二月二十三日挙って戦いを訴える

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)348

二月二十三日挙って戦いを訴える

 昭和二十年二月二十三日、高見は夕方になって来た新聞を紹介している。「神風隊、硫島に出撃。──『皇土空の包圍企つ。一億一兵に徹し反撃へ』(朝日)、『備へよ、緊迫の本土決戰、敵攻勢瓦解の転機、一億待つ・指導者の大号令』(読売報知) 、『軍は神機を待つ、最後を決する国民の士気、忍んで築け必勝戦力』(毎日)」。

 朝日新聞二面に申訳なさに胸一杯と硫黄島の戦友偲ぶ白衣勇士。島を敵手に委ねたことを詫びる声を載せている。

 

 二月二十四日の朝日新聞は「米海兵三個師を激撃 硫黄島出血四千五百 用をなさぬ敵機械化部隊」と、勝っているような書き方。しかし、二面は、「最後の電波『万歳』 硫黄島孤軍奮闘の哨戒艇」と悲惨な状況を伝えている。

 高見は京橋で、「飲んでいると警報が出た。一機來襲、外に出ると、明るい月夜で、日本橋の方に當って、火の手が挙がっている。 一機でも必ずこういう被害がある。」と、翌日の日記に「銀座で見た火事の場所は末廣町とわかった。」と。

 風太郎の日記によれば、「タ、風呂にゆく。女ども黒山のごとく風呂屋の扉ひらくを待つ。今日より上り湯は中止さるとのことなり。」「午前三時半、午後六時半、B29 一機ずつ璧 。九時に二機飛来。深夜十二時 一機来り、投弾退去。」