天文・天正年間年間までの茶花

茶花    5 茶花の種類その2
天文年間までの茶花
  まず最初に出現する茶花は、『天王寺屋会記』他会記・天文十八年(1549)正月九日の茶会記に記された「松」である。「松」はマツとしたが、正確を期すれば、マツにはアカマツクロマツの他に、ゴヨウマツ、タギョウショウなどがある。以後の「松」と記されたマツは、野生種か園芸品種の詳細がわからないので、植物名はマツという表示にした。
  次に、同日に活けられたウメ。ウメは、野梅・紅梅・豊後という品種とは関係なく、「白梅」や「紅梅」など花の色に従ったり、「早咲き梅」というような記述が多い。そのため、以後に記される「ひはい」「天神」などを一括してウメという表示にした。
  キンセンカは、「金仙花」「キンセンクワ」「金盞花」「金盞」などに加えて、「てうしゆん」や「長春」などの記載がある。「長春」はコウシンバラではないと思ったが、『天王寺屋会記』他会記p266(茶道古典全集)の注にしたがってキンセンカとする。(十一月、十二月に活けられているから、コウシンバラよりキンセンカの確率が高いと判断。)
  ツバキは、「薄色椿」「白玉椿」など様々な記載がなされている。「白玉椿」は、白色のツバキで、蕾状の花を活けたものと思われ、正式な植物名ではない。そのため、ウメの場合と同様、一括してツバキと表示する。ただそうすると、茶花ならではのワビスケまでツバキに含むことになる。さらに、ロビラキ(ユキツバキとチャの交配種)はどうするかという問題もある。だからと言って、茶花の本などでツバキの種類としてがあげられているアケボノツバキ、オトメツバキ、チリツバキ、ハツアラシなどを別種すればツバキだけで10種以上になる。そうすれば茶花の種類は増えるが、色や形状でそれらを別の種として取り扱うことは、分類上難しいので一括してツバキとして表示する。
カキツバタは、「かきつはた」「杜若」などと記載されている。
キキョウは、「きヽやう」「桔梗」などと記載されている。
ササは、「さヽ」とあるだけで、その種類はわからない。
チガヤは、「あさち」「浅茅」「茅」などと記載されている。
キクには、様々な記載があり、当初は区分しようかと考えたが、茶書自体の記載に不明な点があることから、一括してキクとした。なお、キクについては、異論があると思われるので以下のような記載のあったことを記す。最も多いのは「菊」「キク」「きく」であるが、「寒菊」「野菊」「紫菊」「夏菊」「春菊」「かうらい菊」「酔楊妃」などという記載がある。これらのキクに該当する植物名を付けようと試みたが、「寒菊」など冬に咲くということから付けられた名前で、正式な植物名ではない。冬に咲くキクは何種類かあり、記載した人が異なれば「寒菊」の種類が異なる可能性がある。そこで、キクという表示で総称した。
  センリョウは、「仙寥花」「セんりう花」などと記載されている。
  ヤナギも種類が多く、どんなヤナギかを同定することは無理なため、ヤナギと表示した。
  フキは、「ふきのたう」「欵冬」「フキ」などと記載されている。
  スイセンは、大きく分けて「水仙花」「金盞銀臺」などと記載されている。「水仙花」はたぶん純白の花であると思われる。それに対し、「金盞銀臺」は、白い花弁に黄色い副花冠が中にあり、銀の台に金杯が置かれた様を形容して名付けられたものと思われる。
  フジは、「藤」の他に「白藤」という記載がある。
  ナデシコは、「なてしこ」などと記載され、正確にはカワラナデシコだと思われる。
  ミヤマシキミは、「みやましきひ」などと記載されている。
  以上は、天文年間(1549~51年)に使用された16種の茶花である。なお、ウメやツバキなどを詳細に分けて分類をすれば、茶花数は20種以上となる。
 
天正年間までの茶花
  ススキは、「スヽキ」「薄」「芒」などと記載されている。
  セキチクは外来(中国)のナデシコで、「セキチク」「石竹」などと記載されている。
  リンドウは、「りんたう」「竜胆」などと記載されている。
  アサガオは、「あさかほ」「朝顔」などと記載されている。
  ヤブコウジは「山たちはな」「山立花」と記載されている。
  ハギは種類が多い。「萩」と記載され植物はヤマハキ、「宮城野萩」はミヤギノハキと思われる。その他に「蒲ノ萩」があり、これらを総称してハギと表示した。
ユリは種類が多く、記載も「ひめゆり」「さゆり」「はかたゆり」「ゆり」「かうらいゆり」とあり、これらを総称してユリと表示した。
