軍事色イベントに盛り上がる昭和十四年冬

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)237
軍事色イベントに盛り上がる昭和十四年冬
 一月、近衛内閣は特別な失政もないのに総辞職。この頃の政治は民意がほとんど反映されなくなった。二月に、第十二回オリンピックに「戦勝国の日本がなぜ選手を派遣せぬ 敗戦支那でさえ参加を発表したのにと」Y⑧、厚生大臣に迫る質問が出された。このような発言ができたのはこの年までである。
 一月の新聞紙面から、元日は「全国民一斉に遙拝 祝ふ!興亜の春 厳粛溢る年頭風景」と市内の様子を伝えているY②。中国での戦いに勝っているとアピールするためか、「無敵戦車・帝都を大行進 蜿蜒一里半の戦列」A⑨との見出し。しかし、前年七月、ソ連の機械化部隊に惨敗したことをひた隠し、実情を知っている人はいるはずだが。
 「男子 国民服を俎上に」Y⑭、「各方面の批判を聴く」とある。「活動力に欠けた感じ」、「感心できない襟とズボン」、「耕作には全く不向き」などと、久しぶりに自由な意見が新聞に載った。                                           

 二月の紙面からは、「一億民の心を一つ 祝ふ戦勝の佳節 帝都百萬人の大洪水」a⑫の見出し、建国祭を如何に盛り上げようとしているかがわかる。そのためか、相撲を除くイベントを締めつけている。それでも、市民の遊ぼうとするエネルギーは、春の到来で止まらない。

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昭和十四年(1939年)一月、近衛内閣総辞職④、銀座で戦車大展覧会開催⑧、69連勝中の横綱双葉山が安芸の海に破れる⑮、お目出たい正月気分はすぐに消え、戦時ムードが浸透する
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1月2日Y 明治神宮百万人、靖国神社卅万人の参詣者、成田山二十五万人で護摩十五万枚・身替札七十万枚等の総収入二十五万円
  7日a 出初式消防団統合解消で「名残の木遣」約五千人参加
  8日ro 有楽座「遠山の金さん」他八日まで満員
  9日A 無敵戦車・帝都を大行進、靖国神社遊就館に一万余人入場
  10日y 明治座「戦地から来た歌」他満員御礼
  13日a 大相撲春場所初日、前日夜九時会場、忽ち満員

  20日ka この夜公園の雑遝はなはだしきは二十日正月のためならんと云う
  23日A 歌舞伎座「菅原伝授手習鏡」他好評日延べ
  24日a 鉄兜で軍旗祭、余興等はとり止め催し物は各中隊対抗の角力
  25日A 千秋楽、二万の観衆「歴史的ざわめき」

 元日の人出はどこも凄く、明治神宮の「百万人」をはじめ、成田山は「二十五万人」と大勢の人出があった。大晦日から浅草にいた荷風は、「西新井の大師に参詣せんとする男女ますます多し」と、正月の人出を見ている。映画や芝居の正月興行も盛況なことは、「街頭切符売りの書き入れ時」とロッパの日記からもわかる。
 しかし、町の正月気分は、出初式が縮小するなど、味気なくなっている。それに変わって、軍事パレードが盛大になっている。八日には、靖国神社から59両の戦車が「無敵戦車・帝都を大行進」。同神社遊就館の「戦車展」には「一万余人」の入場。最終日の十五日までに「来館者数数十万」に達したと。
 市民のレジャーは、映画演劇と相撲だけになったように感じられる。相撲は初日の前日から詰めかける人気、ロッパの芝居も十四日は「補助の出切る満員で、有楽座のレコードを破りつゝあり」との盛況。二十五日の千秋楽は「二万の観衆」「歴史的ざわめき」とまで書かれている。

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昭和十四年(1939年)二月、不急品回収開始⑯、レジャー制限は強化されるが市民のレジャー気運はくじけてない
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2月4日a 「鬼は東亜の外」軍国調豆撒き、浅草観音堂では小笠原中将等、池上本門寺では前田山等、女優やレビューガール等は一切締め出し
  5日ro 国際劇場「井上河合の新派で、一円五十銭最高という安値なので大入満員だ」
  11日ka 紀元節にて世間騒がしければ終日門を出でず
  12日a 建国祭「陸上式典に七万人」、この日の人出は東京駅四十万、新宿駅三十五万、上野駅十五万等々
  16日A 街頭から消えるゴム製ボール
  17日A 木炭バス“市電式”お目見得、臭気害なし
  20日A 戦下「女性よ出歩くな」と婦人大会で強調

 節分は、「軍国調豆撒き」ということで、軍人が豆をまき、女優やレビューガール等が完全に締め出された。また、レビューガールの「軍装プロマイド禁止」a③。その理由は、「皇軍の威信を失墜する」とのこと。
 十一日、建国祭、午前九時にサイレンが鳴り響き、市電、市バスが一斉に停止。市民に一分間の黙祷が呼びかけられた。十時から靖国神社をはじめ7会場で式典、その後は「約七万人」が皇居に向かって行進。また、代々木練兵場から「千騎の大絵巻」と、4キロも続く騎馬が銀座などの都心を行進した。なお、この日は「帝都百万人の大洪水」と、二日続きの休みということもあって、大勢の市民が出かけたようだ。
 新聞には、「女性よ出歩くな」「“九段名物”の見世物興行等・露店の営業締め出し」aなど、レジャーを制限しようとする圧力が強くなった。ちなみに、靖国神社春季大祭恒例の“九段名物”締め出しは、神域の壮厳を守るためとのこと。

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昭和十四年(1939年)三月、上野松阪屋の「帝都防空展」盛況⑲、第一回市民武道大会開催(24)、暖かさとともに市民は春の行楽に向かう
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3月5日y 国際劇場「絵本太功記」他満員御礼
  5日A 庭球学生リーグ戦、ボール難で中止と決定
  7日a 日比谷公園で「地久節 三万女性が報国祭」
  11日a 陸軍記念日新荒川大橋付近で敵前渡河「十万の大観衆・手に汗」、市内各地で自発的防空訓練「女軍・街を死守 金盥、バケツの総出動」
  19日A 満員のサーカス全焼 蒲田区女塚でシバタ・サーカス 哀れ猛獣の焼死体 観客は無事
  19日Y 野球大リーグ戦開幕、メインスタンド満員
  19日ka 彼岸に入りしが春風猶暖ならず・・・銀座通は平日よりも人通少し
  20日Y 多摩川園「つつじ人形」人波で埋まる
  22日a 「陽春の第一日」、東京駅の乗降客は夕刻までに二十万、上野駅も二十万、新宿駅は十一時までに十五万、京成押上駅の成田不動参りが十万の人出
  24日y 有楽座「エノケン誉の土俵入」他日延べ
  26日Y 国技館で堀口対網野の拳闘戦、約二万のファン
  30日A 富士館帝都座等「王政復古」満員御礼

 「戦費負担一人当り百二十円 日露戦争の七回分」A②。無理な戦争は、「自発的防空訓練」を強制し、市民の楽しみを奪っている。それでも、サーカス小屋火事の記事から、市民の遊ぶ様子がうかがい知れる。市内にはまだサーカスのできる空き地があって、興行すればテント一杯の700人もの観客が集まった。
 十九日、彼岸に入りまだ寒さが残っているが、多摩川園の「つつじ人形」が開場。テーマは「海の荒鷲と鉄血陸戦防大展覧会」で、開場とともに人波で埋まった。二十一日は、家族連れで「市内は物凄い人出に賑わった」。「春は郊外へハイキング」A(28)と15コースを紹介、市民を行楽に誘う記事がある。