江戸東京市民の楽しみ(昭和時代)336
沖縄壊滅への昭和二十年六月中期
六月二十日、朝日新聞は「大里南方 高地で劇戦 敵の滲透邀へ猛反撃」とあるが、沖縄戦の戦況だけで、我が軍の被害どころか米軍の被害にも触れていない。
二面には、「焼け屑鉄から手榴弾」を作ること、焦土戦力化に電気製鉄炉の登場などを記事としている。それは、本土への空襲が激しくなって、生じたことで、決して喜ぶことではない。
「前夜の敵機は、静岡、豊橋を襲った。福岡へも行った。中小都市の爆撃がはじまったのである」と、高見は心配している。
六月十九日、朝日新聞の記事は、沖縄での「小禄今や犬牙錯綜 八重瀬獄で劇戦」との戦況だけである。
二面には、「捨てよ都会生活の垢、集団帰農にこの覚悟」と、前日の記事と同様、今後の方針や施策について場当たり的な記事。
六月十八日、朝日新聞は「荒鷲、沖縄へ反復猛攻」と。また、南西諸島で敵飛行場を炎上させたと、戦果を加えている。
二面には、本土決戦も想定してか、「砲爆に強い蛸壺壕 戦車は落穴で擱座」など提案している。この提案は、民間人をも巻き込み、米軍との戦いであろう。このような提案が、本当に可能なのか心もとない。
六月十七日、朝日新聞は「具志頭、富盛方面に 敵主攻撃を企つ」と、沖縄での戦いを示している。そして、「戦局展望」で「敵艦隊新行動か」マリアナにB29九百機の存在に触れている。
また、十七日付の読売新聞には十六日の「日比谷旧音楽堂の慰問激励演奏会、大入満員」などと、東京は至って平穏である。
高見は、「午後店へ行く。 途中で馬鈴薯を掘っているのを見た。種薯の植付はついこの間のことのような気がするのだが、もういっぱいできている。植物は勤勉だ」と、鎌倉の様子を記している。
六月十六日、朝日新聞は「本土決戦一億の肩に懸かる」「我に大陸作戦の利」との見出し。軍部の指示によって書いているものであろうが、国民はまだ勝利を信じさせられているのであろう。本土決戦とは言うものの、攻める戦いと守る戦い、その違いを軍部が分からないわけはないと思うが。
二面には、「死なんと戦へば生く」「〝食わねど高楊枝〟我慢が肝要」さらには「一億、武士の心意気で」と、誰がこのような記事を掲載させたのであろうか。
また、山王日枝神社例祭「お神輿はポンプだ 縁起をかついで戦災地をねる」とある。朝から夕方まで都心部を練り廻ったと。これまでも地域の祭は行われていたのだろうが、この時期になって新聞が取り上げるようになった。
では、東京の街はどのようになっていたか。浅草を訪れた高見は「仲店はまだ焼跡のままだった。けれど、人は出ていた。そして露店の物売り・・・観音様は、仮普請の準備中だった。この辺一帯、焼野原のままで、人は住んではいないのに、参詣人が出て来ているのは、異様だった・・・六区へ行ったが、ここではまた大変な人出に驚かされた。浅草の魅力!・・・
花月劇場の前は客の行列だ。若い男女が多く、いずれも産業戦士という恰好だ。看板を見ると、灰田勝彦と灰田晴彦楽団(漫謡・坊屋三郎特別出演)、軽喜座伴淳三郎一座 (春子・芳子特 別加盟)とある。灰田勝彦というのが、人気があるらしい。軽喜座の出しものは 縁談十五分前」「無法松の一生」。 入場料は、大人三円六十銭、子供一円九十銭。鎌倉文庫で若い男女が保証金二十円をさっさと出しているのを見て驚かされたものだが、驚くには当らないのだなと思った。
「大都」には小林千代子一座がかかっている。これは少し人気が落ちる。映画は、松竹館・富士館(『還って来た男』上映)、・・・東京倶楽部の地下では「お化け大会」というのがかかっていた)・・・
六区を一歩離れると、見渡す限りの焼野原だ。見渡す限り家もなく人もいない。そして焼野原 の真中のこの浅草に、── どこから来るのか、人がいっぱい集っている。浅草の不思議さ!」と記している。
さらに、「東京駅の焼けた姿を初めて見た。中央線のホームは、天井も何もなく、ホームといったものではなかった。いわぱ台である。台の上に人がいっぱいつまっている。電車が来ると、その人々わッと扉に殺到して、とても乗れたものではない。私は新宿行を断念した。・・・新宿行の切符で東京駅を出た。そして降車口から乗車口にまわって、帰りの切符を買おうとすると、 いくつかの出札口の前はいずれもえんえんたる行列。その行列がじっと静止したままで動かないのが変だった。乘車券を売ってないのだ。売り出すのを待っているのだ。はて? これは電車 の出札口ではなく、汽車の…?…いや、やはり電車だ。はて? そこで初めて掲示を読んだ。四時から六時の間は乗車券を売らない。時計を見ると、五時前だった。
