上野動物園等に見る庶民の行楽

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)288
上野動物園等に見る庶民の行楽
 花見といえば上野、上野といえば動物園を連想するほど、上野公園の利用と動物園の利用は密接である。上野動物園はわが国最初の動物園で、明治十五年(1882)に開園、大正元年(1912)で満30周年を迎えている。動物園は子供の遊び場と思っている人が多いが、当初の動物園は博物館の付属施設として作られ、その設置目的も博物教育・研究を中心にしたものであった。現在でもこの方針は基本的には変わりなく、さらに希少動物の保護と繁殖の場という役割も強くなった。しかし、動物園が大衆の行楽地であることは、開園した翌年には、藪入りの月曜日(動物園の休園日)を開園して、小僧さんたちの来訪を待っていたことからも分かる。大衆の遊び場という状況は、現在もほとんど変わらない。なお、現代の上野動物園は、小学生以下が無料ということもあって、子供が多くなっているが、大正時代は逆に大人の入園者のほうが圧倒的に多く、大人のレジャー施設といっても過言ではなかった。そして、このことは、東京だけでなく大阪の天王寺動物園のデータからも明らかである。

  大衆の行楽活動は正確なことがわからないと述べたが、東京では唯一、上野動物園については比較的詳細な資料がある。これまでのブログで示した花見については、毎年のように新聞に掲載されているものの、かなり大まかな数値しか示されていない。また、新聞記事は、とかく大げさにして読者の関心を引かなければならないので、そのまま信じるのはかなり危険である。それに対し、上野動物園は、毎日の有料入園者数をもとに集計し、東京市などが統計書(『東京市統計年表』)として公表していることから精度が高く信用できる。さらに、動物園は開園以来、管理日誌を作成していて、その時々の動物の状況などとともに詳細な資料が残されている。そこで、上野動物園の利用状況から大衆の行楽形態を見てみよう。

  大正元年上野動物園入園者数は、大人63万人、子供9万人、学校の団体生徒12万人、計85万人であるが、これには学齢の前の子供が含まれていないため、実際は100万人近かっただろう。大正三年(1914)には大正博覧会が上野で開催され、隣接する動物園にも立ち寄る人が多くなるなるだろうと思われたが、入園者数は増加どころか減少した。その数は、大正時代で最も少ない45万人で、これは関東大震災のあった十二年よりもはるかに少ない。ではなぜこんなに減少したか。
 その理由は、大正博覧会を見物すると、その後動物園を見て回る時間がなくなっててしまうからである。大正博覧会の会場は、第一会場が竹の台、第二会場は不忍池畔で、合わせて約10万坪(33ha)もあったから、一日がかりでもすべてを見ることはできないし、その上動物園も見ようとしたら、さらに2~3時間必要になる。したがって、いつでも見ることのできる動物園は後回しになって、博覧会の方に足を向ける人が多かった。
 大正博覧会は三月二十日にオープンしている。ちょうど花見のシーズンに向かう頃で、花見を兼ねて訪れた人が多かった。上野動物園の利用は三月~五月が最も多く、特に四月は来園者数の多い月である。この最も動物園が混雑する期間に博覧会が開催したため、本来なら動物園に入場するはずの人が大正博覧会の方に流れてしまった。博覧会も大衆にとっては行楽活動であるため、明治時代から大規模な博覧会は、その大半が三月に開催されている。したがって、大衆の行楽活動は、三月から始まって、五月頃までが最も盛んだといえる。

  では、上野動物園はどのように年間利用をされているだろうか、月別の入園者数の変化(月変動、季節変動)を見てみよう。来訪者が一年のうちで最も多く訪れるのは春で、花見のシーズンとゴールデンウイークが特に多い。梅雨に入ると外出がおっくうになるためか、著しく利用者が少なくなり、梅雨が開けて、子供たちの夏休みが来ても春のようには多くの人が訪れない。秋なると再び来訪者が増加し、冬になると急激に利用者は減少し、翌年の春まで、まるで動物たちの冬ごもりと同じように、ひっそりとした動物園になってしまう。この間入園者数の変化は、明治十五年に開園してから、現代まで百年以上になるが、ほぼ同じようなパターンを見せている。
  もちろん、上野動物園の年間入園者数は開園以来増加しており、当初20万人であったのが大正年間には100万人を超え、昭和十年代に300万人を超えている。入園者数が十倍以上も変化したにもかかわらず、月別入園者数の変化(変動パターン)を見ると若干の違いはあるものの、ほぼ同じということができる。そして、大正元年については、上野動物園から西側に約2㎞離れた植物園(小石川植物園)の月別入園者数と比べても、非常に似ている。さらに、動物園に近接する東京帝室博物館の月別利用者数とも同じようなパターンで動いていることがわかった。  
  動物園や植物園、博物館など東京にある行楽施設の利用者数の変化は、すべて同じような月変動をしていることわかる。これは、東京の人々の行楽パターンが類似しているからである。人々は、各々の好みに応じて、色々な所へ出かけていっているつもりなのだろうが、東京全体からみれば同じような行動パターンを示していた。つまり、自分が行楽活動をしたいときは、他の人も外で遊びたいということである。こうした季節による行楽活動パターンは、個々の施設によって多少の違いはあるものの、基本的には暖冬や空梅雨など年によって異なる気候、天候などによって決定されている。
  動物園ということから、利用形態はかなり特殊な形をしていると思われがちであるが、上野動物園の利用者数の変化を知ることによって、同時代の東京の人々の行楽状況を知ることができる。そして、上野動物園入園者数の季節変化が百年間以上も変わっていないということは、東京の人々の行楽形態が明治時代から、さらに江戸時代から変わっていないということである。