江戸時代の椿 その19
・『古今要覧稿』その2
以下に紹介するのは、巻第三百六の後半である。その中には、これまでのブログに示したものがあり、重複するため省いている。また、ツバキと直接関係ない記述についても省略する。
「いはゆる大椿及び椿樗の椿の如きはそのよはひ久延なるを以て其花実茎葉は必す不老不死の薬ともなるべきにいづれの本草にもそのよしはみえず、ただその根皮の下利下血帯下疾等の諸病を療するのみなるはこれその天性の功能にして海石榴油の如きは秦始皇の仙術を好みて我邦にもとめし石決明と同じく、彼にては不老不死の薬廿一種のうちなればそれを椿と名付しは葢し古に方術本草を唱ふる方土の命る以前の事なるべきはなを石決明の古名を鰒魚といへるが如くなるべし
(ツバキと直接関係ないため中略)
然れば李邕がいはゆる冬青葉如椿といひ、また救荒本草に凍青(臓器曰冬青江東人呼為凍青)似椿葉微窄而頭頗團不尖結子如豆大紅色といひし、椿もまたともにその遺名にして大椿及び椿樗の椿とはまさしく同名異物なる事明らけし
日本書紀(景行紀)云十二年秋 八月乙未朔己酉・・・天皇幸筑紫到豊前国長峡縣興行宮而居・・・冬十月到碩田国(和名抄云碩田豊後国大分郡於保伊多)、速見邑、有女人、曰速津媛、為一処之長、其聞天皇車駕而自奉迎之諮言茲山有大石窟、曰鼠石窟、有二土蜘蛾、住其石窟、一曰青、二曰白・云々・仍與群臣議之曰今多動兵衆以討土蜘蛛、若其畏我兵勢將隠山野必爲後愁、則採海石榴樹作椎為兵、因簡猛卒授兵椎以穿山排草襲石室土蜘蛾而破于稻葉川上悉殺其黨、血流至踝、故時人基作海石榴椎之処曰海石榴市(旧本曰字をかく今出雲風土記によつてこれを補ふ○按に日本紀によるにここにいふ海石榴市はまさしく豊前国なれどもまた武烈紀に影媛の泰待海石榴市巻とみえ万葉集又源氏物語枕草紙等にいふつば市は共に大和国長谷寺のほとりなり、世の人多く豊後国のつば市をしらすよりて事の因みにしかへるのみ)亦血流之処曰血田也云
以下に紹介するのは、巻第三百六の後半である。その中には、これまでのブログに示したものがあり、重複するため省いている。また、ツバキと直接関係ない記述についても省略する。
「いはゆる大椿及び椿樗の椿の如きはそのよはひ久延なるを以て其花実茎葉は必す不老不死の薬ともなるべきにいづれの本草にもそのよしはみえず、ただその根皮の下利下血帯下疾等の諸病を療するのみなるはこれその天性の功能にして海石榴油の如きは秦始皇の仙術を好みて我邦にもとめし石決明と同じく、彼にては不老不死の薬廿一種のうちなればそれを椿と名付しは葢し古に方術本草を唱ふる方土の命る以前の事なるべきはなを石決明の古名を鰒魚といへるが如くなるべし
(ツバキと直接関係ないため中略)
然れば李邕がいはゆる冬青葉如椿といひ、また救荒本草に凍青(臓器曰冬青江東人呼為凍青)似椿葉微窄而頭頗團不尖結子如豆大紅色といひし、椿もまたともにその遺名にして大椿及び椿樗の椿とはまさしく同名異物なる事明らけし
