慶長から明暦年間までの茶花

茶花    6 茶花の種類その3
慶長から明暦年間までの茶花
  天正年間のあと、文禄年間にも新しい茶花が出現した可能性はあるが、茶会記からは見つからなかった。慶長年間に入り『松屋会記』慶長四年(1599)二月廿三日の茶会記に「白ボケ」が記されている。
  ボケは、「木瓜」「ホケ」などと記載されている。
  ハスは、「白れんけ」「白キ荷葉」「蓮」などと記載されている。
スゲは、「白すげ」「すけ」などと記載されている。
サザンカは、「山茶花」「さゝむ花」などと記載されている。
コブシは、「こふし」などと記載されている。
  クチナシは、「くちなし」「コクチナシ」などと記載されている。
フクジュソウは、「ふくつく草」などと記載されている。
コウホネは、「河骨」「かうほね」などと記載されている。
  キスゲは、「キすき(黄すけ)」と表記され、開花時期からゼンテイカニッコウキスゲ)と推測する。異論はあるだろうがキスゲと表記する。
  アヤメは、「菖蒲」と記載され、ショウブかもしれないがアヤメと表記する。
オモダカは、「おもたか」と記載されている。
  ランは、「蘭」「シラン」などと記載され、シランかとも思われるが確定できないのでランと表記する。
キンポウゲは、「キンホウゲ」「キンホウケ」などと記載されている。
  エビネは、「エヒネ」と記載されている。
  テッセンは、「テツセン花」と記載されている。
アオイは、「アヲイ」と記載されている。
アジサイは、「アジサイ」「アチサイ」などと記載されている。
  サワギキョウは、「沢きゝやう」「さわききう」などと記載されている。
タンポポは、「タンホホ」と記載されている。
シャガは、「シヤカ」「しやが」と記載されている。
ヒルガオは、「昼かほ」と記載されている。
  シュウカイドウは、「秋かひとう」と記載されている。
ミツマタは、「三また」と記載されている。
ガンピは、「かんひ」と記載されている。
  トラノオは、「虎の尾」と記載されている。オカトラノオ、ルリトラノオクガイソウなどが候補にあげられる。ただ、オカトラノオの開花は六~七月、ルリトラノオクガイソウは七~八月である。
茶会が九月(旧暦)ということから、いずれも季節外れの開花でないと茶花として使えない。したがって、これら以外の植物を指している可能性もある。
 
