り出た行楽群、一万三千人
  5日y 日比谷映画劇場「ラプーブの大学生」他満員御礼
  13日a 非常時のお会式、正午に既に八万
  22日a 新宿映画劇場「海の魂」他連日満員御礼
  24日ro 九段を通ると招魂社のお祭りで賑やかだ
  25日Y 六大学リーグ戦、早慶戦で閉幕
  28日a 「歓喜・帝都に爆発!昼の旗行列に続いて夜は感激の提灯行列」
  29日a 神宮大会開幕「銃後二万二千の若人」
                                                
 恒例の国技館の菊大会、「輝く皇軍」と銘打って一日から開場。多摩川園菊花大会に1万3千人の入場。十二日のお会式、正午に既に「八万」、「例年の七十万内外を突破するだろう」とある。行楽活動の自粛が求められているなか、レジャーを楽しもうとする市民の欲求は根強い。
 荷風は、十三日、「東武鉄道乗場は出征兵士見送人にて雑沓す。見送人の大半は酒気を帯び喧騒甚しく、出征者の心を察するが如きものは殆どなきやに見ゆ」と、抑圧を開放しようとする人が少なくない。
 二十七日、上海戦勝の知らせが入ると、「歓喜・帝都に爆発!」。荷風は、「銀座に往くに上海戦勝祝賀の提灯行列あり。喧騒甚しきを以て地下鉄道にて雷門に至る。町のさま平常に異らず。・・・東武電車にて玉の井に至る。ここはいつもより人出少し」、と見ている。
 宮城周辺では、連日提灯行列が続き、三十日は東京実業組合連合会の「豪華・六万人の大提灯行列」A(31)が上野から皇居前広場へと向かった。

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昭和十二年(1937年)十一月、銭湯の朝風呂廃止⑩、戦勝ムードで市民は出歩く
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11月3日ro 有楽座「のどかなる結婚」他大入り
  4日a 明治節二重橋前の市民大会六万人を突破
  7日a 明治神宮奉拝式、代々木原頭で十万若人の行進
  7日ka 日曜日にて街上の雑遝甚し
  8日y 日独庭球、田園調布庭球場を埋め尽くす
  8日A 伊防共協定成立を祝し、日比谷で一万二千余名
  8日Y 多摩川園の事変パノラマ菊大会、どっと五万人
  11日a 第五回報国音楽週間の連合女子音楽体育大会、神宮外苑競技場に「五万人の大合唱」
  21日ro 防空演習もこたえたのは初めの二日間、今日の如きはまっくらな中を、有楽座のみならず、日劇あたりも行列
  22日Y 日比谷新音楽堂で東京青年学校大会、七千人初冬の街に堂々行進
  26日a 後楽園スタジアムで三国防共協定成立一周年大祝賀会
  30日ka この夜三の酉にて公園も亦人出多し
 
 上海戦勝と言っても、戦争が終極したわけではなかった。東京市は、明治節に、二重橋前に中学校・青少年団・防護団・愛国婦人会・国防婦人会・町会代表など「六万人」を動員し、「市民の宣誓」、総理大臣訓示後、上野公園・外苑・震災記念堂など六方向に向かって行進。六日に代々木原頭で「十万若人の行進」、その後も「伊防共協定成立」など、市民の士気を揚げようとするイベントが続く。「三国防共協定成立一周年大祝賀会」は、できて間もない後楽園スタジアムに中等学校百校生徒「約五万人」をはじめ専門学校生徒らを集めた。
 新聞を見るとスポーツが盛ん。荷風の十八日の日記を見ると、「午後門を出で浅草公園興行物を巡見す。時雨ふり出しては歇むこと数次なり。酉の市に至りて見るに群集既に雑遝せり」。ロッパ日記からも映画や演劇が盛況な様子がわかる。多摩川園の「事変パノラマ菊大会」は、二十一日も3万5千人の入場、と市民レジャーはそれなりに活発。
 なお、荷風は、「余浅草公園の興行物看るは震災後昨夜が始めてなり。曲馬もこのオペラ館も十年前に比較すれば場内の設備をはじめ衣裳背景音楽等万事清潔になりたり。オペラ館の技芸は曾て高田舞踏団のおさらいを帝国劇場にて見たりし時の如くさして進歩せず。唱歌も帝国劇場に歌劇部ありし頃のものと大差なし。されど丸の内にて不快に思わるるものも浅草に来りて無智の群集と共にこれを見れば一味の哀愁をおぼえてよし」と、十六日の日記に記している。

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昭和十二年(1937年)十二月、南京陥落⑬、市バスに木炭車出現(30)、各地で南京陥落の祝賀行事が行われ、興行も盛況
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12月1日a 三の酉は大賑わい、戦勝景気、浅草の「数十万という」意外な人出
  2日A 浅草電気館等「呼子鳥」他満員感謝
  5日a 浅草帝国館等「浅草っ子」連日満員感謝
  11日A 雨の帝都の賑わい「踊出した提灯行列」
  13日a 街には千人音楽行進「天地・祝勝に搖ぐ」
  15日a 南京陥落祝賀行進「轟く六万人の万歳」
  18日a 新宿大東京等「母の曲」他満員感謝
  18日ka 浅草公園「羽子板市今夜も亦賑なるに、折りから小雨ふり来る」
  20日ka オペラ館の新曲を聞き、カフェージャポンに憩う。酔客雑沓
  21日Y 第一回日本職業野球優勝大会最終日、後楽園球場で名古屋軍制覇 
  24日A 「Xマス・ダンス永久取やめ」帝国ホテル自戒
  31日ro 銀座へ出る・・人波に揉まれつつ買い物
 
 まだ戦争は終わっていないが、戦勝景気で三の酉の浅草は人出「数十万という」大賑わい。一の酉が雨、二の酉は防空演習のため出かけられなかったので混雑したと新聞にあるが、市民は戦争とは関係のない催しを楽しみたかったのでは。羽子板市、歳の市も盛況である。
 我が国は、敵抗日首都・南京陥落で終極を迎えたと判断か。南京陥落の一報が入ると、雨のなかでも「踊出した提灯行列」の賑わい。十四日は、東京市主催で全市女学生、女子青年団、小学生の旗行列、神宮外苑・上野公園・靖国神社など六ヶ所から「五万六千」の第二国民の集団がブラスバンドを先頭に宮城に向かって行進。また、尋常科五年以下の児童たち「五十万人」はそれぞれ各区内を旗行列。翌日には靖国神社で「南京陥落奉告祭」と祝賀行事は続いた。
 「全国のダンスホール断固閉鎖に決す」A(29)の記事が出る前に、帝国ホテルは時局に鑑み「今後一切のクリスマス・ダンスを中止決定」。「涙雨のXマス・イヴ」A(25)であったが、戦争終結に市民は安堵していたのだろう、銀座は賑わっている。「除夜の鐘を聞く。女給いち子を拉し観音堂に賽す。群集雑沓殆歩む可からず。雷門より電車に乗り銀座に出で夜市を看る。灯火煌々白日の如し」と、荷風は大晦日の様子を記している。