日本書紀(景行紀)云十二年秋 八月乙未朔己酉・・・天皇幸筑紫到豊前国長峡縣興行宮而居・・・冬十月到碩田国(和名抄云碩田豊後国大分郡於保伊多)、速見邑、有女人、曰速津媛、為一処之長、其聞天皇車駕而自奉迎之諮言茲山有大石窟、曰鼠石窟、有二土蜘蛾、住其石窟、一曰青、二曰白・云々・仍與群臣議之曰今多動兵衆以討土蜘蛛、若其畏我兵勢將隠山野必爲後愁、則採海石榴樹作椎為兵、因簡猛卒授兵椎以穿山排草襲石室土蜘蛾而破于稻葉川上悉殺其黨、血流至踝、故時人基作海石榴椎之処曰海石榴市(旧本曰字をかく今出雲風土記によつてこれを補ふ○按に日本紀によるにここにいふ海石榴市はまさしく豊前国なれどもまた武烈紀に影媛の泰待海石榴市巻とみえ万葉集又源氏物語枕草紙等にいふつば市は共に大和国長谷寺のほとりなり、世の人多く豊後国のつば市をしらすよりて事の因みにしかへるのみ)亦血流之処曰血田也云
出雲風土記云意宇郡凡諸山野所在草木云々海嘉榴(字域作椿)楊梅
又去島根郡云々海柘榴楠楊
又云和多々島周三里二百廿歩(有椎海柘榴)
又云久宇島周一里卅歩(有椿椎)
又云厓島周二百歩(有椿松)
又云附島周二里一十八歩(有椿松)
又云御島周二百八十歩高一十丈(有椿松栢)
又云葛島周一里一百十歩高五丈(有椿松小竹)
又云秋鹿郡云々推椿楠栢
又云楯縫郡云々海榴楠松
又云出雲郡云々椎椿松栢
又云山埼高卅九丈周一里二百五十歩(有椿松)
又云榊門郡云々椿槻柘楡
又云附島周二里一十八歩(有椿松)
又云御島周二百八十歩高一十丈(有椿松栢)
又云葛島周一里一百十歩高五丈(有椿松小竹)
又云秋鹿郡云々推椿楠栢
又云出雲郡云々椎椿松栢
又云山埼高卅九丈周一里二百五十歩(有椿松)
又云榊門郡云々椿槻柘楡
延喜式(中宮式)云凡正月上卯日供御杖云々其杖曾波木
二束云々焼椿十六束皮椿四束
又云中宮比々良棗各二束云々焼椿皮椿各五束
又(踐作大嘗祭)云土火ろ爐四荷(構以椿木塗以白土)
本草和名云椿木和名都波岐
又引崔禹錫食経云不死薬廿一種云々海石榴油在海嶋中似安石榴
(按に似字の上に缺文あり葢し実字なるべし和名鈔に玉篇を引て棟其子如榴類といへるもその大略をいひしにて此実の安石榴に似たるもまたそれと同意なるべし)
石決明(附石生海中)
和名類聚鈔云椿(勅倫反和名豆波木)木名也楊氏漢語抄云海石榴(和名上同本朝式等用之)
又去島根郡云々海柘榴楠楊
又云和多々島周三里二百廿歩(有椎海柘榴)
又云久宇島周一里卅歩(有椿椎)
又云厓島周二百歩(有椿松)
又云附島周二里一十八歩(有椿松)
又云御島周二百八十歩高一十丈(有椿松栢)
又云葛島周一里一百十歩高五丈(有椿松小竹)
又云秋鹿郡云々推椿楠栢
又云楯縫郡云々海榴楠松
又云出雲郡云々椎椿松栢
又云山埼高卅九丈周一里二百五十歩(有椿松)
又云榊門郡云々椿槻柘楡
又云附島周二里一十八歩(有椿松)
又云御島周二百八十歩高一十丈(有椿松栢)
又云葛島周一里一百十歩高五丈(有椿松小竹)
又云秋鹿郡云々推椿楠栢
又云出雲郡云々椎椿松栢
又云山埼高卅九丈周一里二百五十歩(有椿松)
又云榊門郡云々椿槻柘楡
延喜式(中宮式)云凡正月上卯日供御杖云々其杖曾波木
二束云々焼椿十六束皮椿四束
又云中宮比々良棗各二束云々焼椿皮椿各五束
又(踐作大嘗祭)云土火ろ爐四荷(構以椿木塗以白土)
本草和名云椿木和名都波岐
又引崔禹錫食経云不死薬廿一種云々海石榴油在海嶋中似安石榴
