江戸時代の椿 その14

江戸時代の椿  その14
 
★1800年代(寛政~文化年間) 『本草綱目啓蒙』の山茶、『四季賞花集』の「イセツバキ」、『古来椿名寄』のツバキ
 
・『本草綱目啓蒙』
  『本草綱目啓蒙』は、小野蘭山が講義をした『本草綱目』を孫の職孝等が筆記整理したもので、文化二年(1805)に刊行された。その巻之三十二  木之三  灌木類に「山茶」が記されている。
  「山茶  ツバキ〔一名〕曼陀羅(群芳譜)  鶴丹(輟耕録)
本邦ニテ古ヨリ椿ノ字ヲ、ツバキト訓ズルハ、タマツバキノ古訓ヲ誤リタルナリ。其タマツバキト云ハ今俗二、キヤンチント呼者ニシテ、ツバキノ類ニ非ズ。薬方雑記ニモ、日本山茶花、其国名為椿、不名以山茶也ト云。其下文ニ山茶ノ名ヲ載ルニ、白玉  唐笠  白妙  高根  白菊  六角  加賀牡丹  渡守  春日  有川  朝露  乱拍子  薄衣  大江山  三国  玉簾  浦山開  荒浪  鳴戸  関戸  金水引等ノ号アリ。朝鮮ニテハ冬花ヲ開ク者ヲ冬柏ト云、春花ヲ開ク者ヲ春柏ト云コト養花小録ニ出。山茶略ツテ単ニ茶ト云。其品甚多シ。花史左編、群芳譜、秘伝花鏡等ニ詳ナリ。和産殊ニ多シテ数百種ニ至ル。此条下ニ数種ヲ出ス。宝珠茶ハ俗名タマテバコ、大和本草ニハ、タマシマツバキト云。千葉ニシテ蘂ナシ。中心ノ弁開カズシテ宝珠ノ形ノ如シ。凡ソ七十余弁アリト大和本草ニ云リ。紅白ノ二色アリ。海榴茶ハ伶名ワビスケ又コチヤウトモ云。石榴茶ハ俗名イセツバキ又レンゲツバキトモ云。下ニアル五弁大ニシテ中ニ細弁多ク籏リテ千葉ノ御米花ノ如シ。躑躅茶ハ俗名ヤブツバキ、山中自生ノツバキ、単弁ニシテ躑躅花ノ形ニ似タルヲ云。山茶中ノ下品ナリ。宮粉茶、串珠茶ノ二名共ニ只粉紅色トノミ云、形状ヲ説ズ。故ニ詳ナラズ。一捻紅ハ俗名アメガシタ、トビイリ白色ニシテ指ニテ押タル如キ紅点アルヲ云。牡丹ニモ一捻紅アリ。千葉紅ハ俗名ヒグルマ、千葉白ハ俗名シラタマ。南山茶ハ俗名カラツバキ、大和本草ニ南京ツバキト云。葉形尋常ノ山茶葉ヨリ狭長ニシテ厚ク色浅シ。花大サ四五寸、白アリ、紅アリ、間色アリ、一名滇茶(漳州府志)  蜀茶(同上)  鶴頂茶(群芳譜)  別ニ一種チリッバキト呼者アリ。花弁一片ゴトニ分レオチ、尋常ノ山茶ノ形全クシテ落ルニ異ナリ。春ニ至テ花ヲ開ク。故ニ晩山茶ト名ク。秘伝花鏡及ビ洛陽花木記ニ出。京師紙屋川地蔵院ニアリ。因テコノ寺ヲツバキ寺ト云。凡ソ山茶実搾テ油ヲ採ヲ木ノ実ノ油ト云。一名、カタシアブラ(防州)  カタアシ(長州)  シタイツノアブラ(肥前)  髪ネバリテ梳ノ通ラザルニ少シ灌ゲバサバケテ梳り易シ。土ニ灌ゲバ能虫ヲ殺ス。」とある。
 
