江戸東京市民の楽しみ(昭和時代)328
昭和二十年九月初旬にわかる終戦当時の壊滅的な戦力
昭和二十年(1945年)九月は、戦時中から戦後が動き出す。それを象徴するのが八日の連合軍の日本の首都東京への進駐である。それも、東京のど真ん中、一月前まで、新聞などは「駆逐米英」などと敵意を露にしていた。敵対意識が本当に浸透していたら、竹槍で、米軍の行進に突撃する都民いても不思議ではない。勿論、都民が米軍と戦う組織や態勢が本当にあったのか、疑問であるが。
九月六日の朝日新聞二面、「終戦当時における物的戦力」を見た国民は、これが日本軍の事実と信じられたであろうか。全く戦うことの出来ない状況、本土決戦など出来るはずのないことは明白である。政府と軍は、いかに国民を欺いていたか、勝ち目のないことは前年にわかっていたはずだ。
九月一日、朝日新聞は「臨時議会けふ召集」がトップの見出し。社説で「新農村建設と土地問題」を取り上げ、「戦後日本の中心課題」としている。また、「在郷軍人会解散 きのふ歴史的幕を閉づ」と掲載する。
二面に元戦時農業団会長小平は「日本民族の生きる道」に、「都会に憧れるより 新しい村造り」を提言している。また、東京都長官からより都民各位に告ぐとして「一、秩序の保持 二、食糧の増産 三、手持金の貯蓄 四、街の清浄化 五、服装の粛正」とある。「大詔を奉じ挙国一家、あくまでも国体の護持と民族の名誉を保全せんがため・・・」とのこと。朝日新聞が取り上げる記事は、まだ旧勢力の発想が残っており、読者もまだ批判するまでにいたっていないようだ。
「本日初日 市川猿之助 一、黒塚二、東海道膝栗毛」東京劇場」、「日本ニュース発表会 日比谷公会堂 日本映画社」の広告。また、「復活する第二放送」とラジオ番組欄が増えた。
高見は、「在郷軍人会が解散になった。虎の威をかりて『暴力』を振るっていたあの分会……」。と、まだ言い足りない思いが伝わる。
山田風太郎は飯田駅で、「剣なき兵、窓口に顔出し、『兵隊だがねえ、切符一枚売ってくれい』と、今まで通りやり、駅員にさんざんどなりつけらる。『兵隊?兵隊かなんか知らんが、まさかもう公用じやあるまい。公用じゃなけれよ一般といっしよにならんでもらいたい』
見ているのに、たんに兵を侮るにあらず。駅員も運命に対して腹立ちを抑えかねるといった顔なり。兵隊赤くなり青くなり、はては泣きそうな顔になり、それでも切符を投げ出してもらい、 ニヤニヤ恥ずかしげに笑いて去る」を見た。
九月二日、朝日新聞は「けふ降伏調印式」、日本はポツダム宣言を受諾し、降伏文書に調印、そして米国軍の進駐、様々な対応が始まる。
高見順は読売新聞の「この降伏文書の調印によりポツダム宣言は正式に日本政府並に国民に対し聯合軍の日本占領期間中憲法にも等しい法的に拘束力を有することになるわけであり、また停戦及び聯合国側の要求する軍事条項の履行について法的の確認を与えるものである、日本国民は今や敗北という冷厳な事実をよく認識して耐え難きを耐え、忍び難きを忍び一大決心を以て再建への第一歩を踏み出さねばならぬ歴史的な日を迎えたのである」を日記に写している。
二面に「嬉しいな、学校へ通える」夏休みが終わり、新学期が始まる。次に、戦時中からの土地問題を「どうなる戦災地土地問題 借地権は休眠状態 新立法まで御辛抱」との記事。
「外国記者のみた厚木進駐」として、「敵対より好奇心」と周辺住民の関心を記している。
九月三日、朝日新聞は「降伏文書に調印す」「敵対行為直に終止」と、着々と米国の統治が始まる。
二面に「文相語る”新宗教道”基督教「温かな行いを」、仏教「真の”心の隣組”として」と、宗教対立を際立たせないようにとのことであろう。次に、「物珍しさに出入りするな 進駐軍との間違い避けよ」との注意。なお、「一部米兵の暴行」があったことも記事となっている。
高見は「上野公園に、戦災で親を失った孤児たちが集って、浮浪児の群をなしているという。心の痛む話だ。金と場所があったら引き取ってやりたい」と書いている。
九月四日、朝日新聞は「自主的に建設せん 新しき政治体制 産業再編へ深き検討」について記している。
二面に「協力して当たれ隣組」「進駐兵に絶対隙を見せるな」との記事。
日比谷公園で六日から「明朗音楽会」、純正音楽の大衆化と軽音楽の向上をねらって催される。また、「駐軍に映画館を開放」したことを伝えている。
三島由紀夫は、東京劇場で『黑塚・東海道膝栗毛』(東京劇場再開広告)を観た。
高見は、「横浜ではアメリカ兵が相当傍若無人の振舞に出ているらしい。暴行の話、時計を取られた話、無法侵入の話等々が頻々と伝ってくる」と、記している。
九月五日、朝日新聞は「平和国家を確立」「興国自彊、国本を培養」を記している。
二面に「工場を離れた者は、食糧も一般並み 将来は家庭配給一本建」にするとの記事。他に、「神奈川県の女子生徒は休校」を伝える。
「清水金一・新橋第一劇場」興行広告
高見は「新橋の外食券食堂の前で、外食券をこっそり売っている。一枚五円。五十銭のメ シである。外食券で食っている者は一回食事を抜かして券を闇で売ると、一月百五十円になる。文字通り寝ていて、百五十円儲かる。
新橋のその食堂の附近には、汚い闇屋がうろついている。米を売ったり、小さな梨を売ったり。 読売の『点晴』欄・・・にこの梨などの闇値が『堂々』と出ている。闇値が新聞に出たのはこれ が初めてだ。米、酒等の闇値はさすがにまだ出ない。『点晴』の記事はこうだ。
戦争の終結で空襲の心配がなくなると、近ごろ、急に露店商人の数が増えて来た。大した商品も並べてないが、群集が取り巻いていずれも大変な賑いである・・・どう見ても裏でこっそり取引されている闇値の何倍か高い。これが白昼堂々と公開の街頭で売られているのだから経済警察は何をしているかといいたくなる。・・・統制経済の欠陥を補うために露店商人も行商人もどし/\増えてよろしい。またこれらの商人に対して或る程度の寛大は許されてもよい。しかし目にあまるようなひどいのは適当に取締らぬと、その余弊は深刻且つ重大である」と、記している。
九月六日、朝日新聞は「新生へ精進努力 銘せよ我民族の底力」と、戦時中の論調の見出しを出している。そして、国民の生活安定に全力を、と続けている。しかし、東久邇宮首相の施政方針演説に「万邦共栄文化日本を再建設」とあるが、国民の大半は抽象的なかけ声にそれどころではない、というのが実態であろう。
二面は「終戦当時における物的戦力」との見出しで、大東亜戦の人員損耗(戦、病死五十万余)、軍需生産、戦闘可能の戦艦なし、航空機・陸海合せ一万六千機(相当数は実戦に適さず)、等が記された。そして「敗因とその責任究明」で、「・・・国民はこれにより何が故に破れたかを判断をし得るであらう」としている。さらに、「責任究明」については全く触れていない。なぜ、責任について書かなかったのであろうか。また、この実情を国民に示すことなく、戦争を続けたのであろうか。
他に、「追い越すな進駐軍の車」との注意がある。