(按に似字の上に缺文あり葢し実字なるべし和名鈔に玉篇を引て棟其子如榴類といへるもその大略をいひしにて此実の安石榴に似たるもまたそれと同意なるべし)
石決明(附石生海中)
和名類聚鈔云椿(勅倫反和名豆波木)木名也楊氏漢語抄云海石榴(和名上同本朝式等用之)
八雲御抄云椿 たま はまつばきは非此種在濱物也 やつをのつばき(山の名也)つらつらつばき(万) はたやつばき(万) あをきなづなどいへり 長安遠樹がなづなに似たるなり
(按に和歌分類云あをきなづなは椿をみたてていふ類題和歌集公頼の歌に「八千年をいかにつみてかかけ青きなつなも春の色さかえ行」柳村随筆云扶桑若萕といへるは王維送秘書晃監遺日本詩序にみえ天辺樹如萕といひしは孟浩然登蘭山詩にみえたり皆遠樹の少さく見ゆるを唐人の形容せしなり燭つばきにあづかるにあらすことには如何してつぱきにのみかけ給ひたるにや)
(按に和歌分類云あをきなづなは椿をみたてていふ類題和歌集公頼の歌に「八千年をいかにつみてかかけ青きなつなも春の色さかえ行」柳村随筆云扶桑若萕といへるは王維送秘書晃監遺日本詩序にみえ天辺樹如萕といひしは孟浩然登蘭山詩にみえたり皆遠樹の少さく見ゆるを唐人の形容せしなり燭つばきにあづかるにあらすことには如何してつぱきにのみかけ給ひたるにや)
しらたまつばき
藻鹽草云椿 玉椿しら玉ー(しらたまつばきやちよへてよめり) はまー(注八雲御抄に同じ) やつをのー はた山ー やちとせー 青ー(按に新撰六帖信実の歌に「いやましの八みねに茂る青椿つらつら物を思ふ比哉」とみえたり) かた山ー あをもなづなといへり(注八雲御抄に同じ)つらつらー(注に袖中抄を引て不心得云々といへり) こせ山のつらつらー 八峯のーつらつらに
藻鹽草云椿 玉椿しら玉ー(しらたまつばきやちよへてよめり) はまー(注八雲御抄に同じ) やつをのー はた山ー やちとせー 青ー(按に新撰六帖信実の歌に「いやましの八みねに茂る青椿つらつら物を思ふ比哉」とみえたり) かた山ー あをもなづなといへり(注八雲御抄に同じ)つらつらー(注に袖中抄を引て不心得云々といへり) こせ山のつらつらー 八峯のーつらつらに
大和本草云椿(江戸時代の椿 その4★1700年代『大和本草』参照)
(按に烏丸光廣卿の百椿図序はその全文を扶桑拾葉集に載られたり、その序中にかく品類を弁ぜし事はみえず、又その書はひらかなにしてこれとは絶て異なるものなれば此真名序はまさしく別人の序なるべし)
広益地錦抄巻九(江戸時代の椿 その6★1710年代『広益地錦抄』参照)
諸色茶花
瑪璃茶産温州紅黄白粉為心大紅盤
実珠茶千葉攅簇殷紅若丹砂出蘇杭
焦蕚白実珠蕋似実珠蕋白九月開甚香
楊妃茶単葉花開最早桃紅色
正宮粉 賽宮粉花皆粉紅花
石榴茶中有碎花 海榴茶青蒂而小花
真珠茶淺紅色 菜榴茶有類山躑躅
躑躅茶色深紅如杜鵡 串珠茶亦粉紅
?口茶花弁皆圓轉 莱莉茶色純白一名白菱
開久而繁亦畏寒 一捻紀白弁有紅點
照殿紅葉大而且紅 晩山茶二月方開
南山茶出慶州葉薄有毛実大如拳
泉州府志云山茶有数種花開丹葉而極大者曰日丹葉単而小者曰錢茶有類錢茶而粉紅色者曰渓圃又有百葉而攅籏者曰宝珠有類宝珠而白曰焦蕚