江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)351
二月二十八日に見る浅草空襲跡
朝日新聞は、硫黄島での戦いを「全線に夜襲斬込み 敵の本営に殺到す」と伝えている。
「浅草は松屋口から出た。出ると、なるほど前日の省線の客の言ったとおり、松屋の前から仲見世にかけてすっかり燒けている。これはと思わず唇をかんだ。別所さんも駄目だなと馬道に眼をやると、松屋側は残っている。無事である。これはと愁眉を開いた。馬道を行くと、角の大黑屋 (メシ屋) も無事である。そこから右に入るのだが、東武電車のガード近くに進むと右の一角が燒けている。目ざす家はその左側の橫丁を入ったところで、ありがたいことに無事だった。お婆さんに會って、よかったですねと見舞をいう。そしてこれから秋山さんの所へ行くつもりだというと、お婆さんのいうには、秋山さんはいつもこういう場合すぐ飛んで來てくれるのだが、今度はまだ見えないという。ここが無事だったので秋山君のところも同じく無事なような気がしたのだが、そう聞くとまた心配になった。急いで別れの挨拶をした。
焼跡に出た。道にはいずれもナワが張ってあって、巡査が立っていて、なかには入れない。燒跡の木材などを持ち去ってはならぬという札があちらこちらに立ててある。「金田」の通りから仲見世に出た。「金田」は無事で、雷門寄りの次の通りから向うが燒けたのだ。・・・
映晝館街に出ると、そこは映晝を見に來た人々で雜沓している。この、人間の逞しさ。演劇 のかかつている小屋から、朗らかな音樂が聞えてきた。この生活の逞しさ。根岸に行くべく田原町から都電に乘ろうと思ったが、停留場には乘客の行列、來た電車はすごい満員、よって地下鐵にしようと思い、雷門へ歩く。仲見世の片側は無事で、片側が燒けたのだが、家はレンガ建てのためか (?) 残っている。郵便局も残っている。その並びの地下鐵入口、東橋亭等の表通りは残っているが、その裏は燒けてしまった。上野で地下鐵を降りた。車坂、御徒町が惨憺たる燒野原だ。眼をひかれたが、根岸へ急がねばならぬ。三ノ輪行きに乘るべく駅前の停留場へ行ったが、ここも行列。 エイいちまえと線路に沿って上車坂の方へ行ったが、ここはずっと無事。金杉一丁目の停留場 (と思ったが、實はその一つ先の三島神社前まで行ってしまったらしい) から左に入った。下根岸とある。根岸病院がある。中根岸はまだ先かと思って行くと、家の表札 に荒川日暮里と出ている。これはいかんと人に尋ねると、中根岸はもっと鶯谷の方に戻った方だという。爆撃のことを聞いて見ると、『笹の雪』のあたりと、五行の松の寺に落ちたという。大したことはないらしい。・・・
省線から見ると、その省線と、上野騷と廣小路の間の都電線路と、御徒町、廣小路間の都電線路とで囲まれた細長い大きな三角形の地帶が、ごっそり燒けてしまっている。左側の竹町鳥越方面が、また見渡す限り焦土と化している。秋葉原駅、神田駅、この沿線の両側がまた燒野原だ。全燒家屋二万軒というのが初めてわかつた感じだった。」と高見は納得したのであろう。