茶花と花材の植物名その2
イグサ(イネ科)・・・種名・・・イグサの初見→新撰字鏡900年頃
燈心草=イグサ・・・『生花枝折抄』1773年(安永二年)に記される。
蘭=イグサ・・・『小篠二葉伝』1787年(天明七年)に記される。
イタドリ(タデ科)・・・種名・・・イタドリの初見→新撰字鏡900年頃
イタトリ=イタドリ・・・『山科家礼記』1491年(延徳三年)に記される。
虎枝=イタドリ・・・『生花枝折抄』1773年(安永二年)に記される。
イタトリ=イタドリ・・・『山科家礼記』1491年(延徳三年)に記される。
虎枝=イタドリ・・・『生花枝折抄』1773年(安永二年)に記される。
イタビカズラ(クワ科)・・・種名
薜茘=イタビカズラ・・・『立花指南』1688年(貞享五年)に記される。
薜=イタビカズラ・・・『抛入花薄』1767年(明和四年)に記される。
薜茘=イタビカズラ・・・『立花指南』1688年(貞享五年)に記される。
薜=イタビカズラ・・・『抛入花薄』1767年(明和四年)に記される。
イチゴ(バラ科)・・・総称名・・・イチゴの初見→新撰字鏡900年頃
いちご=イチゴ・・・『専応口伝』1445年(文安二年)に記される。
山いちご=イチゴ・・・『立花正道集』1684年(天和四年)に記される。
なお、「山いちご」は「クマイチゴ」の可能性があるが、断定できないので「イチゴ」とする。
いちご=イチゴ・・・『専応口伝』1445年(文安二年)に記される。
山いちご=イチゴ・・・『立花正道集』1684年(天和四年)に記される。
なお、「山いちご」は「クマイチゴ」の可能性があるが、断定できないので「イチゴ」とする。
イチハツ(アヤメ科)・・・種名・・・イチハツの初見→文明本節用集1500年頃
一八=イチハツ・・・『天王寺屋会記』1569年(永禄十二年)に記される。
いちはつ=イチハツ・・・『立花正道集』1684年(天和四年)に記される。
紫羅=鳶尾花=イチハツ・・・『抛入花伝書』1684年(貞享一年)に記される。
鴨脚花=紫羅傘=イチハツ・・・『立花秘傳抄』1688年(貞享五年)に記される。
紫胡蝶=イチハツ・・・『生花百競』1768年(明和五年)に記される。
以鳶尾=イチハツ・・・『生花枝折抄』1773年(安永二年)に記される。
一初=イチハツ・・・『砂鉢生花伝』1775年(安永四年)に記される。
一八=イチハツ・・・『天王寺屋会記』1569年(永禄十二年)に記される。
いちはつ=イチハツ・・・『立花正道集』1684年(天和四年)に記される。
紫羅=鳶尾花=イチハツ・・・『抛入花伝書』1684年(貞享一年)に記される。
鴨脚花=紫羅傘=イチハツ・・・『立花秘傳抄』1688年(貞享五年)に記される。
紫胡蝶=イチハツ・・・『生花百競』1768年(明和五年)に記される。
以鳶尾=イチハツ・・・『生花枝折抄』1773年(安永二年)に記される。
一初=イチハツ・・・『砂鉢生花伝』1775年(安永四年)に記される。
イトススキ(イネ科)・・・変種名
いとすすき=イトススキ・・・『仙傳抄』1445年(文安二年)に記される。
絲亡=イトススキ・・・『生花枝折抄』1773年(安永二年)に記される。
いとすすき=イトススキ・・・『仙傳抄』1445年(文安二年)に記される。
絲亡=イトススキ・・・『生花枝折抄』1773年(安永二年)に記される。
イノモトソウ(ウラボシ科)・・・種名
鳳尾草=イノモトソウ・・・『砂鉢生花伝』1775年(安永四年)に記される。
