終戦翌日からの日々

江戸東京市民の楽しみ(昭和時代)320

終戦翌日からの日々

 終戦の翌日(十六日)、まだ都民の中には、戦争がどのようになったのか、何がなんだか理解できない人、納得できない人がいただろうと推測する。戦争が終れば、空襲はないので安心するはずであろうが、そのようなことを知らせる記事や通達などがない。二日前まで空襲に脅えていた都民、その気持ちを考慮すれば、まず伝えるべきであろう。

 敗戦後にすぐに行ったのが隠蔽である。軍や政府に不都合と思われる資料を、残さぬようにとの指示が出されたのであろう。ただそのようなことをしても、実際に処理した人がその責任を問われることがあっても、表彰されることは無い。軍や政府は、戦時関連の書類などを破棄させている。これから直面する、具体的な復興については何も言及せず、取り繕うことに終始している。

 翌々日になっても、人々の混乱は治まっていない中で、戦時の体制を保つようにしている。敗戦となれば、その後はどのようにすれば良いのか、その想定が何もなされていない。これは、戦闘で占領した地域に対しても同様、占領施策がないのに戦いにかったとするだけの日本軍。負けた地域の住民をどのように取り扱うかが無策で、場当たり的に日本軍のいうことを何でも聞けとの命令である。

 軍や政府は、民の社会を治めなければ、国を治めることが出来ないことを考えていなかったようだ。国民に平静を要請するには、何をすれば良いかとの方策を当初から持っていなかったようだ。国民の最大の関心事は食糧、国の崩壊より家族の崩壊を心配していたこと。そして、恐怖や不安をどのように和らげるか、それは娯楽である。戦時中も、徹底して制限したが、娯楽を無くすことは出来なかった。戦意高揚の官製イベントであっても、そこに楽しみを見いだし、大勢の人が参加していた。

 しかし、十七日の朝日新聞には、戦闘による「犠牲者の援護喫緊」と、これから戦後に立ち向かう人々の夢や希望を提供するより、戦争による犠牲者の援護を訴えている。戦時中と同じ叱咤激励では、国民は動かないことをまだ理解しようとしていない。勿論、戦争犠牲者の援護を否定するものではないが、現時点で困窮している国民も戦争犠牲者である。空襲で家族や家や家財を失った人々の、気持ちを奮い立たせるであろうか。

 楽しみにしていたラジオ放送の娯楽番組が中止される中、映画館の放映広告が幾つも掲載されている。必要なのは、人々の要望を先取りすることであり、民間は察知しており、動き始めている。

 

八月十六日

 朝日新聞は「玉音を拝して感泣鳴咽、一億の道御昭示」と、終戦についての記事。

二面に、「二重橋前に赤子の群」という見出しで、十人や二十人ではない、百人や二百人ではない、もっと多くの人々の悲痛な足音である」と。「立ち上がる日本民族」「苦難突破の民草の聲」と続く。

 戦後に向けての動きは、疎開による「住宅取壊しは中止 大都市再転入は抑制」となる。「動員学徒と疎開学童」は「原則として親許へ」とし「引上げ不適当の者はそのまゝ」と文部省。「貯金払出しは無制限 電話も出来る限り復舊」と混乱と心配を払拭させようとする記事。

 「放送は一部取止 報道、告知のみに」としてラジオ番組の欄はない。「放送協会では当分の間報道、官公署の時間、少国民の新聞のほか一切の定時放送を止めることゝなった。なお、これらの放送時間は従来通りの予定である」とある。

 東京日日新聞は、「“忠誠足らざるを”詫び奉る(宮城前)」の見出しで、土下座している写真を掲載している。

 その写真、『「敗戦日記」を読む』(野坂昭如 日本放送協会)によれば、「・・・姿は、十四日午後、皇居、焼跡整理に奉仕の、福島県の人たちである。お別れに、瓶伏して挨拶してくれないかと、カメラマンが要請、奉仕隊は従った」とある。

