江戸時代の椿 その22

江戸時代の椿  その22
★1850年代(嘉永安政年間) 『剪花翁伝前編』の椿
  『剪花翁伝前編』は、挿し花(生花)の花材361品の栽培法を月別にわけ、花期や栽培の留意点、早出し法などを解説している。この書は、嘉永四年(1851)園芸家・中山雄平によってに刊行されている。なお、前編とあるのは、後編も刊行するつもりだったのかもしれない。
『剪花翁伝前編』には、ツバキについて以下のように記されている。
  「椿並に山茶花さしきの方  方地ば西北の方を遮り隔て東南の陽面を受たる山麓○岸塘○土蔵○築塀○屋舎などの間を去ること五六尺或は一丈許りにして西北に向ひたる片卸しの藁葺小屋を南流れに地上までも葺卸し其内にさしきの畝を設け立置きさて椿の一年物の穂に芽を五箇かけて二年物の枝をいささか付て剪口のただれざるやうに三寸許りに切放し葉一枚付て芽二箇を顕し少し斜にして芽を三箇を土中に杆入れ土の乾かざるように折々水を澆くべし、三十日許を歴て一本抜上げ見るへし、切口の皮の囲りより肉の巻上たるものは残らず活くたり、此時節に藁葺を取除き葭簀を覆ふへし、されど大雨には苔の類を覆ひ防くへし、かく東南の陽気を受し方に向ひ温室を建て純陽を前に惹て後よりも亦陽気を蒙る時は冷暖程よく徹するなり、此外根生じ難きものは大概この方に倣ふへし、時節は八月中旬より十一月までに咲出つる椿の如きは正月雨水の節杆すへし十二月上旬より咲き出づる椿の如きは春彼岸より少し早く杆へし、是れ開花に遅速あるを以てさしきの時も亦遅速するなり。」とある。
 
★1860年代(万延~文久~元治~慶応年間) 『オイレンブルク日本遠征記』『草木図説』のツバキ
・『オイレンブルク日本遠征記』
  プロイセンの遣日使節オイレンブルグは、1860年に日本を訪れ江戸に滞在し、ツバキに関する記述を記している。「椿は日本原産の花で、いろいろな種類のものが林や生垣にも見られ、四季に花を咲かす。一番美しく、二階家ほどの高さにもなる最大の椿は、江戸では二月と三月に、庭園用の八重咲きのはもっと早く咲く。しかしこの樹は、庭師の手を煩わすには数が多すぎる。わが国の温室育ちの均整のとれた完全な八重咲きは日本では見られない」と言外に驚きを込めて『オイレンブルク日本遠征記  上』(中井晶夫訳)に書き記している。

 
・『草木図説』
  『草木図説』は、リンネの分類法による日本最初の植物図鑑である。図鑑は、飯沼慾斎によって執筆され、草部20巻が1856年(安政3)から62年(文久2)にかけて刊行された。木部10巻は未刊行であったが1977年(昭和52)、北村四郎編注により刊行(保育社)された。
  その中に記されたツバキの記述は、
「第十六綱  雄蕋上分下合為一体  Monadelphia(モナドルピア)
第五目  多雄蕋
  ツバキ  山茶
  山茶多種ナレドモ概スルニ葉楕円ニシテ尖リテ鋸歯アリ、表深緑背淡ク、質剛シテ光沢アリ、春二三月盛ニ花ヲ開ク、萼円偏或ハ楕円ノ十数片、鱗次重畳シ、外者小、内者漸大、花弁亦扁円或ハ楕円ノ十数片ニシテ、内者大外者小、色紅、或ハ淡紅、或ハ暗紅、雄蕋数十茎相重リ、内者漸短、外者長シテ斉列、脚下併合筒様ヲナシテ実礎ヲ囲ミ、葯黄色、実礎椎子状ニシテ頭三叉、凡ソ山茶ノ概標大低ミナ然リ、ソノ人家園庭所栽ハ、多種殆ト数十百品二至ル、ソノ種、花ノ大小単複、色ノ紅白濃淡、間駁、開時ノ早晩、葉形ノ潤狭等一ナラザレドモ、萼形蕋状ニアツテハ、一般ニカカル、故ニ今纔ニ数種ヲ掲テ、不及具載、実ハミナ硬殻中ニ仁アリ、搾テ油ヲ取リ木ノ実ノ油ト云其山林ニ普ク自生スル単弁紅色ナルヲヤブツバキ(躑躅茶)ト云即本条所図コレナリ
附開蕋体見心蕋本然図
 Camellia japonica(カムレリア  イヤポニカ)羅  Chineesche Roos(シネーセ  ロース)蘭
 按山茶ハ、本邦漢土等ニハ多種アレドモ、西洋之ヲ産セズ、故二林氏ケムヘル氏ノ説ニツイテ只此一条ヲ挙ルノミ、近世或ハ多種アルカ余未見其書、是以下条ソノ種名二及ズ
 
