江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)350
二月二十六日・二十七日の被害状況
二十六日の朝日新聞は「約百三十機の主力 雲上より帝都盲爆 関東地方に艦艇六百機」と、米軍の攻撃を報じている。そして「硫黄島戦局に焦慮 敵の牽制来襲」と戦局の悪化を示している。
清沢は「神田に土曜日に買った本を取りに行く。神田一面が焼けただれている。神田駅付近から駿河台下方面にかけて、先頃まで焼かれなかったところがやられている。
まだ燃えている。全体の被害一万九千戸。死者は百三十名とかだそうだ。上野方面が焼けているとのこと。消防が来て『水道の栓はどこだ』と聞いて歩いていたとのことで、非科学的なところがあらわれている。
神保町通りは焼けておらず、買った本を受け取った。折しもの雪で、都電が動かず、それが悲惨感を激化させている。たまに荷物を積んで運んでいる者もいるが。
今やその車すらもないのである。しかも国家はほとんど何らの救助を被害者に与えることができない。」と無策の国家に嘆いている。
空襲被害に大人しく対応する庶民を記す二十七日
その空襲は、高見の二十七日の日記に記されている。彼は、二十五日の空襲でまだ煙の上がっている神田周辺を歩き、「焼け跡はまだ生々しく、正視するに忍びない惨状だ」と、「だが、男も女も、老いも若きも、何かけなげに立ち働いている。打ちのめされた感じではない。そうした日本の庶民の姿は、手を合わせたいほどけなげさ、立派さだった」と誉めている。その後に、「日比谷映画劇場の前を通ったが、そこでやっている東宝映画の『海の薔薇』という衣笠貞之助演出の間諜(かんちょう)映画を見ようという人たちが物すごく長い行列を作っていた」とも綴っている。
二月二十七日の朝日新聞は「硫黄島皇軍の勇戦に 敵の総攻勢頓挫す」と、日本軍の善戦を伝えている。確か、二月二十四日の朝日新聞二面は、「最後の電波『万歳』 硫黄島孤軍奮闘の哨戒艇」と悲惨な状況を伝えていた。どういうことなのか。