茶花 37 茶花の種類その34
『尺素往来』に記された植物その2
・「夏花者」
「岩藤」は、マメ科ニワフジとする。
「卯花」は、アジサイ科ウツギとする。
「停春」は、バラ科コウシンバラとする。
「芍薬」は、ボタン科シャクヤクとする。
『尺素往来』に記された植物その2
・「夏花者」
「岩藤」は、マメ科ニワフジとする。
「卯花」は、アジサイ科ウツギとする。
「停春」は、バラ科コウシンバラとする。
「芍薬」は、ボタン科シャクヤクとする。
「薔薇」は、総称名としてバラ科バラとする。
「防葵花」は、アジサイ科アジサイとする。
「下野花」は、バラ科シモツケとする。
「萱草」は、総称名としてカンゾウとする。
「蜀葵」は、『植栽史』では「蜀葵(からあふひ)」として「フユアオイ」とある。「蜀葵」が漢名であれば、タチアオイであり、ここではアオイ科タチアオイとする。
「藕花」は、スイレン科ハスとする。
「夏菊」は、『植栽史』では「夏咲きのキク」とあるように、ここでは総称名キク科キクとする。
「夕顔」は、ウリ科ユウガオとする。
「鳳尾花」は、アヤメ科ヒオウギとする。
「菖蒲」は、『植栽史』では「ショウブ」とあるが、一連の記述は花ものであるため、アヤメ科アヤメと考えられる。
「寶珠花」は、『植栽史』では「?」とある。「擬寶珠花」の「擬」が欠落して「寶珠花」と記されたとすれば、「寶珠花」はユリ科ギボウシと推測されるが、確証はない。
「岩躑躅」は、『植栽史』では「サツキ」とある。「岩躑躅」は「イワツツジ」、現代のサツキであるとの記述は目にするが、確認できない。現代名のイワツツジという名の植物は、ツツジ科にあるが、サツキではない。『尺素往来』の「岩躑躅」は現代名のイワツツジを指しているとも確証できない。サツキについての記述は、『樹木図説』によれば『和漢三才図会』『本草綱目』『和漢三才図会』『大和本草』などにあるが、それが「岩躑躅」であるとの指摘は見られない。『草木名初見リスト』によれば、サツキの初見は1645年『毛吹草』とあり、それ以前は「岩躑躅」と呼ばれていたとは考えにくい。ここでは判断できないので、「岩躑躅」の現代名は不明とする。
「和瞿麦」は、ナデシコ科ナデシコ(カワラナデシコ)とする。
「唐瞿麦」は、ナデシコ科セキチクとする。
「早百合」は、ユリ科サユリとする。
「姫百合」は、ユリ科ヒメユリとする。
「晩桜」は、『植栽史』では「遅咲きのサクラ」とあり、総称名バラ科サクラとする。
「盧橘」は、『植栽史』では「ナツミカン」とある。『早大版』では「花橘」とある。一連の記述は花ものであり実物の「ナツミカン」が選ばれるとは考えにくい。『草木名初見リスト』によれば、ナツミカンの初見は1709年『大和本草』である。したがって、十五世紀当時、特別に取り上げられること自体疑問がある。「盧橘」「花橘」はタチバナ類、カラタチなどの花を指していたのではなかろうか。したがって、ここでは結論が出せないので不明とする。
「桐花」は、ゴマノハグサ科キリとする。
「梔花」は、アカネ科クチナシとする。
「木瓜花」は、バラ科ボケとする。
「柘榴花」は、ザクロ科ザクロとする。
「防葵花」は、アジサイ科アジサイとする。
「下野花」は、バラ科シモツケとする。
「萱草」は、総称名としてカンゾウとする。
「蜀葵」は、『植栽史』では「蜀葵(からあふひ)」として「フユアオイ」とある。「蜀葵」が漢名であれば、タチアオイであり、ここではアオイ科タチアオイとする。
「藕花」は、スイレン科ハスとする。
「夏菊」は、『植栽史』では「夏咲きのキク」とあるように、ここでは総称名キク科キクとする。
「夕顔」は、ウリ科ユウガオとする。
「鳳尾花」は、アヤメ科ヒオウギとする。
「菖蒲」は、『植栽史』では「ショウブ」とあるが、一連の記述は花ものであるため、アヤメ科アヤメと考えられる。
「寶珠花」は、『植栽史』では「?」とある。「擬寶珠花」の「擬」が欠落して「寶珠花」と記されたとすれば、「寶珠花」はユリ科ギボウシと推測されるが、確証はない。
「岩躑躅」は、『植栽史』では「サツキ」とある。「岩躑躅」は「イワツツジ」、現代のサツキであるとの記述は目にするが、確認できない。現代名のイワツツジという名の植物は、ツツジ科にあるが、サツキではない。『尺素往来』の「岩躑躅」は現代名のイワツツジを指しているとも確証できない。サツキについての記述は、『樹木図説』によれば『和漢三才図会』『本草綱目』『和漢三才図会』『大和本草』などにあるが、それが「岩躑躅」であるとの指摘は見られない。『草木名初見リスト』によれば、サツキの初見は1645年『毛吹草』とあり、それ以前は「岩躑躅」と呼ばれていたとは考えにくい。ここでは判断できないので、「岩躑躅」の現代名は不明とする。