シラタマツバキ
  花白包、開時二早晩ノ数種アリ、早キハ八九月、中者ハ晩冬、晩者春月ニシテ、花形亦些異アレドモ大抵鐘様、已下所挙数種玩花者流ノ銘名一ナラズ、形状衆ヨク通知シ啓蒙亦記之、故ニ子細ニ及バス
 
白花千葉者
 
紅花大輪
 
ワビスケ海榴茶
花小ニシテ開展セズ白色淡紅等アリ
 
イセツバキ 石榴茶
大弁五片中ニ細弁簇生干葉ノ御米花ノ如シ色深紅
 
カラツバキ  タウツバキ  南山茶
枝條長クノビテ曲繞セズ、葉差狭シテ長、花大サ四五寸恰モ牡丹花ノ如シ、色ニ紅アリ白アリ
 
ヒラギツバキ
葉大ナラズ、辺縁鋸歯大ニシテ尖鏡、花小ニシテ開展セズ、ワビスケノ花形ノ如シ
 
サザンクハ 茶梅
山茶ノ族ニシテ山林自生アルコトヲ不聞、園庭多ク栽テ愛玩スルコト山茶ノ如シ、花ノ大小、弁ノ狭潤、色ノ紅白等種々アルコト、山茶ノ如クナレドモ、葉差小ニシテ殆ト茶葉ノ如ク、花弁差薄シテ展開シ、実礎心蕋同形ナレドモ、雄蕋脚下ノ合併至テ微クシテ、筒様ヲナスニ至ラザルコト、ソノ殊標ニカカル、実亦同形ニシテ小ナリ
林氏前条下
Camellia Sasanqua(カメルリアササングワ)
 
ナツツバキ  シヤラ
  往々山中ニ生ス、山茶ヨリ大木トナリ、外皮剥脱シテビランノ木ノ如ク、枝亜細ニ分レ、春新葉ヲ生ス、形卵円披針状ニシテ長クシテ鋸歯アリ、質山茶葉ノ如ク厚剛ナラズ、色淡緑ニシテ光リナシ、夏枝梢ニ短梗白花ヲ開ク、花蕋萼形惣テ山茶花ノ如クシテ、差小ニシテ弁頭細剪皺襀アツテ、微ク外反ス、日出テ開キ日落テ凋ム
  按木形葉質山茶トハ異ナレドモ花蕋萼形ニアツテハ一般其趣同シケレバ亦Camelliaノ族二収ムベキカ
 
ヒメシヤラ
  葉夏ツバキノ葉ヨリハ小、夏新枝葉腋ニ花アリ、梗四五分、萼鐘状大小四片、萼下ニ二小葉アツテ抱之、亦殆ト萼ノ如シ、花短筒五裂、形色ナツツバキト同フシテ梢小、実礎柯子状、一柱頭五裂、多雄蕋弁脚ニツキテ黄葯、花好テ傾キ開テ正直ナラズ、萼形一殊態アレドモ、花形ニアツテハナツツバキノ一種ニ外ナラズ」
 
  以上、江戸時代の椿に関する記述については、これで終了する。なお、調べているうちにいくつか、書き落としや不明な点を見つけたが、それはまた別の機会に補正しようと思っている。