江戸の盆栽 2

江戸の盆栽  2
盆栽(はちうゑ)の値段 1
イメージ 9  江戸時代の盆栽は、どのくらいの価格で売られていたのだろう。嘉永五年(1852)、コオモトが流行し、三両以上の高額の盆栽の売買が禁止された。このように園芸植物はバブル現象を起こしていたから、とてつもない金額で売買されていたものがあったのは事実。しかし、江戸の街中で売られていた盆栽の大半は、庶民でも手が出せる安価なものが多かったものであろう。そこで、普通の盆栽の値段も知りたい。そうした疑問に応えてくれる資料がここにある。
  白井光太郎は明治四十一年(1908年)、岩崎常正が記録した『草木價概附』を「天保年間に於ける園藝植物の價格表」と報告(明治四十一年五月  園藝第一巻第二号)している。今から60年余前といえば、昭和二十年代の半ば。戦後生まれの人々も、そろそろ物心が付き、ものの値段もわかってくる年頃だ。日本の六十五才以上の人口は、約三千万人。この人たちにとって60年程前の値段は十分に理解できる。白井も、「六十餘年以前に於ける江戸市中流行の園藝植物と、其價格の大概とが、解つて面白い。」と言う。
  江戸時代から明治時代になって、貨幣制度が変わった。そのために、値段の感覚は少々わかりにくいかもしれない。が、物価の値上がりから見ると、江戸時代(天保年間の蕎麦十六文)から明治時代(四十年頃の蕎麦三銭)になった時より、戦後(昭和二十六年頃のざる蕎麦三十円)から現代(ざる蕎麦六百円・七百円)になった方が大きいのではないかと思われる。天保年間十六文であったカケ蕎麦は、現代ではいくらかと調べると五百円~六百円程度である。天保年間の十六文を、今の五百円と換算して「天保年間に於ける園藝植物の價格表」を見てみよう。
イメージ 7★まず、「杉。マサキ、カシの苗四五尺位八文より」。たぶん、これらの植物は、生垣用に使用したものと思われる。そう考えると、カシはシラカシであろう。天保年間当時の八文は、今の金額に換算して二百五十円とした。この値段は、現代の感覚にしてもかなり安いのではないか。『積算資料』(財団法人経済調査会)やインターネットで検索しても、シラカシの1.2~1.5m苗木で五百円以下は見つからない。
  「本所ナデシコ」は、本所で生産されるナデシコであろうか。江戸時代にもナデシコ類は、様々な種類の花があり人気があった。十六文と安価なことから、どうも「カワラナデシコ」ではないかと思われる。金額は五百円くらいか。だとすると現在の価格と同程度だろう。
イメージ 1  「アラセイトウ」は、アブラナ科一年草。現代も同じ名前で通用するが、「ストック」という名の方が一般的である。イメージ 8ただ、現代のストックのようにカラフルではなく、形もそれほど種類がなかったようだ。紫色のあっさりした花であったと思われる。五百円なら、金額は現代でも納得できる額である。
 
 
 
 
 
 
 
 
★次は、二十四文の植物。
 「野生の花物、薬草」。これは、野生の草花と薬草であろう。現代では、薬草というと漢方薬になる植物を連想しがちであるが、当時は庭に生えている草を薬として使用していた。たとえば、ゲンノショウコなどは、生薬にもなることから、江戸時代には多くの庭に植えられていただろう。ゲンノショウコは下痢止めとして、茎や葉を乾燥させて飲用するなど、自家培養している人が多かった。現代では薬草として扱わないが、薬効のある野生の植物は数多くある。当時は、「野生の花物」の値段、「薬草」の値段とを分けずに売っていたものと思われる。これらの植物の値段が二十四文、現代の金額で七百五十円ということは妥当であろう。
トリカブト 野山草より
イメージ 2 「白花附子」は白花の「トリカブト」、園芸品であろう。附子は、「ブス・ブシ」と読み、トリカブトの子根から精製される。漢方で、鎮痛、抗リューマチ、強心作用があるとされている。江戸時代には、植物名よりも薬としての名前の方が、一般的に通用する傾向があった。白花のトリカブトは、現代ではあまり見ることができない。トリカブトは猛毒というイメージが浸透しており、青紫の普通のトリカブトさえも近所の園芸店で探すのは難しい。したがって、今の七百五十円で手に入れるのは難しい、と思われる。
イメージ 3 「萬寿菊」は、キク科の「マンジュギク」で「フレンチマリーゴールド」のことであろう。また別名、孔雀草(クジャクソウ)とも呼ばれていた。江戸時代初期に渡来した花だが、高価なものではなかったようだ。金額の七百五十円は、現代でもさほど高くはないだろう。
イメージ 4  「桔梗」は「キキョウ」。現代の金額にして七百五十円。この額であれば、近隣の園芸店で売られている額だろう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
★五十文の植物。
 「八重スイセン」は、スイセンの八重咲種であろう。江戸時代にはスイセンの種類が現代より少なかったから、珍重されたと思われる。たぶん、普通の一重のスイセンは二十四文であったが、八重ということで少々高かったものと推測される。現代に換算して千五百六十円、この額は一寸高いと感じる。
イメージ 5 「萬年草」は、ベンケイソウ科の「コモチマンネングサ」ではなかろうか。ただし、コモチマンネングサは、道ばたなどでもよく見かける草だから、それをわざわざ五十文で売買していただろうか、疑問が残る。他にも、ツルマンネングサ、コマンネングサなどがあり、もしかするとイワレンゲかもしれない。
イメージ 6 「石斛」は「長生蘭」とも呼ばれる、野生の「セッコク」であろう。老樹や岩の上に着生する蘭で、初夏に淡紅色や白色、淡黄色の芳香ある小花を付け、花をつけた姿も実に品がよく愛らしい。そのため、江戸時代には人気が高い植物で、五十文、現代の千五百六十円という金額もうなずける。園芸品種ともなればさらに高額になる。