駅を出た。そこらを見て廻って時間を潰そう。そう思ったが、見て廻るところもない。新橋まで、ただ漫然と歩いた。新橋へつくとまだ六時前だった。だが、そこでは乗車券を売っていた。(やがて、すべての駅で四時から六時の間は売らないようになったのだ。)」と、高見は続けている。
地方に出ているロッパは、「新聞を見る、もう見ない方がいゝんだが、女が手榴弾の稽古してゐる写真あり、『笑って散らん大和撫子』とある。もういかん。九時前、人力来り、駅へ着いて、ホームへ。漸く列車が入ったら、大満員、窓から出入りしてる。二等、殆んど軍人で、皆腰掛けてるのが、何だか嫌だった。立ちんぼだが、三十分間だ、何のこともなく高岡着」とある。
六月十五日、朝日新聞は「本土決戦こそ最好の勝機」と。「鈴木首相記者団と意見」での記事である。
「新聞に鈴木首相の、記者団との一問一答が載っている。この首相は、誠実ではったりのない感じが国民に好印象を与えているようだが、それだけまた迫力に乏しい憾みがある。
国民と共に戦わん 鈴木首相決意を披瀝
士気の昂揚こそ基 勝算あり本土決戦
最後まで戦うのみ
・・・(一問一答)は略す・・・沖縄では、女が闘っている。本土もやがてそうなるのだろう。
愛児を後方に託し若き母も第一線へ
兵に代り重傷者看護
沖縄本島では今日も激闘が続けられている、それはひとり皇軍将兵のみならず、およそ戦列 に立ち得る者は老幼男女を問わず、沖縄県民あげて敵撃滅の戦いを続けている・・・顧れば沖縄防衛戦開始以来、終始困苦欠亡に堪え誠心誠意生死を超越し国体護持の大義に徹せるその勇戦 奮闘の姿は真に銃後国民の以て範たるべきものなりと思考す (毎日)」と高見は記している。
六月十四日、朝日新聞は「沖縄県民の血闘に学べ」と、沖縄の民間人が戦ったということを、初めて言及したと思われる。ただ、県民の被害に関する情報は、全く触れていない。戦いによる悲惨な状況が、もし本土の国民に伝わっていれば、十五日付の一面に「本土決戦こそ最好の戦機」などと書くことは出来ないと思う。この日も戦果は記されず。また二面には、「君にも到達出来る あの神鷲の境地 特攻は必勝新年の権化」とある。
六月十三日、朝日新聞は「陸戦隊奮戦撃退」と、戦車を爆砕し、千三百名を殺傷との戦果を掲載している。
二面に、「火と風」について記され、「豪舎には斜の支柱」、ビルは燃え始めたら窓を閉めよ、「猛煙は腹這で突破」などの方法を指示している。しかし、焼夷弾の威力を考慮したものとは言えない。
「十二時、警報。この頃は夜の空襲は珍しい。こつちへ來るかなと準備すると、新潟へ行ったとラジオの情報」と、高見。
六月十二日、朝日新聞は「敵は本土へ必ず来る!」との記事。そして、「我戦線を整理敢闘、敵殺傷七万二千六百 二敵艦轟沈破 振武特攻隊猛攻」と、沖縄での戦果を示しているが、わが軍の被害が推測できるのは、特攻隊員の死傷ぐらい。無謀な戦いが続けられていることに、なんとも言いようがない。
高見は、「敵は本土へ必ず来る!」新聞は叫んでいると、以下を書き留めている。
「沖縄戦局は重大化し大東亜戦線は全般的にみて明かにわれに不利である、勝誇る敵は陸海空三軍のた大なる戦力を挙げて真直ぐにわが本土に指向し準備を進めつつあり、今や帝国は山川草木のことごとくを楯とし、一億国民の血と団結とを武器として三千年汚されざるこの国土に醜敵を邀ることになったのである、今や「本土戦場」は時の緩急こそあれ、最も惨烈な現実となって国民の前に爆発するものである、それは何の仮借もなく、いささかの希望敵的観測も容れる余地のない冷酷な事実である・・・
思うに敵はいかに物量に誇るとはいえ懸軍万里、洋上より縦長なる戦列の末端をもって戦わねばならず、わが本土に面する最終の陸上基地は距離至遠なる上に狭小或は未開の山地を含むという根本的不利が内在している、敵がこの不利を敢て圧倒して来襲するならば、われは蓄積せる特攻兵器を集中投入してこれを海上に撃滅し、これを免れて陸上に取りつく奴に対しては砲身の熔けるまで射って/\ 射ちまくり海上輸送による限りある敵兵力に対しわれは無限の兵力を連続集中し肉を斬らせて骨を斬る凄絶な体当り攻撃によって勝敗をこの水際に決するであろう、英海相ブラッケンは去る五月三十一日「対日戦の将来には恐ろしい戦闘が待ち構えている」と彼等の恐怖と不安を率直に述べたが、これとこの議会の阿南陸相の戦況報告の結びの言葉「国民の軍 に対する信頼に対しては本土決戦における赫々たる勝利の事実をもってお答えする」を比較する時そこに彼我の決意と迫力の相違を理解し得るであろう(毎日)」