「和瞿麦」は、ナデシコ科ナデシコ(カワラナデシコ)とする。
「唐瞿麦」は、ナデシコ科セキチクとする。
「早百合」は、ユリ科サユリとする。
「姫百合」は、ユリ科ヒメユリとする。
「晩桜」は、『植栽史』では「遅咲きのサクラ」とあり、総称名バラ科サクラとする。
「盧橘」は、『植栽史』では「ナツミカン」とある。『早大版』では「花橘」とある。一連の記述は花ものであり実物の「ナツミカン」が選ばれるとは考えにくい。『草木名初見リスト』によれば、ナツミカンの初見は1709年『大和本草』である。したがって、十五世紀当時、特別に取り上げられること自体疑問がある。「盧橘」「花橘」はタチバナ類、カラタチなどの花を指していたのではなかろうか。したがって、ここでは結論が出せないので不明とする。
「桐花」は、ゴマノハグサ科キリとする。
「梔花」は、アカネ科クチナシとする。
「木瓜花」は、バラ科ボケとする。
「柘榴花」は、ザクロ科ザクロとする。
・「秋花者」
「蘭」は、キク科フジバカマとする。
「萩」は、総称名としてマメ科ハギとする。
「荻」は、イネ科オギとする。
「苅萱」は、イネ科カルカヤとする。
「薄」は、イネ科ススキとする。
「草香(のかう)」は、『植栽史』では「クサノコウ」とあるが、「クサノコウ」という植物は『牧野新日本植物図鑑』(北隆館)には載っていない。似た名前として、ケシ科クサノオウがあるので、ここではクサノオウとする。
「紫園」は、キク科シオンとする。
「龍膽」は、リンドウ科リンドウとする。
「芙蓉」は、アオイ科フヨウとする。
「桔梗」は、キキョウ科キキョウとする。
「水蓼」は、タデ科ヤナギタデとする。
「槿花」は、アオイ科ムクゲとする。
「牽牛花」は、ヒルガオ科アサガオとする。
「鳳仙花」は、ツリフネソウ科ホウセンカとする。
「仙翁花」は、ナデシコ科センノウとする。
「女郎花」は、オミナエシ科オミナエシとする。
「鶏頭花」は、ヒユ科ケイトウとする。
「鼠尾草」は、ミソハギ科ミソハギとする。
「秋法師」は、ユリ科ギボウシとする。
「我毛香」は、バラ科ワレモコウとする。
「眞菊」は、総称名キク科キクとする。
「野菊」は、『植栽史』では「ヨメナ」とあるが、コンギクやノジギクなどの可能性も高いと思う。また、「野菊」が野に咲くキク一般を指していると考えると、現代名を示すのは無理である。そこで、総称名キク科キクとする。
「槐花」は、マメ科エンジュとする。
「桂花」は、モクセイ科キンモクセイとする。
「蘭」は、キク科フジバカマとする。
「萩」は、総称名としてマメ科ハギとする。
「荻」は、イネ科オギとする。
「苅萱」は、イネ科カルカヤとする。
「薄」は、イネ科ススキとする。
「草香(のかう)」は、『植栽史』では「クサノコウ」とあるが、「クサノコウ」という植物は『牧野新日本植物図鑑』(北隆館)には載っていない。似た名前として、ケシ科クサノオウがあるので、ここではクサノオウとする。
「紫園」は、キク科シオンとする。
「龍膽」は、リンドウ科リンドウとする。
「芙蓉」は、アオイ科フヨウとする。
「桔梗」は、キキョウ科キキョウとする。
「水蓼」は、タデ科ヤナギタデとする。
「槿花」は、アオイ科ムクゲとする。
「牽牛花」は、ヒルガオ科アサガオとする。
「鳳仙花」は、ツリフネソウ科ホウセンカとする。
「仙翁花」は、ナデシコ科センノウとする。
「女郎花」は、オミナエシ科オミナエシとする。
「鶏頭花」は、ヒユ科ケイトウとする。
「鼠尾草」は、ミソハギ科ミソハギとする。
「秋法師」は、ユリ科ギボウシとする。
「我毛香」は、バラ科ワレモコウとする。
「眞菊」は、総称名キク科キクとする。
「野菊」は、『植栽史』では「ヨメナ」とあるが、コンギクやノジギクなどの可能性も高いと思う。また、「野菊」が野に咲くキク一般を指していると考えると、現代名を示すのは無理である。そこで、総称名キク科キクとする。
「槐花」は、マメ科エンジュとする。
「桂花」は、モクセイ科キンモクセイとする。
・「冬花者」
「霜菊」は、『植栽史』では「カンギク」とある。このキクは、霜が降りおりる時期に咲くキクを指していると思われる。カンギクはアブラギクの園芸品種で、カンギクの初見は『草木名初見リスト』によれば、1542年『池坊専応口伝』とされている。「霜菊」の現代名は確定できないので、総称名キク科キクとする。
