二月二十五日空襲の恐怖

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)349

二月二十五日空襲の恐怖

 二月二十五日の朝日新聞は「硫黄島の敵出血更に増大 嵐衝く全面斬込み 敵を揚陸点へ圧迫」とある。米軍の被害が、日本軍より大きかったような、と感じさせるのでは。

 ロッパは空襲の恐怖を「ブーウーで目が覚めた。八時前だ。便所へ入り、いきんでると、空襲のサイレン。うわ、いけない。途中打ち切り、・・・外は雪ますます盛、手紙を書いてゐると、『B29らしき数目標、南方海上より東進しつゝあり、その先頭は遠州灘に向ひつゝあり、その本土到着は、約二十分後なるべし』と来た。・・・皆を急かして壕へ入った。・・・B29の五編隊、それに小型機が又別に来て、丁度頭上を、通るバッバッといふ高射砲の音、一時は全く生きた心地ではなかった・・・」と、恐怖を記している。

 風太郎は「十時ごろ、耳近くたばしる機銃掃射の音にびっくり仰天して机の下にもぐりこむ。

午後マリアナのB29呼応して大挙殺割 雪雲暗き東京のはるか上空より無差別盲爆、投弾の爆裂音しきりなり。雪ふる壕にひそむこと数時間、壕中の土、霜柱の板のごとくめくれては崩れおち、惨澹たり。つらら下り、霜柱立ち、粉雪舞いこみ、あたかも氷獄中にあるがごとし。しかもB29西より東へ、盲爆しつつ来り去ること幾編隊なるかを知らず。」

 「一編隊去りて一編隊来らざる間、野菜の配給あり。この五日間、野菜の配給まったくなかりしゆえ、女たち、B29もあらばこそ家々を走り出ず。配給いくばくぞ、一人大根の輪切り二寸ずつ、その値三銭なりと。」