江戸東京市民の楽しみ(昭和時代)331
忍び寄る敗戦を国民に感じさせる七月前期
七月に入り、戦局はさらに悪化し、本土への空襲が激しくなった。それなのに新聞は戦果を「艦船、基地を連襲 沖縄、炎上火災五箇所」(朝日二日・以下朝日略)「夜間斬込みで猛威 彼我対峙し激闘」(五日)、「水上特攻隊の偉勲 三隻を撃沈炎上」(九日)、などを記すが、不利な戦況を隠そうとするものか。徐々に追い詰められていることは、「敵次期作戦の狙ひ本土空襲激化」(七日)などから戦争末期の状況がわかる。
東京の大半が空襲を受けたのに、「頻繁に発せられる空襲警報に悩まされる」(十日)。
都民の食事は「主食料一割減」(二日)、「こんな雑草も食べませう」(八日)、「根っこも木の葉も決戦食」(十一日)などから、食糧事情は悪化を辿っていることを記事から読み取れる。
国民に先行きを考えさせないことで、戦争を継続させる。目の前しか見せない政府と軍部、言論統制、情報の改竄と隠蔽が当たり前になっていた。
七月十二日、朝日新聞は「機動部隊なほ游弋」と、「再度来襲を厳戒」損害軽微、廿六機を撃墜とある。
二面に「町会に配達連絡員 配給時間を考え行列解消へ」
七月十一日、朝日新聞は「再編の機動部隊近接す」と、米軍が「艦上機延八百機 関東全域へ波状攻撃」をするとの警告であろうか。
二面に「郷土食の復活へ」に加えて、「お米は晴の日の御馳走 根っこも木の葉も決戦食」であると。お米の収穫はまだ先、食べるものがだんだん無くなっていく。
七月十日、朝日新聞は、「沖縄県民率ゐ敢闘」「本土近海に出没の 潜艦数隻を撃沈」を伝えている。
二面には、憩いの家や文庫・音楽を、動員学徒の援護策の実現を図るとしている。
ロッパは、「午前五時二十分頃、ブーウ。敵小型艦載機は──といってる。大分数が多いらしい。母上と並んで寝たまゝきいてゐると、百五十機とか。六時頃起きる。空襲警報となり、遠く高射砲ひヾく。小型だから反って始末が悪く、ビクビク。飛行場狙ひらしく、茨城・千葉その他に大分入ったらしい。七時すぎ、空襲解除。七時半頃、警戒警報も解除。・・・又、ブザー。そのうち空K(空襲警報の略)となり、又高射砲バンバン。八時すぎである。新聞読む。『毎日』徳富蘇峰が『国民に真実を報せよ』と、中々いゝ説を吐いてゐる。八時四十分頃関東各区に分散、各数十機宛で行動してゐる。後続編隊もまだあるらしい。『読売報知』の、ドイツから、敗けた後に帰った報道員の談あり、それを読むと心寒し。これが又間もなく解除となった。・・・十時頃に、又ブーブー、今度は、いきなり空Kである。これで三回目。やり切れたもんぢゃない。・・・一時半頃、・・・二時近くに、空K解除され、警戒も解けた。・・・二時十五分頃か、又ブーウ。今日四回目の警報。土浦・水戸・銚子と、今度も専ら飛行場を狙ってゐるらしい。・・・此の調子ぢやあ、今日は一日空襲かな。・・・敵小型機ますます大挙来襲、今回のだけでも三時五十分頃迄に二百八十機と言ってゐる。その主力は飛行場狙ひで、各地区に拡がってゐる様子。かう毎日プープーつづきでは、もはや芝居は勿論、ラヂオさへも出来なくなってしまふではないか。・・・敵は、後から後から入り、大分近くで、ドンドンやってゐたが、こっちには来なかった。五時、まだ新なる敵、何十機と言ってゐる。呆れた、全く」とぼやいている。
七月九日、朝日新聞は「水上特攻隊の偉勲 三隻を撃沈炎上」と、続いて「バリツクパパン方面 武装舟艇隊出撃 敵の輸船二隻を撃沈破」との戦果を伝えている。
七月八日、朝日新聞は、米空軍が沖縄、マリアナに二千機と、空襲が激化することを示唆している。