・『四季賞花集』
 文化二年(1805)、鷹取遜庵が著した『四季賞花集』に「イセツバキ」が記載されている。 
  
・『古来椿名寄
  文化年間に223種のツバキが記された書、『古来椿名寄(コライツバキナヨセ)』が作成された。詳細な年代・著者等は不詳。現在この写本は国立国会図書館にあり、デジタル化され、自由に見ることができる。
 
★1810年代(文化~文政年間) 『花鳥日記』『草木育種』の椿・山茶
 
・『花鳥日記』文化十三年
 『花鳥日記』は、村田了阿の文化十三年の日記である。村田了阿は、江戸浅草の煙管(きせる)問屋の次男で、国学者。『花鳥日記』には、その名の通り、花と鳥、昆虫などについて述べている。以下の記述は、『新燕石十種第三巻』(中央公論社)のものを記す。
  「二月三日、きのふより南風いとあたゝかにて、ひえの鶯、声いと高し、所々の梅やゝ咲そむ、葛飾の梅、二三本さかり、其外やゝさきばめり、柳青みわたり、壮りおそきは、やゝきばめり、本所辺の椿もかれこれみゆ、
  八日、世間の梅さかりなり、柳もやゝめばりて、きばみわたれり、されど、花さき出たるにはあらず、又、花さかぬ糸柳は、葉出て青みわたれり、下寺どほりの椿、やゝさきぬ、
  十一日、かつしかの梅、新樹はさかりなり、古木は二三分さけり、此ほど、わが岨の椿咲そめたり、
  十九日、わが峰の紅梅、ぶんご、諸所に咲匂ふ、岨の連翹さきいづ、椿やゝさかりなり、
  廿九日、此程猶、世間の紅梅、ぶんご、青ぢくなど盛なるもおほし、我峰の椿さかりなり、
  三月二日、車坂見明院前三四株、やゝさかりなり、わが峰の緋桃、岨の連麹、椿一などさかり也、此夜こま鳥なく、」とある。
 
・『草木育種』
  『草木育種』は、岩崎常正によって文化十五年(1818)に著された。その後天保四年(1833)には常正門下の阿部喜任によって、岩崎の『草木育種』を補完するものとして、『草木育種後編』が刊行されている。『草木育種』は上下に別れ、上巻は総論、下巻は各論として、185品の草木について記している。
  その中でツバキについては、「山茶(つばき)  本草  種類多し。地錦抄云。植かヘハ五月中旬。接木さし木も五六月。よび接ハ常なり。さし接ハ杖を長く切土に挿て接。水接ハ杖をきり切口を水につけて其先を接。三日に一度ツヽ水を入替。接様ハ砧を引切て鋸目を削。薄茶二三服否ほどの間を置て接べし。引切て其まゝ接ハ切口より水出て傷となる。扨削様ハ常のごとく肉皮(あまかハ)ばかりなり。麻糸の湯づきたるにてよき程に巻。上に籜(たけのかハ)をかぶせて置べし。惣て山茶ハ根を悉切て捨たるよし。根のよきハ枯る也。挿条(さしき)ハ切口をニツに割て挿べし割たる処より根出る。尤冷水に二時程ひたして接なりと云。肥ハ冬中人糞を根廻へ澆べし。或云山茶屋中柱(つばきやのうちのはしら)となすべからず。夢魂驚動(ゆめにおどろく)ことあらしむ。」とある。
  またナツツバキは、「夏椿  一名しやら。日光にてサルスベリといふ。花夏月開く。五出にして白色なり。実を春月早く蒔て二三年を過て砧となし、春葉出ぬ前によひ接にしてよし。一種豆州天城山に産するサルスベリ、一名赤ぎといふものあり。似て花小なり。この木の枝を江戸の石匠石鑿(いしやいしのみ)の柄となす。又材ハ柱となして雅なり。盆(はち)に植たるハ糞水を澆きてよし。花戸に多し。挿花に用ふ。」とある。