江戸東京市民の楽しみ333
庶民によって形成された日本社会1
近年、日本社会の治安が良いこと、清潔なこと、親切などが外国人旅行者から賞賛されている。住んでいる日本人には当たり前と思っていることが、決して世界では当然ではないと再認識した。日本の社会は、実は世界に誇れる素晴らしい価値のあることも気づかされ、公共の場での思いやりのマナーは日本ならではのものである。
このように評価される日本社会は、五年や十年程の時間で形成できるものではなく、百年いや数百年以上の産物として現在に続いている。さらに注目すべきは、権力者や指導者によって導かれたものではない。日本人の大部分は、庶民とか大衆とされる人々であり、大半を占める人々によって守られてきた日常生活が継続させている。そして、社会とは国民の大半を占める人々によって成立しているものである。
江戸時代が見直されるなかで、庶民社会については、日本の歴史で注目する価値などないように扱われている。時の権力者や指導者などを中心にして語られ、そのストーリーは時代を制した側の立場で展開されている。だから、時代が進むに連れて歴史と称されるものは、塗り替えられ、逆転することもあり、絶対的なものではない。
政権の変化が大きかった幕末・明治維新期、その間の評価はどうであろう。明治維新が「必然か否か」を含めて、歴史評価は事実(史実)の取り上げ方によって、重要性の判断を意図せずに羅列しても、やはり方向性が出てしまう。そこで敢えて言うなら、大多数を占める人々の視点から史実を示すことの必要性を重要視したい。とは言うものの、庶民とか大衆とされる人々の史実の信頼性は、成文化されていなかったり、時間や数量などが曖昧である。
話を日本社会に戻すが、人々の公徳心やマナーは、もしかすると江戸時代以前からあったのではなかろうか。庶民の生活をコントロールしていたのは、日本列島の自然環境(天変地異、気象、動植物など)が最も強く影響していたのではなかろうか。庶民が生活しやすくするために、いかに順応しなければならないかを探る中で、社会のルールを形成したのであろう。