二面には、「ひめむかしよもぎ」を、「こんな雑草も食べませう」と。食糧事情の悪化を受けて、その対策であろう。どのくらいの人が試みるであろうか。
疎開している風太郎は、「一見流言と明らかな流言が飯田市の人々を戦々競々とさせて、こうした路の往還にも、百歩も置かず馬車が通る、牛車が通る、リヤカーが通る、荷車が通る。田舎へ、さらに山奥へと、 時ならぬ家財の大行列が続いている」のを見た。本土空襲激化は、地方都市にも波及する心配を示すものであろう。
七月七日、朝日新聞は「敵次期作戦の狙ひ」と、米軍が我戦力を孤立分断し、各個撃破の野望があり、沖縄基地の整備に躍起になっていると解説する。しかし、沖縄本島での主な戦闘は、6月23日に終了しているのである。
七月六日、朝日新聞は「決戦施策への展望」と、政府が急迫する本土決戦の事態への対応を記している。
飯田に疎開している風太郎、「この地方は午後十時以後は絶対消燈たり。一寸の灯も外に洩るるときは、戸外より叫び、叱り、はては電球をも持ち去る騒ぎなり。田舎にては 達ややもすれば 遅れがちにて、敵機通過ること多しときけばこれも無理はなし」と。
七月五日、朝日新聞は「夜間斬込みで猛威 彼我対峙し激闘」と、バリツクパパンでの戦いを壮絶に記しているが、夜間の切り込みの決行は無理な戦いを連想させる。
二面には、「一割減と食生活新設計」と、対策を示している。
七月四日、朝日新聞は「第一線陣地を確保 バリツクパパン敵、強引の補給増強」と、「肉攻で敵を圧迫」とあり、有利な戦いとは言い難いのでは。また、「主食料一割減」とある。
地方都市への空襲が本格化している中、古川ロッパの慰問公演は続いている。戦況の劣勢は肌身で感じているのだろう。さらに、戦後の話も出始めている。古川ロッパの四日の日記には「鈴木氏の話では、東京の復興──家を建てるのは、早くてかかるだろう、震災時と違って資材が来ないから──といふことだ。僕は又、楽天主義なのだな、なアに、二三年で建つといふ気がする。さんざ、此のオプティミズムでは、馬鹿を見てゐるくせに、まだまだ此の根性は抜けない。鈴木氏、ドイツの負けてからの惨澹たる生活を話して呉れた。ベルリンの女は六割、ソ聯の兵隊に凌辱された」と、ロッパは暗に敗戦をも視野に入れているかもしれない。
七月三日、朝日新聞は「バリックパパン敵上陸」、兵力五千、舟艇二百数十隻と激戦展開中と。
高見は、「金龍館の地下室へ行く。今日は先日ほど混んでいなかった。立って、ビールを飲んだ。足もとに水が溜っていて、気持が惡かった。木馬館前で飲んでいた顔が、次々とまたここへ現われる。結局「顔」がほとんど飲んでしまうようだ。樽の前にしやがみ込んでビールを出している事務員 (?) は、いずれも老人で、いずれも、なんともいえない苦々しい表情をしていた」と感じた。
七月二日、朝日新聞は「次期作戦へ敵躍起」を受けて「本土近海に迫らば 我、有利の邀激戦」とある。何を根拠にしているのであろうか。
二面には、「敵米が喚く『無条件降伏』とは」と、様々記している。敗戦を視野に入れてきたことがわかる。
風太郎は、剣道五段の松野白麟先生から、「往来でも通ってぶつかって見ろ、肩で切れそうな奴は一人もいねえ。みんなヒョロヒョロしてつんのめってしま いそうな奴ばかりじゃねえか」 と 。また、「勝つ勝ついって、何を根拠に勝つちゅんじや」という。されど憂国の気、眉宇に満つ、と感じた。
七月一日、朝日新聞は、ボルネオ島の「バリツクパパン戦果拡大 更に二駆艦撃沈」と。続いて「艦船、基地を連襲 沖縄、炎上火災五箇所」の戦果を掲載。
二面には、「配給機構の決戦体制」として、公営の総合配給、一町会に一箇所設置などが記されている。
高見は講読新聞が一紙になったと。