江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)294
幕末の庶民社会慶應三年(1867年)
慶応三年の正月は、将軍家茂が昨年七月に 亡くなり新たな将軍は不在、暮れには孝明天皇も崩御、と江戸城では正月を祝うどころではなかったはずだ。四日には鳴り物停止、松飾りを取り払う令が出され、盛り場はひっそりと静まりかえった。 江戸の町中は、正月の祝い事が中止されたことによって、獅子舞、鳥追、三河漫才や寄席は正月の稼ぎのあてが外れた。ただ、芸者は、戦の準備を整えた武家に招かれ、存外に忙しそうだった。一方、町人は江戸の盛り場がだめならと、江戸から出て川崎や西新井の大師、亀戸天満宮などへ出かける人が多かった。なお、浅草では、奥山に秋山平十郎作の七福神、太田道灌と田舎娘などの生人形の見世物が出されていたらしい。
しかし、二月中旬の花見の季節になると、向島、飛鳥山へと人が出た。上野の山内は二月二十五日頃が花の盛りで素晴らしかったが、前年同様茶屋も開かれず、むしろを貸す茶屋はないため、ひっそりとしていた。この上野の厳しいチェックは異人が御山内拝見を願い出ていたためである。実は異人が馬を走らせ、勝手に入り込むのを防ぐためであった。
人が多く出たというように、祭礼は盛大とはいかなかったが、民間の催しにはそれなりに人出があったようだ。春になっての芝居や見世物、夏の納涼とあり、秋になっても安政の大地震の十三回忌の法要が諸宗の寺院で行われ、十一月には、浅草寺観音堂が修復し遷仏供養などがあって、多数の参詣があった。幕府は大政を奉還し、江戸を混乱させようと札が降ったりする中で、仏事は行われ、縁日もあちこちで行われていた。
なお、駐日英国公使のパークスは、1867年(慶応3年)江戸で米価高騰による米騒動を目撃し、幕府に勧めて外国米の輸入販売を許可する布告を発布させた。ただ、困窮しているとはいっても、江戸の人々は味が極めて悪く悪臭もある外米(南京米)を、吐き気がするといって安く入手できたが、買う人は少なかった。
また慶応三年には、イギリス人ベリーが萬国新聞紙を発行した。海外新聞は、ジョセフ・ヒコ(子供の頃、乗っていた船が遭難し、アメリカ船に救出され、かの地で教育を受けた播州彦蔵のこと)によって発行された。彼が新聞を発行しようと思ったのは、神奈川の役人たちがさかんにヒコを訪ね、外国のことを知りたがったからであ った。発行すれば彼らはまっさきに購読してくれるだろうと期待していた。新聞の内容は、国内外で発行された英字新聞の中から関心がありそうなことを翻訳して記事にした。発行 部数は百部程度で、海外新聞の値段は、一部五百文、年間購読料は前金で一両二百文であった。 ちなみに、この海外新聞が売れたかと言えば、定期購読者はたった二名だったという。 買い手のつかない新聞は結局は無料提供ということになり、経営は成り立たなかった。当時、米、味噌、塩などが値上がりする一方で、日雇い生活者の賃金は一日十四、五文で、 米を一升ほど買えばすっかり消えてなくなるという状況だった。したがって、一部五百文 もする新聞など、庶民はもちろん武士でさえ購入をためらい、まして一両二百文もの金を 前払いするような人はほとんどいなかった。
他に、慶応三年(一八六七)のパリ万国博覧会には、幕府と薩摩藩などが参加している。
慶應三年(1867年)の江戸庶民関連事象
1月 5日より天皇家の服喪のため鳴物停止、早春世の中は静寂に過ぎる
2月 初午稲荷祭いっさい執行なし、3月末又は4月に執行する
2月 外国人への投石などが厳禁される
春 回向院境内・西久保普門院境内で、百日芝居興行
4月 浅草寺観音堂修復につき本尊を念仏堂へ移す.奥山で見せ物出るが見物人少数
4月 芝金杉円珠寺境内で百日興行
4月 外神田繰芝居興行、間もなく止む
5月 外国人の劇場や茶屋等の出入許可
5月 洋傘がはやりだす
6月 神田三天王御旅出なし
6月 赤坂氷川明神祭礼、神輿出る
6月 両国橋畔納涼、殊に賑わう.花火はなし
6月 治安上、上野山内が閉鎖される
7月 築地居留地の開設が始まる
7月 四谷、新井宿の五関門が廃止
7月 彼岸中雨が続き、六あみだ参礼所観音参り等は参詣人わずか
8月 浅草田畝立花侯下屋敷鎮守太郎稲荷社に参詣群衆し始めるが次第に廃れる
8月 楮幣が発行され、通用開始
9月 神田明神祭礼、神輿行列のみ神田橋より先に入らず、山車練物なし
9月 人口増で、三階建て住宅を許可
10月 安政2年の震災から十三年の忌辰に当り諸宗寺院で法事修行、参詣あり
10月 「ええじゃないか」が流行るが江戸では盛り上がらず
10月 大政奉還
10月 江戸と横浜の間に乗合汽船運行
11月 浅草寺観音堂修復終了、遷佛供養あり、信心の男女群衆する
11月 芝金地院観世音開扉、杓子を与える
12月 王政復古を宣言
12月 薩摩藩屋敷の焼き討ち
冬 夜中、屋上や塀の中へ神仏の守札が散り人心を惑わすも、沙汰あり、やがて止む