ムギは、「麦」「大麦」と記載されている。ムギは正式な植物名ではなく、外見の類似したイネ科の総称である。
カイドウは、「海堂」「カイドウ」「カイタヲ」「海棠」などと記載されている。
  イチハツは、「一八」と記載されている。
  モモは、「白桃」「桃」「赤き桃」「碧桃」などと記載されている。これは、現在食用にしているモモとは異なるハナモモと思われる。なお、「碧桃」は、中国産の八重咲きのモモ(ザンセツ)らしいが、モモとして別種にはしなかった。
  フヨウは、「ふよう」「芙蓉」「白きフヨウ」などと記載されている。
  バラは、「薔薇」「イバラ」「しやうひ」などと記載されているものを総称して表示。「薔薇」や「イバラ」「しやうひ」がどのような植物であったかは決められない。
  シャクヤクは、「しやくやく」「芍薬」などと記載されている。
  ヤマブキは、「山吹ノ返花」「山吹」「山フキ」などと記載されている。
  イネは、「なへ」の注に「若稲か」とあり、イネと表示する。
  オウバイは、「黄梅」と記載されている。
  カンゾウは、ノカンゾウヤブカンゾウかと思われ、「くわんさう」などと記載されている。
  タケは「竹」と記載され、タケの種類は確定できない。
  ボタンは、「牡丹」「ぼたん」などと記載されている。
  アブラナは、「ナタネノ花」「なたね花」などと記載されている。
ケシは、「けしの花」「芥子」などと記載されている。
  ユウガオは、「夕かほ」などと記載されている。ウリ科のヒョウタンの可能性が高い。なお、「夕かほ」は、夕方に咲くという朝顔との対比で記し、ヒルガオ科のユウガオではないと思われるが確信はない。
  チャは、「茶ノ花」と記載されている。
  セリは、「セリ」と記載されている。
  ウツギは、「ウツキ花」「卯の花」と記載されている。
  ヘチマは、「へちまの花」と記載されている。
  ヒョウタンは、「瓢干ノ花」と記載され、糸瓜の実と共に活けられたものと思われる。
  クズは、「くすの花」と記載されている。
  ツユクサは、「露草」「ウツシノ花」などと記載されている。
  アザミは、「鬼あさみ」と記載されている。
  キウリは、「黄瓜花」と記載されている。
ガマは、「蒲」と記載されている。
  サクラは、「熊谷ノ櫻」「櫻」などと記載されている。
  サクラソウは、「さくらそう」「櫻草」などと記載されている。
  ミョウガは、「みやうか」と記載されている。
  タケノコは、「竹子」と記載されている。タケと表示しようかと思ったが、ヒョウタンの実と同様別物と考え、タケノコとしたが異論はあるだろう。
  ムクゲは、「白ムクケ」「槿」などと記載されている。
ハナショウブは、「花シヤウフ」と記載されている。
  シモツケは、「シモツケ」と記載されている。
  ヤクモソウは、「ヤクモ」と記載されている。
  オグルマは、「ヲ車ノ花」「小車」などと記載されている。
  ケイトウは、「ケイトウ」と記載されている。
  ナンテンは、「ナツテン」と記載されている。
  ツツジは、「ツツシ」「紫ツツシ」などと記載されている。「ツツシ」はヤマツツジか、「紫ツツシ」はミツバツツジなどと推測され、種類の異なるツツジだと思われる。しかし、どちらも詳細な種を同定することが難しいのでツツジと表示する。
  以上、天正年間(1592年)までに天王寺屋会記、松屋会記、宗湛日記などから登場した茶花、61種を示した。実際は、これ以上の植物が使用されていたことは確かである。それは、茶会記に誤記と思われる花や判断に迷う花がいくつか記され、同定できなかった植物があるからだ。たとえば、松屋会記の永禄二年(1559)卯月廿二日に「ハレン(イチハツ科の植物か)」という注がある。この名について『広益地錦抄』に「三月さく草花にハばれん」とあり、「ばりん」であればネジアヤメとなる。ただ、ネジアヤメであれば開花時期の違いに多少不安があり、現時点では不明とする。なお、この「ばりん」は、漢名の馬蘭の字音である。また、ネジアヤメの初見は、『本草綱目啓蒙』(1805年)とされている(『資料別・草木初見リスト』磯野直秀)。
  天王寺屋会記自会記の天正六年(1578)二月七日に「チシヤ」がある。チサであれば、ヨーロッパ原産のキク科の植物となる。また、チシャノキということも考えられるが、開花は六~七月である。これらのことから、「チシヤ」がチサという可能性はあるものの現時点では断定できない。