長野冬季オリンピック滑降競技場設営問題

自然保護のガーデニング

長野冬季オリンピック滑降競技場設営問題
 自然保護は開発反対運動の手段に使われることがある。場合によっては、面子を立てるために一応自然保護を訴え、保護の困難さをほのめかし、開発してしまうようなケースもある。これも、対象とする自然に対する責任を取ることのできる人がいないからで、一歩間違うと自然保護運動に水を差すようなことになる。
 さて、1998年2月、長野冬季オリンピックは、志賀高原の岩菅山が自然保護の問題で候補地が変更されるという経緯もあったが、とりあえず、盛大に開催された。が、自然保護問題は、候補地問題が解決しても、競技場整備の段階に至っても、ずっと後まで色々な疑問を引きずった。開催にあたって、最後までもめていたのが、男子滑降コースのスタート地点であった。長野冬季五輪組織委員会(NAOC)は、1680m地点にスタート地点を設定してが、これに対し、国際スキー連盟(FIS)は、1800mの地点にもってくることを主張した。
 ここで自然保護の観点から問題となったのは、男子滑降コースのスタート地点を標高1800mにすると国立公園の第一種特別地域に入ってしまうからである。自然公園法では、第一種特別地域とは、スキー場の開発を禁止している地域である。したがって、オリンピックといえど、そこにコースをつくることは問題があるというのは、ごく正論であるように見える。
 ところが、現地、長野県白馬村の八方尾根は、冬になると大人も子どももスキーで滑っているではないか。それも、その区域を滑ることができるように、リフトは1800mより高い1850mに下車地点がある。現実には、どうみてもスキー場としか思えず、その状態で、一般の人々にどこからどこまでが第一種特別地域であるというような区分などはできるはずもない。標高1850mに達するリフトの延べ年間利用者数は、なんと約60万人もいる。すべてのスキーヤーが第一種特別地域を滑っているとは言わないが、かなりの人々が滑っていることは間違いない。にもかかわらず、標高1800mの地点をオリンピック競技では使えないというのは、国際スキー連盟の外国人でなくとも納得できないのはもっともだ。
 この矛盾が起きたわけは、リフトができて誰もがスキーで滑ることのできるようになった後に国立公園の第一種特別地域の指定が行われたためである。要は、第一種特別地域指定と同時にスキー利用を禁止しなかったことが災いしたのであった。そして、なぜ滑降コースのスタート地点が自然保護の観点から問題になったかといえば、前述の候補地変更、当初、志賀高原の岩菅山(第一種特別地域よりもずっと制限のゆるやかな普通地域にある)にコースをつくろうとしていたものを、自然保護のため変更した経緯があるためだ。
 県は決定に先立って十月に二日間、季節外れの現地調査をした。となると、県は、現地の自然が本当に貴重なのかを調査しないで、単に第一種特別地域だからという理由だけで反対していることになる。その上、さしせまって実施した調査結果がどのように反映されて結論が出たかも定かではない。結局、スタート地点は標高1850mに設置され競技が行われた。なお、自然保護を問題とするなら、滑降コースのゴール付近で3haもの森林伐採をしておきながら、この件については、自然に何も影響がないと考えたようで、まったく触れていないのも変な話である。
 さて、オリンピックの開催される以前に、自然が破壊されるとあれだけ反対したのだから、滑降競技の終わったあとさぞや心配して丹念な調査をしているだろう、マスコミのその後の報道に関心を持っていた。しかし、競技による著しい自然破壊あったという報道を目にしていないが、私が見落としているのだろうか。そもそも、長野冬季五輪組織委員会があれほど反対したのは、本当にスタート地点周辺の自然保護を考えてのことだったのだろうか。普通地域の岩菅山を自然保護で取り止めにしておきながら、第一種特別地域で競技を行うという矛盾を突かれたくない、多分それだけだったのだろう。しかし、本音は、国際スキー連盟と同様、第一種特別地域でやりたかったのではないか。
 ともかく長野冬季五輪組織委員会は、開催誘致における数々の金銭疑惑を残したまま解散した。スタート地点周辺の第一種特別地域の自然は、どうなったのだろうか、誘致疑惑ですら忘れ去られようとしている現在、自然のことなど話題に上がることもなく、スキーヤーによって以前と同じように滑られている。むしろ、地元では、この問題が再燃しないように願っているだろう。それは、あの第一種特別地域におけるスキーの禁止を恐れているからで、できればスキーの滑降を大ぴらに認められるなら指定解除を国に要望したいところだが、それはかなわない。もし、スキー禁止になれば、地域は、経済的に大きなダメージを受けるからである。
 
(以上の文章は、『自然保護のガーデニング』(中公新書ラクレ)に載せることのできなかったものである。刊行されてからもう10年以上も経っていることから、当時とは状況が変わっているでしょう。その後を追跡調査した人がおりましたら、お教えいただければありがたい。)