江戸東京市民の楽しみ(昭和時代)306
欧米人から見る江戸と明治以降(東京)の庶民社会2アンベール
幕末に訪れた欧米人が日本人、特に下層の庶民をどのように見ていたか探ってみたい。彼らは、幕府などの武士階級には信用できないとの酷評をしていたが、庶民の評価には外国人ならではの視点で、好意的に見て居る。文久三年(1863)、スイスの遣日使節団長として来日したアンベールは、庶民と直接接し、その特質・思想までも観察している。『アンベール幕末日本図会』高橋邦太郎訳より
・『いろは唄』に見る庶民の思想
アンベールは、「私は、近くの学校(寺子屋?)で先生を取り卷いて坐って、六人ほどの男の子が暗誦の授業を受けているのを参観したことがある。彼らが口々に繰り返して唱えている文句の意味を知ることができた。それはアルファベットの一種で、イロヴァ Inwa 〔いろは〕を唱えているのだと教えてくれた。・・略・・とにかく、日本のアルファベツトを、私はつぎのように受けとめた。・・略・・今、私が特に興味を覚えると共にきわめて感動したのは、この東半球の最末端の地で、われわれと同様に、不死の創造物である小さい人間が何百万も、毎日唱えているこの詞句の意味を知ったことであった。『色も香いも、消え失せて行く。この世界には、永久的なものが何一つない。今日という日は、虚撫の深い淵に滅びて行き、それはまことにはかなく、本当に夢によく似ている。それはかすかな不安さえも起すことはなかった』
まったく、この国民的なアルファベットは、多くの大きな書物よりも日本人の性格の深奥を私に告げてくれた。幾世紀このかた, 去り行く世代が, 新しく成長する世代に繰り返し、『この世には、永久的なものは何一つない。今在るものは夢のように過ぎてゆき、そして何の不安も起さなかった』と教えているのである。このような庶民の哲学は、魂の要求を十分に満足させるものでもなく、こうした宗教観の具現がこの国に及ぼした影響は、まことに顕著である。そして、この哲学観は潜在力としてたえず働き続けて、その影響が日常生活のごく細かいことにも及んでいるに違いない。たとえば、この結果、将来を見通す打算の結果とか、共同の部屋とか、団集の間とか、幼時の思い出を収める聖堂とか、先祖からの伝統とかを禁圧してはいないであろうか。日本人の住居は、現在の時間には適応しているけれど、過去の時間の跡は留めない。
この詩の句にあるように、すべてが外部の世界と即座に協調して終始してしまうのである。こうして、夜ともなれば、戸障子を閉めて一部屋を寝室に変え、油紙を張った木製の丈の高い籠〔行燃〕の底に火をともし、その明りが天体の静かな光さながら、暗闇の中に輝くのである。朝になると、寝室のすべての物が撤去されて、一定の場所に仕舞い込まれてしまう。四方の戸障子が開け放たれ、部屋の中は隅から隅まで掃き出され、朝の空気が流れ込み、太陽の光線が田園同様に広い幅をなして、ほしいままに畳の上にさし込むのである。最後に、午後のひどい暑さの間は、家をぴったりと閉ざし、すっかり内部を衝立や屏風で閉ざしてしまい、地下の洞窟にでも入ったように暗くしてしまうのである。したがって、ここにこうして数時間の間絶対に他に脅かされない逃避所をつくるのだととりたてて、いう必要はあるまい。こういう人生の送り方は微妙な外面から見るのでなく、時、日、年の連続であって、一言でいえば、瞬間の影響のもとで生き続けることであり、このことが素朴な生気を苦楽や貧困に与え、運命にも黙々として従い、死ぬことさえ、平凡な日常茶飯事のように思いなすのである」と、アンベールは『いろは』の仏教的な内容に感心し注目している。
さらに、「本来の学課としては唄を合唱し、〃いろは〃を大声をあげて唱え、本を朗読し、アルファベット〔いろは〕を墨と筆とで書き、やがて語を綴り、文章を書くのである。これは、特に名誉とすることでも、また急を要することでもない。ただ役に立つというだけで、目的は達せられるし、長い練習ではじめて上達するものである。とはいえ、日本人は、子供らが教育によって受ける利益を無視しようと誰も思いはしない。ただ学校教育の基準も知らず、頑固な父親が当然、筋を通してよい強制力の程度もわきまえていない。しかも成年に達した男女とも、読み書き、数の勘定ができる。