「寒梅」は、総称名バラ科ウメとする。
「苔」は、総称名としてコケとする。
「霜菊」は、『植栽史』では「カンギク」とある。このキクは、霜が降りおりる時期に咲くキクを指していると思われる。カンギクはアブラギクの園芸品種で、カンギクの初見は『草木名初見リスト』によれば、1542年『池坊専応口伝』とされている。「霜菊」の現代名は確定できないので、総称名キク科キクとする。
「寒梅」は、総称名バラ科ウメとする。
「苔」は、総称名としてコケとする。
「芝」は、イネ科シバとする。
「葛」は、マメ科クズとする。
「蔦」は、ブドウ科ツタとする。
「竹」は、総称名としてタケとする。
「篠」は、総称名としてササとする。
「忍」は、シノブ科シノブとする。
「忘」はワスレグサ、ユリ科ヤブカンゾウとする。
「山菅」は、ユリ科ヤブランとする。
「山橘」は、ヤブコウジ科ヤブコウジとする。
「苔松」は、苔むした松ではないかと思われるが、よくわからない。
「岩檜」は、イワヒバ科イワヒバとする。
「芭蕉」は、バショウ科バショウとする。
「○葭」は、振り仮名(アシ)から、イネ科アシとする。
「木賊」は、トクサ科トクサとする。
「姫葦」については、どのような植物かわからない。
「石菖蒲」は、サトイモ科セキショウとする。
「獅子髭」については、どのような植物かわからない。
「一夏草」は、『植栽史』では「イチリンソウ」とある。確かに『新日本植物図鑑』にはそのような記述がある。だが、『尺素往来』以後、『大和本草』が1709年に記されるまで、「イチリンソウ」は、茶会記や花伝書などに一度も登場していない。そのため、「一夏草」がイチリンソウであると断定するには不安があり、ここでは不明としておく。
「万年草」は、ベンケイソウ科マンネングサとする。
「金徽草」は、『植栽史』では「キンキソウ」とあるが、『新日本植物図鑑』にはそのような名前の植物は見当たらない。そのため、不明とする。
「吉祥草」は、ツゲ科キチジソウかユリ科キチジョウソウか、迷うところだが、ここではユリ科キチジョウソウとする。
「松」は、総称名としてマツとする。
「栢」は、イチイ科カヤとする。
「檜」は、ヒノキ科ヒノキとする。
「杉」は、スギ科スギとする。
「柀」は、総称名としてマキとする。
「椿」は、ツバキ科ツバキとする。
「檀」は、ニシキギ科マユミとする。
「朴」は、モクレン科ホオノキとする。
「鶏冠」は、総称名としてカエデとする。
「銀杏」は、イチョウ科イチョウとする。
「葛」は、マメ科クズとする。
「蔦」は、ブドウ科ツタとする。
「竹」は、総称名としてタケとする。
「篠」は、総称名としてササとする。
「忍」は、シノブ科シノブとする。
「忘」はワスレグサ、ユリ科ヤブカンゾウとする。
「山菅」は、ユリ科ヤブランとする。
「山橘」は、ヤブコウジ科ヤブコウジとする。
「苔松」は、苔むした松ではないかと思われるが、よくわからない。
「岩檜」は、イワヒバ科イワヒバとする。
「芭蕉」は、バショウ科バショウとする。
「○葭」は、振り仮名(アシ)から、イネ科アシとする。
「木賊」は、トクサ科トクサとする。
「姫葦」については、どのような植物かわからない。
「石菖蒲」は、サトイモ科セキショウとする。
「獅子髭」については、どのような植物かわからない。
「一夏草」は、『植栽史』では「イチリンソウ」とある。確かに『新日本植物図鑑』にはそのような記述がある。だが、『尺素往来』以後、『大和本草』が1709年に記されるまで、「イチリンソウ」は、茶会記や花伝書などに一度も登場していない。そのため、「一夏草」がイチリンソウであると断定するには不安があり、ここでは不明としておく。
「万年草」は、ベンケイソウ科マンネングサとする。
「金徽草」は、『植栽史』では「キンキソウ」とあるが、『新日本植物図鑑』にはそのような名前の植物は見当たらない。そのため、不明とする。
「吉祥草」は、ツゲ科キチジソウかユリ科キチジョウソウか、迷うところだが、ここではユリ科キチジョウソウとする。
「松」は、総称名としてマツとする。
「栢」は、イチイ科カヤとする。
「檜」は、ヒノキ科ヒノキとする。
「杉」は、スギ科スギとする。
「柀」は、総称名としてマキとする。
「椿」は、ツバキ科ツバキとする。
「檀」は、ニシキギ科マユミとする。
「朴」は、モクレン科ホオノキとする。
「鶏冠」は、総称名としてカエデとする。
「銀杏」は、イチョウ科イチョウとする。