鳳尾草=イノモトソウ・・・『砂鉢生花伝』1775年(安永四年)に記される。
イバラ(バラ科)・・・総称名・・・イバラの初見→万葉集712年785年前
★イバラについては、本来ならノイバラと種名にすべきであるが、確証がないため総称名とした。
イハラ=イバラ・・・『山科家礼記』1445年(文安二年)に記される。
いばらの花=イバラ・・・『立花正道集』1684年(天和四年)に記される。
荊薔薇(うばらしやうび)=イバラ・・・『抛入花伝書』1684年(貞享一年)に記される。
蕀=イバラ・・・『古今茶道全書』1693年(元禄六年)に記される。
荆=イバラ・・・『古流生花四季百瓶図』1778年(安永七年)に記される。
★イバラについては、本来ならノイバラと種名にすべきであるが、確証がないため総称名とした。
イハラ=イバラ・・・『山科家礼記』1445年(文安二年)に記される。
いばらの花=イバラ・・・『立花正道集』1684年(天和四年)に記される。
荊薔薇(うばらしやうび)=イバラ・・・『抛入花伝書』1684年(貞享一年)に記される。
蕀=イバラ・・・『古今茶道全書』1693年(元禄六年)に記される。
荆=イバラ・・・『古流生花四季百瓶図』1778年(安永七年)に記される。
イブキ(ヒノキ科)・・・種名
伊吹木=イブキ・・・『替花傳秘書』1661年(寛文元年)に記される。
いぶき=イブキ・・・『立花正道集』1684年(天和四年)に記される。
栢樹=穏栢=圓栢=ゆぶき=イブキ・・・『立花秘傳抄』1688年(貞享五年)に記される。
伊吹木=イブキ・・・『替花傳秘書』1661年(寛文元年)に記される。
いぶき=イブキ・・・『立花正道集』1684年(天和四年)に記される。
栢樹=穏栢=圓栢=ゆぶき=イブキ・・・『立花秘傳抄』1688年(貞享五年)に記される。
イボタ(モクセイ科)・・・総称名・・・イボタノキの初見→大和本草1709年
しほみいほた=イボタ・・・『替花傳秘書』1661年(寛文元年)に記される。
★イボタノキと思われるが、ミヤマイボタ、オオバイボタなどがあり、確定できないため。
しほみいほた=イボタ・・・『替花傳秘書』1661年(寛文元年)に記される。
★イボタノキと思われるが、ミヤマイボタ、オオバイボタなどがあり、確定できないため。
イワカガミ(イワウメ科)・・・種名・・・イワカガミの初見→草木弄葩抄1735年
岩かがみ=イワカガミ・・・『砂鉢生花伝』1775年(安永四年)に記される。
岩かがみ=イワカガミ・・・『砂鉢生花伝』1775年(安永四年)に記される。
★岩躑躅・岩つつじ等について
「岩躑躅」は『池坊専應口傳(1542年)』と『立花便覧(1695年)』に、「岩つつじ」は『替花傳秘書(1661年)』に記されている。これらが示す植物は、現代の「イワツツジ」(スノキ属)ではなく、「サツキ」(ツツジ属)ではないかと思われる。しかし、「サツキ」という植物名は、『立花正道集(1684年)』に「さつき」、『抛入花傳書(1684年)』に「五月躑躅」、『立花指南(1688)』に「皐月躑躅」、『立花秘傳抄(1688)』に「五月つつし」というように記されている。
そこで、記された年代に注目すると、『替花傳秘書』が出された1661年頃までは、「サツキ」を「岩つつじ」と呼んでいた。それが、1661年頃以後は、『立花正道集』などのように「サツキ」と呼ぶようになったと考えられる。しかし、「岩躑躅」は、『立花正道集(1684年)』より後の『立花便覧(1695年)』にも書かれている。となると、やはり「岩躑躅」と「サツキ」は異なる植物でないかという疑念が残る。さらに混乱させられるのは、十八世紀以後の花伝書には、「岩躑躅」「イワツツジ」というような名の花材が登場しないことだ。となると、「岩つつじ」「岩躑躅」は、「サツキ」と呼ぶようになったためであると、考えることもできそうだ。