 高見は、「世田ヶ谷の方に日本の飛行機がビラを撒いた。それには、特攻隊は降伏せぬから国民よ安心せよと書いてあったという。――勃然と怒りを覚えた。

 北鎌倉駅を兵隊が警備している。物々しい空気だ。円覚寺明月院の前、建長寺にも、これは海軍の兵隊が銃を持って立っている。「文庫」へ行くと、横須賀航空隊の司令官が少壮将校に監禁され、航空隊ではあくまで戦うと頑張っているという。

 飛行機がビラを撒いた。東京の話も事実と思われる。

 黒い灰が空に舞っている。紙を焼いているにちがいない・・略・・東京でも各所で盛んに紙を焼いていて、空が黒い灰だらけだという。鉄道でも書類を焼いている。戦闘隊組織に関する書類らしい」と、いう話を書いている

 

八月十七日

 朝日新聞は「東久邇宮殿下 組閣の大命拝す 組閣工作、順調に進捗」と。「米軍、戦闘を停止」するとの記事。

 二面に、「脱ぐな心の防空服 女子は隙なき服装 指示あるまで燈火管制」などの記事が続く。文部省訓令「忍苦、教学再建へ 師弟一心、学徒の本分を恪守」が出される。

 「学童は当分疎開地で教育」と。動員学徒の 女子は全員解除し親許へ 男子は食糧増産へとある。一般の疎開者は当分帰京出来ないとある。

 戦争の「犠牲者の援護喫緊」、「再生へ 大規模な社会政策」の必要性を告げている。

 「隣組さらに強化」義勇隊は直ちに解消せず、指示のあるまで現状維持とある。また、国民義勇隊に「堪え難きを忍べ」との告詞が出されていた。

 東宝『花婿太平記』、浅草松竹・富士館・本所映画館『北の三人』上映中の広告が掲載される。

 大佛次郎の『敗戦日記』に「依然として真実は新聞にもラジオにも表れず」とある。

 高見は、「不穏の気が漲っているという。親が降参しても子は降参しない。そんなビラを撒いている由。ビラといえば東京の駅にも降伏反対のビラが貼ってあって、はがした者は銃殺すると書いてあるそうだ」と、聞いた話を記している。

 

八月十八日 

 朝日新聞は、「畏し陸海軍人に勅語を賜ふ 出処進止を厳明 国家永年の礎を遺せ」を掲載。

 二面に「配給機構は確保 先渡し分を食込むな」と、今後の食糧についての記事。他に「祖国の再建へ万進」、覇業戦士に告ぐ「冷静事に処せ」と、戦時中の指示と変わらないスタンス。「町会強化に拍車」も同様である。

 上映広告に、十六日より上映、『北の三人』浅草松竹・富士館・本所映画館、『激流』銀座松竹・日比谷映画・帝都座、が掲載される。

 「敵機来たり高射砲戦時よりさかんに鳴る」と、大佛次郎の日記を見る、と、まだ混乱していたというのが実情だろう。実際、まだ戦争が続くことを想定して、武器や資材を隠しており、戦うこともできる状況であった。

 高見は徹底抗戦について、「抗戦の結果勝てるのならいい。どうせ勝てない、負けるときまっている以上、ここ で妄動をしたらそれこそ最後の一線たる国体護持すら失ってしまうことになるのではないか。否、植民地にされてしまう。そういうことが抗戦派にはわからないのであろうか。今日の悲境に日本を陥れたのは、そもそも、今日に至ってなお抗戦などを叫んでいる驕慢な軍閥だ。軍閥が日本をメチャメチヤにしてしまったのだ。しかるにその軍閥はなお人民を苦しめ、日本をトコトンまで滅してしまおうというのか。どうせ自分は戦争犯罪者として処刑されるのだから、国民全部を道連れにしようというが如き自暴自棄的行為ではないか」と、非難している。