  茶花として記された植物の名前、たとえば「虎の尾」などは、当時は誰もがわかる呼び名であったのだろう。だが、当時の呼び名は、現代の植物分類とは違う可能性がある。たとえば、古語「朝顔・あさがほ」がキキョウやムクゲを指していたように、茶花においてもそのような事例がいくつかあるかもしれない。そこでそのような混乱がないかどうか、他の文献との整合性を見ることにした。
  まず初めに、茶花について論じた文献として『山上宗二記』があげられる。そこには、「侘花入」と題して、「花之事」に花の名前が列挙されている。その中に「槿」があるが、宗二がどのような植物を「槿」と記したかについては、見解が分かれるようだ。『茶道古典全集・第六巻・山上宗二記』では(すみれ)と附してあり、また、『山上宗二記(岩波文庫)』では(あさがお)とある。私は、「槿」の前後の記載、「撫子。石竹。桔梗。夕顔。白き芥子。槿。萩。眼皮。」から推測してアサガオだと思う。これらの植物の並びから推測して、樹木ではなくおそらくは草花であること、また、春の花ではなく夏から秋に咲く植物と考えたからである。
  だが、「槿」がどんな場合でも必ずアサガオを表記するとは限らない。たとえば、『小堀遠州茶会記集成』に正保三年(1646)七月十六日と八月十六日の茶会に「槿」が記載されている。この「槿」がアサガオを指すかと言えば、そうではない。遠州の茶会記には、「朝かほ」「朝顔」という記載があることから、「槿」はアサガオとは別の植物を指していることがわかる。『小堀遠州茶会記集成』では、「槿」は木槿ムクゲを指している。このように茶花の表記は同じであっても、時代や記録した人物によって示す植物が異なることも考慮する必要がある。
  次に検討する必要がある点は、茶花名を間違えていないかということ。これはたとえば似たような花、ツバキとサザンカを混同していたりする例である。この点については、見極めるのが大変難しく、記載者の植物に対する鑑識眼力を信じるより他ないだろう。ただ、年代からして日本に渡来していないはずの植物名やまだ他の文献に見られない植物名が記されている場合など、明らかに間違っていると思われる時には、検討する必要がある。なお、この誤りは、茶書を書き換えたり、後世になって書き加えた場合にもあり得るので、茶書自体の信頼性をも検証することになるだろう。
 サザンカは日本に自生する植物である。サザンカによく似たツバキは、昔からその名は知られており、茶花としても頻繁に使用されている。ところがサザンカは、不思議なことに文禄年間以前の茶会には出てこない。茶花としての初見は、『織部茶会記』の慶長十年(1605)十月十日の茶会である。したがって、もしかすると、ツバキと間違えて使用していた可能性があるのではないか。そこで、植物名としてのサザンカがいつ頃から知られるようになったか、『資料別・草木初見リスト(以下、初見リストとする。)』(磯野直秀)を見ると、『日蘭辞書』(1603~4年)が初見とされている。ということは、サザンカの名前が世間に浸透して間もない頃に、すでに『織部茶会記』には記されたと考えてよさそうだ。また、テッセンについては『初見リスト』と同じ年、寛永八年三月廿七日の『松屋会記』に記されている。
しかし、必ずしも『初見リスト』が先かと言えば、そうでない場合もあるようだ。シュウカイドウは、『初見リスト』では『花壇綱目初稿』(1664年、刊本1681年)が初見とある。だが、『金森宗和茶書』では、慶安五年(1652)七月十九日の茶会記に「秋かひとう」と記されている。また、ヤクモソウも『初見リスト』では『日蘭辞書』(1603~4年)が初見だが、『宗湛日記』の天正十五年(1587)六月十四日の茶会記に「ヤクモノ花」と記されている。この二つの植物の初見は、時期にあまり差がないことから、もしかすると茶会記の方が先である可能性もある。そのため、シュウカイドウとヤクモソウの茶会記の記録は削除することなく、茶花の初見を訂正しなかった。
  また同様に、ミツマタは『金森宗和茶書』の承応二年(1653)極月廿日「三また」とあるが、『初見リスト』では『草花魚貝虫類写生図』(1674年)とある。20年の差があるものの写生時期より先に『金森宗和茶書』が記載していることもあり得ると判断した。もし違うとすれば、錯誤か、宗和の没後に『金森宗和茶書』が改変されたことになり、『金森宗和茶書』の信頼性に疑問が生じることになる。
  茶会に記された茶花は、可能な限り植物名を探し出し、同定しようと試みた。たとえば、『金森宗和茶書』の承応四年(1655)二月十九日の茶会において「かたこき」「はんの花」が活けられたと記載されている。「かたこき」が何なのか不明であるが、何か手がかりはないかと「かたこ」で探すと、『広益地錦抄』にカタクリが出てくる。しかし、この程度の理由で断定するには根拠が弱い。不明な茶花の名前は、可能な限り推測してみたが、現時点では不明として削除している。次に、「はんの花」はハンノキの花が思い浮かぶが、ハンノキの花のような地味な花を活けたかのかという疑問がある。さらに、茶会は春に催されているが、ハンノキの開花は冬であることからも、これが本当にハンノキかどうか不明である。「はんの花」のような、該当すると思われる植物が存在する場合は判断に迷うが、確定できないのでやはりこれは初見としては削除する。
また、松屋会記の寛永四年(1624)二月十四日の茶会記に「岩柳」が記されている。「岩柳」をイワヤナギだとすれば、『牧野新日本植物図鑑』に、キツネヤナギの別名とある。しかし、茶会は旧暦二月、キツネヤナギの開花は新暦の四~六月である。したがって、茶会で活けた「岩柳」がキツネヤナギである可能性は否定できないものの、確証もない。それより、『樹木図説』に「岩柳」はユキヤナギの別名(『大和本草弁正』によれば)とあり、ユキヤナギの開花時期三~四月を考慮すると、ユキヤナギの可能性の方が高いだろう。ユキヤナギの初見は『花譜』(1698年)とされていることから、当時はユキヤナギをイワヤナギと呼んでいたと考えれば、矛盾はない。「岩柳」がキツネヤナギであるかユキヤナギであるか、どちらにしても決定的な根拠はない。したがって、「岩柳」については、初見として取り上げないだけでなく、茶花としてのリストからも除いた。
 
  天文年間(1549年)から明暦年間(1656年)までに茶花が活けられたと思われる茶会は、1230を数えた。登場した茶花の種類は87種であるが、不明として植物名を同定できなかった茶花も20ほどあることから、実際には100種以上になるだろう。名前がわからなかった原因は、誤記によるものも少なくない。また、同定できなかった茶花には、一回しか記載されていないものが多く、そのことも同定を困難にしている。その他、「花生テ」や「花一」など茶花は活けられた記録はあるものの、植物名が記されていない茶会も40ほどある。