そこで、「サツキ」の初見である『毛吹草』(1645年)や『本草綱目品目』(1672年)などを見ると、「サツキ」が「岩躑躅」と呼ばれていたという形跡は見当たらない。『和漢三才図会』(1713年)に、「れんげつゝじ・羊躑躅」の項に「黄色ノ者惟蓮華躑躅豆○(マメカラ)躑躅之二種ノミ也而黐躑躅岩躑躅等モ亦一類ニ」と言う記述がある。黄色の花が咲く躑躅に、「岩躑躅」があると記されている。さらに、「もちつゝじ・黐躑躅」の項に、「一種有リニ岩躑躅」とモチツツジの一種に岩躑躅のあることが示されている。この記述からは、「岩躑躅」がどのような植物か、その現代名を推測できないが、「岩躑躅」と呼ばれる植物があったことは確からしい。
『毛吹草』などからさらに時代が下った、1688年に刊行された『立花指南』には「羊躑躅(いはつつじ・一名三葉躑躅)」が記されている。説明に「風か日に當ては暫蒔にしぼむ白くこまかめる花ありてうらにさくものなれど花と云迄にみる甲斐なき物」とある。この文からは、ツツジ属のサツキよりスノキ属のイワツツジを指しているように感じる。「岩躑躅」と「羊躑躅」は、異なる植物かもしれない。そして言えることは、「いはつつじ」呼ばれる植物が複数あったのだろう。そこで、『樹木大図説』から、「イハツツジ」と呼ばれる植物を調べると、レンゲツツジ、ウンゼンツツジ、ミツバツツジ、ヒカゲツツジ、モチツツジの躑躅類がある。これらのツツジが、岩場に生育しているのを見て、総称して「岩躑躅」「岩つつじ」と呼んでいたのではなかろうか。そのため、岩場のサツキも、「岩躑躅」「岩つつじ」と呼んでいた可能性はある。しかし、だからといって、サツキを「岩躑躅」「岩つつじ」と断定するには無理がある。
したがって、「岩つつじ」「岩躑躅」については、該当する現代名を不明とする。
「岩躑躅」は『池坊専應口傳(1542年)』と『立花便覧(1695年)』に、「岩つつじ」は『替花傳秘書(1661年)』に記されている。これらが示す植物は、現代の「イワツツジ」(スノキ属)ではなく、「サツキ」(ツツジ属)ではないかと思われる。しかし、「サツキ」という植物名は、『立花正道集(1684年)』に「さつき」、『抛入花傳書(1684年)』に「五月躑躅」、『立花指南(1688)』に「皐月躑躅」、『立花秘傳抄(1688)』に「五月つつし」というように記されている。
そこで、記された年代に注目すると、『替花傳秘書』が出された1661年頃までは、「サツキ」を「岩つつじ」と呼んでいた。それが、1661年頃以後は、『立花正道集』などのように「サツキ」と呼ぶようになったと考えられる。しかし、「岩躑躅」は、『立花正道集(1684年)』より後の『立花便覧(1695年)』にも書かれている。となると、やはり「岩躑躅」と「サツキ」は異なる植物でないかという疑念が残る。さらに混乱させられるのは、十八世紀以後の花伝書には、「岩躑躅」「イワツツジ」というような名の花材が登場しないことだ。となると、「岩つつじ」「岩躑躅」は、「サツキ」と呼ぶようになったためであると、考えることもできそうだ。