日本の教育制度のすべてを軽蔑してはならぬ、と私はあえてここでいいたいのである」と述べている。
「いろはにほへと・・・」、現代の子供たちにはほとんど無縁の言葉となっている。お経みたいで、意味がわからないのは確かだが、これに替わるようなものが必要なのではなかろうか。
・質素で安易な生活
「江戸の町民、概して日本の職人、製造業者、商人などは、ヨーロッパ人の到来まで、世界中でもっとも例外的な経済状態の中で生活してきた。彼らは、非常に自然に恵まれ、すべての要求にかなえられる広さと耕作地を持つ国の、国内消費のため以外には働いていなかったので、幾世紀もの間に質素であると同時に、安易な生活の魅力を満喫してきた。しかし、今や、もはやそのようにはいかなくなった。私は幼年時代の終りごろに、 若干の大商人だけが、莫大な富を持っているくせにさらに金儲けに夢中になっているのを除けば、概して人々は生活のできる範囲で働き、生活を楽しむためにのみ生きていたのを見ている。労働それ自体が、もっとも純粋で激しい情熱をかき立てる楽しみとなっていた。そこで、職人は自分のつくるものに情熱を傾けた。彼らには、その仕事にどのくらいの日数を要したかは問題ではない。彼らがその作品に商品価値を与えたときではなく――そのようなことはほとんど気にもとめていない――かなり満足できる程度に完成したときに、やっとその仕事から解放されるのである。疲れがはなはだしくなると仕事場を出て、住家の周りか、どこか楽しい所へ友人と出かけて行って、勝手気儘に休息をとるのであった」と、観察している。
経済成長を追う現代、確かに経済性、効率性などが優先されて、労働そのものを楽しむこと、満足感を得ることが軽視されていないだろうか。生活のためという、働くことが手段となったままで良いのであろうか。
・庶民の道徳観
現代の日本人は、江戸時代の庶民習慣をどれだけ受け入れられるであろうか。「風呂屋を支配している法律の力は、この施設の敷居の外まで及んでいる。すなわち、入浴客が男であっても、女であっても、通りへ出て風に当たりたいと思ったら, 裸体で歩いても、日本の習慣では当り前のこととみなされ、誰も咎めない。そのうえ・熱い湯に入って、海老のように真赤になった美しい肌の色を褪めさせずに自宅へ帰りたいと思ったら、裸体のままでいても、いっこう差し支えない。
このような風習がわれわれにとってどんなに奇異なものと思われても、ヨーロッパ人が到来する以前には、日本人は自分たちの風習に非難さるべき一面があるなどとは、明らかに誰一人疑っていなかった。それどころか、それが家庭生活の慣例と完全に調和を保っており、そのうえ、身体を清めるという宗教的・衛生的義務と関係ない、あらゆる偏見を排除し、道徳的見地からしても申し分のないものと思っていたに相違ない。一方、ヨーロッパ人は、日本人が自負している偏見のない現実と事象を抽象的に考える能力が日本人にあることを信じたくはなかったのである。ヨーロッパ人が風呂屋に足を踏み入れたとき、彼らの方を見てくすくすと笑ったため、そのときまで誰の目にも至極当然なこととして映っていたものを、ふさわしからぬものとしてしまったのである。『この国民には羞恥心がない』とヨーロッパ人は軽蔑して叫んだ。これに対して、『外国人には道徳感がない』と日本人が応酬した。私としては、この口論を終らせるつもりもないし, それを長引かす気もない。だが、日本人には羞恥心がない、という一般的な意見に同意することはできない。
しかし、万国博覧会に参加したある日本人が、非常に穿ったことをいっている。『われわれなら夜でも人前では許されないようなことを、白昼、公然とパリの真中で行なわれるのを見せていただいた』
しかしながら、異論の入る余地のほとんどない、また多くの特異性を説明できる見方がある。それは、日本人には造形美を感じとる力が全然なく、また造形美そのものも、われわれヨーロッパ人の好み、風習、生き方などがたえず喚起するような魅力を、日本人の想像力に与えられていないことである。この点に関しては、日本人画家がその風俗画や浮世絵の人物描写に用いた手法ほど、よくその特異性を示しているものはない」と、アンベールは自分の見解を示している。