江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)342
戦況に不安を感じる二月九日~十二日
昭和二十年二月九日の朝日新聞は「マニラ繁華街で激戦」を伝えている。
2面に、銭湯、新案も足踏み、再発足 男女別の入浴日。
ロッパの九日の日記に「弁当を食って、次のセットへ行かうとしてると、プーウとサイレン。然し、芝居と違って、撮影は平気で続行。」と、空襲を無視している。そして、翌日の日記では、「九時四十分、プーウー。でも驚かず、オープーンへ・・・青空に、ブーンブーンと、銀色に光るB29一機、高射砲の射撃を浴びつゝ、悠々と通る。何うにもならねえのか。と皆空を仰ぐ。僕、B29といふものの姿を見たのは初めて。撮影にかゝると、又一機、今度は逆のコースで、西から南へ向って飛び行く、友軍機が追ってゐたが、悠々と去りぬ」と、空襲を悠長に構えている。
二月十日の朝日新聞はマニラでの戦いを、「敵の出血・日と共に増大」「敵・我が腹中に入る」と伝えている。戦況は良くないと推測できるが、表現が曖昧。
「フィリピン方面は敵が制空権を有し、蟻の出る隙もない旨、外務省調査局長の話。したがって外務省の若い連中も到底帰ってこられないとのことである。佐藤日史君の運命が気づかわれる。フィリピン全土でゲリラが非常に盛んだそうだ」と、清沢は聞いている。政府は日本軍の劣勢は衆知のことなのだろう。
二月十一日の朝日新聞はフィリピン方面での戦果を、「出血既に一万九千」「敵、マニラに略奪放火」などを記している。
ロッパは「二時半プーと来て起される。ラヂオの情報が、今迄の『東部軍情報』をやめて、『東部軍管区情報』と長くなった。折角おなじみになった言葉を更めることもあるまいに、こんなことばかり考えている奴があるんだな。十三分で解除。又寝る」と、ラジオ放送に不満を持ち、空襲情報を余裕を持って聞くようになっている。
二月十二日の朝日新聞は、大本営発表 南雄・贛州・新城占領、対基地化を封殺、と。
二面に「B29の撃墜現場を視る」として、「食べ物だけが贅沢で 案外粗末な装具」と報じている。
ロッパは「日比谷公園を抜け、旧音楽堂前のB29の展覧会を見る。馬鹿な話だ。デカバチもないB29の傍に、小さな日本機が置いてある」のを見て、何とも言えない心境になったようだ。