幕末の庶民社会慶應二年(1866年)

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)293

幕末の庶民社会慶應二年(1866年)

 慶応年間に入って、諸物価の値上がりや町会所の窮民への施しがあり、世情は必ずしも安定していないが、江戸の数多くの縁日は多分、行われていたのだろう。慶應元年の正月には浅草奥山で秋山平十郎作の生人形が、二月には回向院境内で百日芝居興行、三月には浅草の三社祭が盛大に行われている。このように、江戸の中心的なところで祭礼があることから、それに伴う縁日は庶民で賑わっていただろう。九月の神田明神祭礼は仮祭であるのに神輿などが持ちだし、氏子らが罰金を徴せられているし、猿若町で芝居寿狂言興行が行われている。十一月には、雑司ケ谷鬼子母神境内鷺明神で酉の祭がはじまり、縁日も賑わっているだろう。

 江戸庶民の生活は、決して楽ではなかった。幕末の食料事情はかなり悪化し、三月には「物価引下げ令、買占め売惜しみ止令」が出された。なお、江戸の食料は、幕末になっても近在の農村から運ばれ、一定量は供給されていた。しかし、慶応元年閏五月、天候不順や真鍮銭・文久銭・銅小銭の歩増し通用が触れだされ、勘定が煩雑になることから生産者とのトラブルが発生し、神田や千住の野菜市場に荷が入らず、六月には青物問屋や棒手振までが十日も休むことがあった。幕府の引き下げ令や買い占め売り惜しみ禁止令があるものの、諸物価は高騰した。

 この年、雉子橋門内の牧場で搾った牛乳が一部販売された。なお、幕末期の庶民は、現代のファストフードである屋台料理を好み、「すし」「鰻」「天ぷら」などを身近なものにしていった。

 

 慶応二年の正月は、将軍が不在であるため、『藤岡屋日記』には年頭之為御礼からはじまる記載のみである。江戸にいる武家は、登城してはいるものの、その数は少なくなっているだろうか。前年の暮れには強盗が出没し、御屋敷向きの年頭回勤がなく、元日に白木屋 騒動、四谷で火事があり、その上商いは不景気だった。

 もっとも、浅草では前年と同様の生人形や竹田縫之助のゼンマイからくり等の見世物などが出ている。前年から雪も降らず、七日の初卯〔初卯詣:正月初卯の日、 亀戸天満宮境内の妙義神社(上方では住吉神社など)に参拝すること〕は、天気が良く、亀戸妙義社の梅屋敷は花盛りで非常に賑わったという。町人は夜間の押し込みや追いはぎ などを警戒しながらも、正月を楽しむことは止めなかったようだ。また、芝白金清正公門 前明地に、牝ライオンの見世物も出たらしい。

縁日も正月からは見世物、相撲、歌舞伎などがあることから、江戸の町々にあっただろう。二月の末になると、諸物価が高騰するなかでさつまいもだけが安く、焼き芋 が大流行した。

五月の末から六月の始めにかけて打ちこわしがあった。それによって、この年は、魚河岸にサンマがたくさん上がっても 茶屋は買い出しに行かず、棒振りも売り残す始末だったとある。このように、食料の絶対的な不足というよりは、円滑な輸送ができずに混乱していたという一面があった。

 両国では見世物が人気無く興行が打ちきられているが、回向院では開帳があった。このことから、打ちこわしのなかった浅草や両国、雑司が谷などでは縁日が開かれていたものと思われる。七月以降も開帳や見世物があり、縁日の情報は、外国人とのトラブルがあった上野大師の縁日の賑わいが残っている。また、冬には無断で富突興行をあちこちの社寺でやっていた。

 そして冬には、牛を屠殺して羹(あつもの‥菜や肉などを入れて作った熱い吸物)として売り出す店や、西洋料理と称して西洋の家庭料理のようなものを出す店があちこちにできた、とある。

 

慶應二年(1866年)の江戸庶民関連事象

1月 浅草寺奥山で活人形やゼンマイからくり人形等の見せ物出る

1月  小銭が払底し、真鍮銭・文久銭・銅小銭を歩増し通用するよう通達が出される

1月 薩長同盟が成立

2月 茅塲町薬師境内花角力、大繁盛

2月 上野花見の頃、山内の出茶屋が閉めさせられる

3月 南傳馬町辺りで、年少者の歌舞伎狂言を催し賑わうが中止させられ、罰をうける

3月 浅草寺蔵前で活人形の見せ物出る(膝栗毛の人形、遊女の湯浴み姿など)

4月 猿若町の座元薩摩吉右衛門等は米沢町で興行を許される、芝居は大入り

4月 小石川白山権現社内で百日芝居興行

4月 弁当屋という者、調理して重箱に詰めて売るのが流行る

5月 両国橋東詰で西洋伝来木匠の器械の見せ物、見物人少数で間もなく終了

5月 猿若町三座の芝居興行が止み、人通り絶え、揚屋・飲食店等がさびれる

5月 医学所出張所を増設、種痘を実施

5月 物価急騰し、打ち壊しが起きる 

6月 窮民に銭を支給する

6月 神田社地三天王御旅なし

6月 山王権現祭礼なし

6月 本所回向院で三河国勝鬘皇寺聖徳太子像開帳(60日間)、曲馬等の見せ物あり 

6月 芝金杉円珠寺境内、百日芝居興行

7月 山谷正法寺毘沙門天開帳(30日間)、朝参り多い

8月 浅草御蔵前で、天神小僧と称する7歳の男子が文字の曲筆の芸を見せる

8月 町会所で、窮民に米を廉売する

8月 団子坂で英国人と貧民が衝突、怒った群集貧民は猿若町の方まで追いかける

9月 上野大師の縁日、参詣人はいたが、貧民群集し異人に怒鳴ったため春米屋休業

9月 窮民施しを求めて練り歩く

10月  不作のため外米買入れ販売の許可

10月 幕府の歩兵が吉原で乱暴を働く

10月 芸人の渡航が許される

10月 三芝居顔見せ狂言興行なし、茶屋飾り物もなし               

11月 芝金地院観世音開帳(17、18日)

11月 吉原の遊廓が全焼する

冬  無断で富突興行を催す者が寺院等所々に出現.場主捕らわれ、催主厳刑される

冬  牛を羹にして商う店や西洋料理と称する貨食舗が所々に出現