そこで、「サツキ」の初見である『毛吹草』(1645年)や『本草綱目品目』(1672年)などを見ると、「サツキ」が「岩躑躅」と呼ばれていたという形跡は見当たらない。『和漢三才図会』(1713年)に、「れんげつゝじ・羊躑躅」の項に「黄色ノ者惟蓮華躑躅豆○(マメカラ)躑躅之二種ノミ也而黐躑躅岩躑躅等モ亦一類ニ」と言う記述がある。黄色の花が咲く躑躅に、「岩躑躅」があると記されている。さらに、「もちつゝじ・黐躑躅」の項に、「一種有リニ岩躑躅」とモチツツジの一種に岩躑躅のあることが示されている。この記述からは、「岩躑躅」がどのような植物か、その現代名を推測できないが、「岩躑躅」と呼ばれる植物があったことは確からしい。
『毛吹草』などからさらに時代が下った、1688年に刊行された『立花指南』には「羊躑躅(いはつつじ・一名三葉躑躅)」が記されている。説明に「風か日に當ては暫蒔にしぼむ白くこまかめる花ありてうらにさくものなれど花と云迄にみる甲斐なき物」とある。この文からは、ツツジ属のサツキよりスノキ属のイワツツジを指しているように感じる。「岩躑躅」と「羊躑躅」は、異なる植物かもしれない。そして言えることは、「いはつつじ」呼ばれる植物が複数あったのだろう。そこで、『樹木大図説』から、「イハツツジ」と呼ばれる植物を調べると、レンゲツツジ、ウンゼンツツジ、ミツバツツジ、ヒカゲツツジ、モチツツジの躑躅類がある。これらのツツジが、岩場に生育しているのを見て、総称して「岩躑躅」「岩つつじ」と呼んでいたのではなかろうか。そのため、岩場のサツキも、「岩躑躅」「岩つつじ」と呼んでいた可能性はある。しかし、だからといって、サツキを「岩躑躅」「岩つつじ」と断定するには無理がある。
したがって、「岩つつじ」「岩躑躅」については、該当する現代名を不明とする。
イワヒバ(イワヒバ科)・・・種名・・・イワヒバの初見→蔭凉軒日録1463年
岩ひば=イワヒバ・・・『立花正道集』1684年(天和四年)に記される。
長生不死草=イワヒバ・・・『抛入花伝書』1684年(貞享一年)に記される。
岩檜=巻栢=万歳=豹足=長生不死草=イワヒバ・・・『立花秘傳抄』1688年(貞享五年)に記される。
岩ひば=イワヒバ・・・『立花正道集』1684年(天和四年)に記される。
長生不死草=イワヒバ・・・『抛入花伝書』1684年(貞享一年)に記される。
岩檜=巻栢=万歳=豹足=長生不死草=イワヒバ・・・『立花秘傳抄』1688年(貞享五年)に記される。
イワレンゲ(ベンケイソウ科)・・・種名・・・ベンケイソウの初見→毛吹草1645年
岩蓮花=イワレンゲ・・・『替花傳秘書1661年(寛文元年)に記される。
岩蓮花=イワレンゲ・・・『替花傳秘書1661年(寛文元年)に記される。
ウキヤガラ(カヤツリグサ科)・・・種名・・・ウキヤガラの初見→用薬須知1726年
三稜=ウキヤガラ・・・『挿花四季枝折』1794年(寛政五年)に記される。
三稜=ウキヤガラ・・・『挿花四季枝折』1794年(寛政五年)に記される。
ウグイスカグラ(スイカズラ科)・・・種名・・・ウグイスカグラの初見→諸国産物帳1735~40年
吉利子=ウグイスカグラ・・・『生花枝折抄』1773年(安永二年)に記される。
吉利子=ウグイスカグラ・・・『生花枝折抄』1773年(安永二年)に記される。
ウコン(ショウガ科)・・・種名・・・ウコンの初見→本草和名1662年
欝金草=ウコン・・・『抛入花傳書』1684年(貞享一年)に記される。
うこん草=ウコン・・・『立花秘傳抄』1688年(貞享五年)に記される。
欝金草=ウコン・・・『抛入花傳書』1684年(貞享一年)に記される。
うこん草=ウコン・・・『立花秘傳抄』1688年(貞享五年)に記される。